安心して暮らせる町について
1、平和と戦争について
「どうして、あの人は戦争をしたがるのか」大人数の兄弟の末っ子で、
敬老会など地域の行事でお会いするといつもニコニコして、
カラオケなどを歌っているおばあちゃんが言いました。
毎日、「戦争法案」と言われた「安保関連法案」の議論や、
反対のデモがテレビで放映されていた頃でした。
昨年の10月11日に私は「終戦70周年戦没者追悼式」に出席しました。
丸森町遺族会が主催したもので、第二次世界大戦で犠牲になられた
遺族の方々と町関係者など200人以上が参列しました。
私たちは遺族代表の挨拶や体験の発表に涙し、
戦争が悲しみしか生み出さないことを改めて認識しました。
このようなことを繰り返してはならないのです。
当町出身で前の戦争に出征した方と戦死された方の人数は何人でしょうか。
それと、当町出身の現役自衛官は何人おられるのか伺います。
幸い、戦後は「戦争を知らない子供たち」と自らが歌った
私たち年代を含めて戦死者はいませんが、
これからの世代が戦争に巻き込まれるようなことがあってはなりません。
愛する家族や国民を守るために徴兵されていったのに、
かえって家族を悲しませる結果になりました。
この悲しい出来事を語り継いで次世代の子供たちが
再び巻き込まれる事のないようにしなければなりません。
住民の方々に一番信頼されている地方の政治家としての
町長の考えをうかがいます。
2、交通安全について
H27年の交通事故での死亡者数は全国で4117人、(前年比+4)
宮城県は66人(△17)丸森町は3人(+3)です。
H26年までは死亡事故ゼロを続けてきた当町ですから、大変な異常な事態です。
ホームページには「交通安全緊急対策会議を開催しました」
とありますが対策は十分でしょうか。
特に、連続して事故のあった付近の対策はあまり見えないのですが
どのようなことをするのでしょうか。
先日の「てれまさむね」で復興トラックと道路の現状が放映されました。
様々なことが組み合わさって問題が発生している様子で衝撃的でした。
交通安全について町民からの意見はどの地区から
どんな内容が何件位あったのでしょうか。
それに対して、どのような対策がとられたのか伺います。
住民からは、騒音、道路や看板の破損、飛び石による車の傷やショウウィンドウのガラス破損。
トラックが交差するときの渋滞が思いがけないところで発生しているといわれます。
驚く場所としては
「三ノ橋株式会社の入口周辺の道路の路幅を決める白線とガードレールがすれすれで、
トラックは手前で対向車のトラックがとおりすぎるのを待っていて渋滞になるので、
ガードレールをもう少し外側に移動すればスムーズに通行できるのではないか」
というのもあります。
3、生徒・児童の安全を守る防犯灯・街路灯の整備促進について
通学路の安全確保については、
道路管理者・警察・学校・父兄と関係機関が連携して合同点検をして、
安全フェンスの設置や歩道のカラー舗装・危険な建物の修繕など成果をあげてきました。
父兄へのアンケートや合同点検はこれからも続けていくべきですが
そこに防犯灯・街路灯の整備も含んで考えるべきではないでしょうか。
たとえば、丸森地区の中心市街地の街灯整備でも
「たんぽぽこども園」の東側になぜ明るい街灯を設置できなかったのか
という声が夕方徒歩で鳥屋神明地区方面から迎えに来る方々から聞かれます。
館矢間や丸森地区の通学路には何百メートルも明かりのない所もあります。
これまでのように防犯協会にお願いして設置していくのに加えて、
関係者が合同点検をして計画的に設置していく必要があります。
街灯がLEDで電気量が少なくて済むなら防犯灯の寄付も再開すればいいし、
同じ場所に街灯と防犯灯の2つがあるなら1つは廃止して他の所に設置するとか
トータルな整備計画の考えについて伺います。