丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

高齢者や障害者と見守る若者たち、子供たち。誰もが安心して地域で住み続けられる町づくりをしてる丸森町

2016-03-16 06:43:18 | 日記

高齢者や障害者と見守る若者たち、子供たち。

誰もが安心して地域で住み続けられる町づくりをしてる丸森町。
ディサービス「そのつもり」は再編で閉校になった筆甫中学校に開所しました。

介護はもちろんですが、介護する方を育てるのも役割です。

Iターン、Uターン、Jターンはもちろん、

耕野地区の小学校では「山村留学」を始めました。

温かい人柄はもちろん、歴史や文化。

光回線はもちろん、地域のネットワークもばっちりです。

特産品や農産物も南限、北限の地域なので何でもできます。

まだまだありますが、

こんな愉快で活気のある丸森町。

みんなで世界中に発信してね。

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昨日は 「耕野の花見山」ボランティア に行ってきました

2016-03-14 21:42:29 | 日記

もう咲いてる種類もありました。

まちづくりセンター8時30分集合。

花見山の場所は百目木ガーデンさんの裏の山。県道からばっちり見えます

宝くじ協会に応募したら当たりました

4種類の、苗70本

これまで7種類、200本うえてあります

石碑の、あたまをなでると

当たるという伝説を作りました。

 

みんなで、作った東屋

向こうが県道で

左端の屋根が、ガーデンさんです。

 

皆が集まってきました

 

 

 

根っこの発育を促進する、バーク堆肥をこのくらい

穴を掘り、土とバークとよく混合します

 前回は、こも等が巻かれて根っこに土が大きくついていたので、

大きな穴を掘り埋めるだけでよかったのですが

今回は、ご覧のように、根っこだけなので乾燥に注意します

もちろん最後に水をやりますので、

水が根にすぐに届くように浅植えにして

周囲に土手なようなものを作り、水を入れたら土とかき混ぜます

土がついてない苗なので浅くうえます。

支えをして、ハイ、出来上がり

追肥などの肥料は、ここまで根っこが伸びていそうだと思うところに

大きな粒のものを今の時期にします

春になると、雨で流亡するので、「今でしょ」ということでした

看板は、看板研究会が作成しました。

じゃんけんで、私に勝ったので、彼女は桜の木の妖精ですか

山いっぺんに、桜の木の周囲は、クリスマスローズが植栽されていました。

ご褒美は、おかわり自由の、耕野名物カレーライス

なに、? ライスが見えない。セルフだから、

 

 

