昨日からサイレージ作りを始めました
機械の調子が悪いので
菊地君の所に持っていって修理
そしたら孫が来てたのでパチリ
郡見高原牧場の孫です 名前は今聞いてきたばかりなのに自信が無いので載せません
トラクターが大好きです
トウモロコシです
菊地さんのはNDだったそうです。
このクワガタ見たいのでガリガリ
刻まれたのが前のかごにシュウト
トラックにダンプ
サイロに詰めて保存します
フォークで掻いて踏んづけて
仕事が始まったら天気が悪くて気がもめます
31日に菊地組合長の所に県の農政部長が来るそうです
牧草のことについて話があるそうですpm3時
こんな記事を見て涙が流れて仕方ありませんでした
同じ牛飼いの悲しいぃ話ですが
私はその映像を見なくてよかったと思ってます
それは次の様な記事です
昨日、テレビで双葉町住民の2時間の一時帰還を見ました。
ある畜産農家のご夫婦の後を追ったのですが、見ている私も胸が潰れるような内容でした。
このご夫婦は、家に帰ると真っ先に向かったのはわが家ではなく、畜舎でした。
牛をそのままにして避難せざるを得なかった畜舎です。畜舎に向かうと彼らの前に一頭の牛がふらりと横切りました。痩せこけていますが生きています。
奥さんは泣きながらその牛の名を呼び、叫びました。
「ごめんね、ごめんね!」
そして畜舎へ。
私は今までこんな無残な光景を見たことがありません。白骨となった牛が土に帰ることも出来ずコンクリートの上に並んでいました。
餓死した死体にご夫婦は花を手向け、手を合わせました。背中が涙で震えていました。
これは原子力災害の悲劇という前に、避けられた悲劇でした。人間の手で回避できたことです。
原発の是か非かという以前の問題です。人の心の問題です。
これらの見捨てられて、無残な死を迎えた多くの牛や豚、トリ、犬や猫は、充分に避難が可能でした。
しかし、現実にはどうだったでしょうか?
菅直人首相が指示したベントは、まさに避難指示の下に住民が移動しているその時でした。大量の放射性物質が避難している人の頭上に降りかかりました。
政府は避難民にたった一粒の安定ヨウ素剤すら配布しませんでした。おそらくは今後、避難民の中に子供を中心にして多数の甲状腺障害が生じることでしょう。
人さえ救えない政府は、家畜などは眼中にありませんでした。一切を見殺しにしました。ただの一台のトラックも現地に派遣しませんでした。
いや、その検討ひとつしませんでした。すべて見殺しにしました。
チェルノブイリですら大量のトラックで避難させたというのに。
多くの家畜はつながれたまま水も餌も途切れて、衰弱して死んでいきました。
毎朝、彼らに新鮮な餌をやり、藁を取り替え、ブラシをかけて優しい声をかける飼い主は戻ってきませんでした。
彼らは主人を待ちわびて、待ちわびて死んだのです。
人の心を持たない冷血な菅内閣はあと数日で消えますが、私はこの悲劇を忘れることはないでしょう。
なぜなら、それは心のあり方ひとつで避けられた悲劇だったからです。だからこそ私は許せません。
昔日照りが続いた時、父親が梨の根元に1本1本池から水汲んでバケツまけながら、喉かわいたベーと話しかけてた姿思い出しました。
その梨畑を三陸道が横切ることになった時、兄は、父ちゃん死んでからでよかった、この光景見せないでよかったと泣きながら梨の木切ったって。
白骨化してた牛見てどんな気持ちだったんだかなぁ…。今夜は悪夢にうなされそう。
野菜だって果樹だって家畜だって
一本一本水をかけて育てるんですよね
ほとんどはお天道様が助けてくれるんですが
やっぱり年に何度か肥料をやったり草を買ったり、何年か経ってやっと使えるようになる
楽しみでやってるんですが
気持ちが入ることがあります
でも何があっても百姓の来年
何とか続けるしかありません
今年は天気がいいから梨も美味しいでしょうね
まだ少し早いですかね