丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

今日、映画「三里塚に生きる」を見てきました。

2015-06-13 15:57:46 | 日記

成田空港反対闘争と小川プロダクション

柳川秀夫さん「飛行機が飛んでも俺は故郷をたがやしつづける。」

1966年、三里塚に国際空港建設が決定された。(私が丸森小学校6年の頃だ)

「日本の最後の百姓一揆」と呼ばれた闘争は1990年代に国との和解が進み、

現在はほとんどの農民が反対運動から退場している。

 

仙台へは電車で行ったのですが、田植えが終わった田んぼは緑になり

向こうに家並みがありその向こうにまた緑の山が見える。

なんだか自分の家がありそうで、探してしまいました。

日本の農村の原風景ってこれかな~とおもいだしてしまいました。

 

三里塚の第一次、二次強制執行や事件の時にその真ん中にいた

親は亡くなり、婦人や青年が当時の想いを怒りを通り越して、

歴史の証人として。亡くなったり、共に闘った者の想いを証言。

その想いを引き継いできたこと。

農地を開墾した頃の生活や集落の様子。

あそことここに誰々の家があったとか。息子がどうだったとか。

 

長い年月で、闘争を共に戦った仲間も亡くなったりしたが

それでも闘い続ける柳川さん。成田空港の横で農業を続ける。

「悩んで、闘って、傷ついたことも、多くの仲間が死んだことも

空港ができたことで忘れられていくだっぺ。それは絶対にゆるせねえんだよ。」

「時間の問題じゃねえ。長いものさしが必要だっぺ、人間もよ、地球もよ。」

皆さん、農業をしていました。

 

2時間の上映中、私の中にはどす黒い、重苦しいものがこみあげていました。