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わがやの3,11  Ⅱ後で知って驚いたこと

2016-03-11 19:57:27 | 日記

わがやの3,11  Ⅱ後で知って驚いたこと

停電で、ラジオだけが、情報。津波がとか、海が燃えていると聞いても実感がわきませんでした

帰ってこない子供たちですが

私は、停電で牛の搾乳ができないのが心配でそればかり考えていました。

その日の夕方の搾乳はあきらめました

次のあさにまとめて搾乳するしかないと

手絞りかなーと思いながら早くねました。

でも普通、停電というのは、

大雪でも倒木でも次の日には解消されていたのです。

早く寝たのと、妙な興奮でしょうか、目が覚めるのも早く起きて来たら

長女が、興奮した表情で玄関から入ってきました

彼女は、会社が休みで友達と友達と塩釜に遊びに行っていたそうで、

帰り道で地震に会いました。

運よく、多賀城で強制的に小学校に避難させられたそうで

窓からは、流される家や車がそこま見えたそうです。

彼女が、塩釜に行っていたことを知っていたら、妻は、夜も寝ないで塩釜まで行ったでしょうが

知らなかったのが良かったかはわかりませんが

子供たちの「大丈夫、無事です」の最後のメールが妻に安心感を与えていたのは幸いでした。

でも、たぶん、そのメールの後に津波がきたのですから、

避難させてもらえなかったらと思うと、涙が込み上げます。

多賀城小学校に避難してからは、住民の活動はスピード感があったそうです。

子供たちのランドセルは、一つの部屋に収納され

看護師や高齢者には机を並べてベットを作り

段ボールやマットを敷いて寒さをしのいだそうです。

体育館ではなく、教室を使ったのが良かったようで、寒くて不安な夜もしのげました。

この娘の体験が、南相馬の方々を筆甫中学校に受け入れるときに役立ちました。

娘が次の日の朝に帰ってこれたのは偶然で

大河原に出かけていた方が家族の安否を探して避難所を捜し歩いていました。

偶然に言葉を交わし丸森から来たと言ったら、

今、だったら、走れる。朝になったらわからない。今、が良いと聞いて

友達と、大変な気持ちと決意で帰ってきました。

私が、電気も点かないから手絞りしかないなと決意をして玄関に向かった時に

「ふー」と言って長女が玄関から入ってきました。

私は、よー と言って安心感だけで何も聞かずに、牛小屋に向かいました。

電気が来ないとわかったら、幸いにも、いつもお世話になっている

石川板金さんの発電機を借りることができて

2週間お世話になりました。

丸森は水道も、下水も事業者さんの頑張りで停止はありませんでした。

近隣の市町村の方が知り合いを訪ねて水を調達しました。

娘も2日後に大河原の職場復帰をしたとき、自分用に持って行ったペットボトルの飲み水は

施設の高齢者に最初に提供されました。

施設は暖房が効かないので、炭や薪も準備しましたが、リスクを伴うので役には立ちませんでしたが

いろんな、みんなのためという思いがわいてきました。

そんなとき、東京電力福島原発の事故がおこっていたのです。

放射能に被災した「南相馬市の住民が丸森町に避難してきました

耳を疑うような国の指示がありました。

町の説明では、全員、放射能の被爆スクリーニングしないと受け入れてはだめだというのです

規則というのは、役人というのは、本当に困ったときには役に立たないというのが解った瞬間です。

私は、家にあった飴玉と知人のヤクルト販売員のお嫁さんがくれたヨーグルトをもって

避難者が待機している丸森まちづくリセンターに行きました。

コミュニケーションが大切だと思ったのは、この時です。

車いすの高齢者「疲れが取れますよ。飴を食べませんか」と聞いたら、

「トイレに行きたい」と言うので、女性職員を呼んで助けていただきました。

その後、避難者について町執行部が議員に相談があるというので会議がありました。

閉校になった筆甫中学校体育館にに受け入れたいと提案されました。

「なぜ教室を使わないんだとききました」

担当課長は、「廃校以後掃除をしていないから」というのです。

私は、長女の多賀城での体験、何もいわなくても

避難者が協力して、看護師や、介護士が高齢者や子供たちを守り、

教室を片付け、有効に利用したことを告げて

教室を見ていただいて、避難者に判断してもらったら良いと発言しました。

南相馬の皆さんは、教室を行政区ごとに分けて掃除をして利用しました。

後で、食料などを差し入れに行ったのですが、筆甫の皆さんのいろんなものの提供などを使った

調理は女性軍が生き生きと働いていました。 続く・・

 

 

 この日から電気が来ました。ブログの再開

http://blog.goo.ne.jp/osamu1954/d/20110318

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わがやの3,11

2016-03-11 08:57:17 | 日記

我が家の3,11

あの日は、みんな出かけていて

私は商工会の2階で所得申告が終了し印鑑を押したときでした。

ゴーっと揺れだして、机につかまりながら体勢を低くしました

途端に、エアコンのカバーが「ガターン」と落ちて

ながあい揺れが続きました

父と母が心配で家に帰る途中、

町民グランドのナイター照明が

メトロノームのように大きく揺れて、なかなか止まりません

子供たちは、会社にいた妻のところに

「無事だ」のメールをしたきり、連絡が取れなくなりました

 

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平和と戦争について

2016-03-10 21:31:41 | 日記

安心して暮らせる町について

1、平和と戦争について

「どうして、あの人は戦争をしたがるのか」大人数の兄弟の末っ子で、敬老会など地域の行事でお会いするといつもニコニコして、カラオケなどを歌っているおばあちゃんが言いました。毎日、「戦争法案」と言われた「安保関連法案」の議論や、反対のデモがテレビで放映されていた頃でした。

昨年の10月11日に私は「終戦70周年戦没者追悼式」に出席しました。丸森町遺族会が主催したもので、第二次世界大戦で犠牲になられた遺族の方々と町関係者など200人以上が参列しました。私たちは遺族代表の挨拶や体験の発表に涙し、戦争が悲しみしか生み出さないことを改めて認識しました。このようなことを繰り返してはならないのです。当町出身で前の戦争に出征した方と戦死された方の人数は何人でしょうか。それと、当町出身の現役自衛官は何人おられるのか伺います。

幸い、戦後は「戦争を知らない子供たち」と自らが歌った私たち年代を含めて戦死者はいませんが、これからの世代が戦争に巻き込まれるようなことがあってはなりません。愛する家族や国民を守るために徴兵されていったのに、かえって家族を悲しませる結果になりました。この悲しい出来事を語り継いで次世代の子供たちが再び巻き込まれる事のないようにしなければなりません。住民の方々に一番信頼されている地方の政治家としての町長の考えをうかがいます。

