丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

宮城県農業短期大学昭和48年度卒業生同級会が7月23日にありました。3

2017-07-27 22:02:37 | 日記

4月に同級会の案内が来てから

私の青春時代はどんなものだったかなと思い出してみました

40年以上も前のことでしたがすぐに思い出しました

学校は太白山ふもとにあり、通学は、当時JRの「丸森線」今の第3セクター「阿武隈急行」

当時は通勤通学で、一杯人が乗ってました

丸森町でも今の10倍くらいの子供が毎年生まれてたのですからすごかったです

我が物顔で車両の通路をふさいで騒いでいたので「ハレンチ列車」と新聞に写真が載ったりしました

椅子にすわってる私の横顔も写っていました

いろんな方と知り合ったりして、新しい世界に入って行ったのです

でも朝、6時15分の始発での通学は大変眠かったのをおぼえています

大人の方々は仕事帰りでワンカップなどを飲みながら明日への元気を

若者は、遊びや恋・人生観をつちかっていました

しつれんして涙することも

 

 


宮城県農業短期大学昭和48年度卒業生同級会が7月23日にありました。2

2017-07-27 21:00:14 | 日記

次の日、帰って行ったら

妻と、娘が「お父さんを覚えていた人いたの」と聞くんです

同級会の日は、二人と昼食を食べて、利府のショッピングセンターで買い物をして

松島まで、送ってもらいました

はたから見ても、私はよっぽど、うれしそうだったのかも

みんなと話すのが楽しくて、料理はほとんど食べられなかった

お昼におなかいっぱい食べていって、良かったと言ったら、

良かったねと笑ってました。

一学年が158人と人数が少ない大学。それも、在学は2年だけですから

私達の時は、同級生で結婚した方も多くて、とってもアットホームなつながりで、

農業科、農業土木科、畜産科をとわず、仲が良かったのです

とくに畜産課は

女性10人のうち8人が出席で、秋田とニューヨークに住んでる方が欠席しただけでした

アパート、田中荘暮らしで、女子は普段から連絡が濃だったようです

それでも、欠席の県職員だった及川君と秋田とニューヨークの女子は

4人で行う実験の時の同じ班だったので、なかよしで、会えないのは残念でした

それでも、私は、たった一度のデートでしたが、広瀬川河畔を歩いた彼女と

彼女の好きな、ガロの「学生街の喫茶店」をデュエットをしたし

男子はみんな、昔の憧れのマドンナと2ショット

皆と同じに

帰り際には「じゃー またね」

次は、100歳かな