丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

みやぎ生協「幸町店」にミニ交流に行ってきました

2016-01-25 22:19:34 | 日記

昨日は朝方、雪が降り真っ白でしたが

めぐみ野米生産者として

生協のメンバーさんに活動報告と質疑

30人ぐらいの方が参加してくださり

お昼は「あぶらげカレー」を作っていただきました

生協では流行ってるようで

肉の代わりに畑の肉と言われる大豆がげんりょうのあぶらげです

午前はスライドを使って地域の様子や生産者の紹介・メンバーさんとの

田んぼでの交流の様子を

午後は、話を聞いての質疑でしたが

案外訪れたことがなくても丸森のことは知ってるようで

コメの品種や放射能対策について質問に答えました

丸森町のコメはコシヒカリとひとめぼれが半々とか

コメは全量放射能検査を実施して出荷していることや

カリ肥料を散布してセシュウムを稲が取り込まないようにしていること

それでも、毎日食べるコメや水には注意が必要なことを話しました


丸森出身の人気パティシエ池田一紀さんの話を聞いてきました(1)

2016-01-24 21:48:54 | 日記

( 最初にお断りしておきますが、

池田さんの話は私のノート6ページにメモされていて

私のワープロの力では一気に掲載できませんので

何回かに分けてしまいますし、

写真も後から「編集して挿入するように」なります )

 

最初に「日本公庫の活用法」を小出直人課長からお話を聞きました。

今は、創業の融資のハードルが下がっている

保証人、担保が必要とは限らなくなっている

事業計画が大事で、3000万円以内の融資がうけられる

新創業融資制度がある(無担保・無保証人の融資制度)

震災で利率低減がある等の話を聞きました

 

実家は丸森町の老舗菓子店「栄泉堂」。
日本有数の製菓学校「エコール辻東京」を卒業後、日本初のフランス菓子店「ルコント」に入社。
その後24歳からパリで本場の菓子作りを10年間経験し、震災後に帰郷。

エコール辻東京卒業

日本初のフランス菓子店「青山ルコント」入社

24歳で渡仏。以後10年間パリで修業・パリ老舗の名店Stohrer、Boulangerie-Patisserie Walterで修業

生涯の師サダハルアオキとの出会い・pâtisserie Sadaharu AOKI paris にて8年間修業

2011.04|東日本大震災を機に帰国

2011.12|地元仙台に“kazunori ikeda individuel”オープン

 

賞 暦

2003.|クープ・ド・フランス|ピエスアーティスティック|入賞

2006.|アルパジョンコンクール|アントルメピエス|2位入賞

2008.|アルパジョンコンクール|ショコラピエス|優勝

2008.|アルパジョンコンクール|アントルメピエス|4位入賞

2009.|アルパジョンコンクール|ショコラピエス|2位入賞

 

現在は仙台で人気菓子店「カズノリイケダ アンディヴィデュエル」を2店舗経営中。

池田さんは

24歳から10年間、フランスでパテシェの修業をしました

そしてパテシェのコンクールのチョコ部門で優勝

最初に、みんなでクロワッサンをごちそうになりました

この白っぽく見えるのがフランスのバターだそうです

値段も国産の8倍くらい

こうゆう材料をつかうので400円(100個限定)  国産バターも使ってますがそちらは250円だそうです

表面がカリカリして、バターの香りが美味しい(後でフランスのバターと判明)

今日持ってきた「クロワッサンは、今は夜だが朝焼いたので、

朝食べれば40%おいしい」

クロワッサンは昨年の10月から「一個400円」でだした 

最初の計画というか想いはフランス~3年後~東京のホテルでパテシェと思っていたが

良いシェフとの出会いがあった~10年に延ばして~パリで店を出そうとして

弁護士や銀行と相談したが~借りられる資金は700万円ということだった

オーブンを買うと終わり~外国での開店は難しい

日本だったら、どれくらいの融資が受けられるか

仙台の税理士とGoogledでパリから相談を続けた

良い税理士と会った

今、丸4年仙台で仕事をしているが

最初は、東京で店を出して~仙台へと思っていたが、震災などもあり逆のパターンになった

パリでの給料は安くて、僕はほとんど、美味しいものを食べた

年を取ったパテシェでも月16万円ぐらい

普通の人は 働く時間を週何時間と決めて、バカンスなどを楽しむという生活だった

有名なパテシェになる人だけは時間を惜しんでお菓子作りをしている世界だ

借りられるものは、親から銀行・公庫から、すべて借りた

仙台はお菓子は売れない街といわれていた

東京の先輩や、老舗のお菓子屋さんから、仙台ではやるなといわれたた

仙台~100万人の街~おいしいお菓子を作れるという自信~もし売れないなら、美味しくないんだろうと思った

~お菓子が売れるようになり~仙台のスタッフの独立に土台になったと思う~100万人いれば日本は中流社会

~高くても売れる~政令都市だったらお客さんは必ずいる~やる職種・場所は重要だと考えている

3か月後に、3店舗目が開店するが~1年半後に東京で~その後にパリなど外国でやりたい

言ったことは必ずできると思う 

 