2、交通安全について

 H27年の交通事故での死亡者数は全国で4117人、(前年比+4)宮城県は66人(△17)丸森町は3人(+3)です。H26年までは死亡事故ゼロを続けてきた当町ですから、大変な異常な事態です。ホームページには「交通安全緊急対策会議を開催しました」とありますが対策は十分でしょうか。特に、連続して事故のあった付近の対策はあまり見えないのですがどのようなことをするのでしょうか。先日の「てれまさむね」で復興トラックと道路の現状が放映されました。様々なことが組み合わさって問題が発生している様子で衝撃的でした。交通安全について町民からの意見はどの地区からどんな内容が何件位あったのでしょうか。それに対して、どのような対策がとられたのか伺います。

 住民からは、騒音、道路や看板の破損、飛び石による車の傷やショウウィンドウのガラス破損。トラックが交差するときの渋滞が思いがけないところで発生しているといわれます。驚く場所としては「三ノ橋株式会社の入口周辺の道路の路幅を決める白線とガードレールがすれすれで、トラックは手前で対向車のトラックがとおりすぎるのを待っていて渋滞になるので、ガードレールをもう少し外側に移動すればスムーズに通行できるのではないか」というのもあります。

 

3、生徒・児童の安全を守る防犯灯・街路灯の整備促進について

通学路の安全確保については、道路管理者・警察・学校・父兄と関係機関が連携して合同点検をして、安全フェンスの設置や歩道のカラー舗装・危険な建物の修繕など成果をあげてきました。

 父兄へのアンケートや合同点検はこれからも続けていくべきですがそこに防犯灯・街路灯の整備も含んで考えるべきではないでしょうか。たとえば、丸森地区の中心市街地の街灯整備でも「たんぽぽこども園」の東側になぜ明るい街灯を設置できなかったのかという声が夕方徒歩で鳥屋神明地区方面から迎えに来る方々から聞かれます。館矢間や丸森地区の通学路には何百メートルも明かりのない所もあります。これまでのように防犯協会にお願いして設置していくのに加えて、関係者が合同点検をして計画的に設置していく必要があります。

 街灯がLEDで電気量が少なくて済むなら防犯灯の寄付も再開すればいいし、同じ場所に街灯と防犯灯の2つがあるなら1つは廃止して他の所に設置するとかトータルな整備計画の考えについて伺います。

議会だよりの原稿

議員、安心して暮らせる町

町長、未来に語り継ぐのが使命 

問1、平和と戦争について

「どうして、あの人は戦

争をしたがるのか」大人数

の兄弟の末っ子だったお婆

さんが言いました。毎日、

「戦争法案」の議論がテレ

ビで放映されていた頃だ。

昨年の「終戦70周年戦没

者追悼式」では、第二次世

界大戦で犠牲になられた遺

族代表の挨拶や体験の発表

に涙し、戦争が悲しみしか

生み出さないことを改めて

認識した。このようなこと

を繰り返してはならない。

当町から前の戦争に出征し

た方と戦没者の数は何人か。

また、当町出身の現役自衛

官は何人か。

幸い、戦後の戦死者はい

ないが、これからの世代が

戦争に巻き込まれるような

ことがあってはならない。

住民の方々に一番信頼され

ている地方の政治家として

の考えを伺う。

答1、日華事変と太平洋戦

争の戦没者合計は1088人

という記録がある。自衛官

については過去15年の入

隊が49人である。

戦没者が、無二の命をも

って示された戦争の悲惨さ

と平和の尊さを未来に語り

継ぐのが使命である。

問2、交通安全について

 町のH27年の交通事故死

亡者数は3人。H26年まで

は死亡事故ゼロを続けてき

たのだから、大変な異常な

事態だ。先日のTVで復興

トラックと道路の現状が放

映され衝撃的だった。町に

苦情は何件あったか。騒音、

道路や看板の破損、飛び石

による車の傷やショウウィ

ンドウのガラス破損。寺内

などトラックが交差すると

きの渋滞がこれまでなかっ

た場所で発生している。ど

のような対策をしたか。

答2、復興事業のダンプの

通行や、駐車に関し年間30

件ほどある。内容を調査し、

その都度警察に連絡し、対

応をお願いしてる。また、

原因者である採石業者に改

善を指導している。これか

らは関係省庁、事業者等で

協議会を作り安全かつ適切

な対応をする。

問3、生徒・児童の安全を

守る防犯灯・街路灯の整備

促進についてはたとえば、

丸森地区竹谷や舘矢間地区

用水沿いなど、100メートル

も明かりのない通学路もあ

る。現在防犯協会による設

置をお願いしているが、町

してトータルな整備計画の

考えを伺う。

答3、これまで通り関係者

の意見を聞いて設置する。

 

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