一丸塾政策提案発表会にゐってきました

2016-01-23 11:43:28 | 日記

「一丸塾」とは

ほかに誇れる丸森町を職員が一つになってまちづくりを

ということで、町長が名付けたそうです

庁舎内の職員10人が選ばれ

まるもり町長が塾長となって一年間活動してきました

2つの班が

1、チームマイペンライ

  「税外収入を増やそう ~ちりも積もれば山となる~」

2、チーム倍々(ばいばい)ん

  「人口減少対策(おかえりプラン)」

について政策提案しました

 

〇 チームマイペンライ

  「税外収入を増やそう ~ちりも積もれば山となる~」

 

 

 

 

 

〇 チーム倍々(ばいばい)ん

  「人口減少対策(おかえりプラン)」

 

 

 

 

 


「安心して暮らせる町について」H28年3月議会一般質問を提出しました

2016-01-22 11:46:22 | 日記

 

安心して暮らせる町について

1、平和と戦争について

「どうして、あの人は戦争をしたがるのか」大人数の兄弟の末っ子で、

敬老会など地域の行事でお会いするといつもニコニコして、

カラオケなどを歌っているおばあちゃんが言いました。

毎日、「戦争法案」と言われた「安保関連法案」の議論や、

反対のデモがテレビで放映されていた頃でした。

 昨年の10月11日に私は「終戦70周年戦没者追悼式」に出席しました。

丸森町遺族会が主催したもので、第二次世界大戦で犠牲になられた

遺族の方々と町関係者など200人以上が参列しました。

私たちは遺族代表の挨拶や体験の発表に涙し、

戦争が悲しみしか生み出さないことを改めて認識しました。

このようなことを繰り返してはならないのです。

当町出身で前の戦争に出征した方と戦死された方の人数は何人でしょうか。

それと、当町出身の現役自衛官は何人おられるのか伺います。

 幸い、戦後は「戦争を知らない子供たち」と自らが歌った

私たち年代を含めて戦死者はいませんが、

これからの世代が戦争に巻き込まれるようなことがあってはなりません。

愛する家族や国民を守るために徴兵されていったのに、

かえって家族を悲しませる結果になりました。

この悲しい出来事を語り継いで次世代の子供たちが

再び巻き込まれる事のないようにしなければなりません。

住民の方々に一番信頼されている地方の政治家としての

町長の考えをうかがいます。

2、交通安全について

 H27年の交通事故での死亡者数は全国で4117人、(前年比+4)

宮城県は66人(△17)丸森町は3人(+3)です。

H26年までは死亡事故ゼロを続けてきた当町ですから、大変な異常な事態です。

ホームページには「交通安全緊急対策会議を開催しました」

とありますが対策は十分でしょうか。

特に、連続して事故のあった付近の対策はあまり見えないのですが

どのようなことをするのでしょうか。

先日の「てれまさむね」で復興トラックと道路の現状が放映されました。

様々なことが組み合わさって問題が発生している様子で衝撃的でした。

交通安全について町民からの意見はどの地区から

どんな内容が何件位あったのでしょうか。

それに対して、どのような対策がとられたのか伺います。

 住民からは、騒音、道路や看板の破損、飛び石による車の傷やショウウィンドウのガラス破損。

トラックが交差するときの渋滞が思いがけないところで発生しているといわれます。

驚く場所としては

「三ノ橋株式会社の入口周辺の道路の路幅を決める白線とガードレールがすれすれで、

トラックは手前で対向車のトラックがとおりすぎるのを待っていて渋滞になるので、

ガードレールをもう少し外側に移動すればスムーズに通行できるのではないか」

というのもあります。

 

3、生徒・児童の安全を守る防犯灯・街路灯の整備促進について

通学路の安全確保については、

道路管理者・警察・学校・父兄と関係機関が連携して合同点検をして、

安全フェンスの設置や歩道のカラー舗装・危険な建物の修繕など成果をあげてきました。

 父兄へのアンケートや合同点検はこれからも続けていくべきですが

そこに防犯灯・街路灯の整備も含んで考えるべきではないでしょうか。

たとえば、丸森地区の中心市街地の街灯整備でも

「たんぽぽこども園」の東側になぜ明るい街灯を設置できなかったのか

という声が夕方徒歩で鳥屋神明地区方面から迎えに来る方々から聞かれます。

館矢間や丸森地区の通学路には何百メートルも明かりのない所もあります。

これまでのように防犯協会にお願いして設置していくのに加えて、

関係者が合同点検をして計画的に設置していく必要があります。

 街灯がLEDで電気量が少なくて済むなら防犯灯の寄付も再開すればいいし、

同じ場所に街灯と防犯灯の2つがあるなら1つは廃止して他の所に設置するとか

トータルな整備計画の考えについて伺います。