成田空港反対闘争と小川プロダクション
柳川秀夫さん「飛行機が飛んでも俺は故郷をたがやしつづける。」
1966年、三里塚に国際空港建設が決定された。(私が丸森小学校6年の頃だ)
「日本の最後の百姓一揆」と呼ばれた闘争は1990年代に国との和解が進み、
現在はほとんどの農民が反対運動から退場している。
仙台へは電車で行ったのですが、田植えが終わった田んぼは緑になり
向こうに家並みがありその向こうにまた緑の山が見える。
なんだか自分の家がありそうで、探してしまいました。
日本の農村の原風景ってこれかな~とおもいだしてしまいました。
三里塚の第一次、二次強制執行や事件の時にその真ん中にいた
親は亡くなり、婦人や青年が当時の想いを怒りを通り越して、
歴史の証人として。亡くなったり、共に闘った者の想いを証言。
その想いを引き継いできたこと。
農地を開墾した頃の生活や集落の様子。
あそことここに誰々の家があったとか。息子がどうだったとか。
長い年月で、闘争を共に戦った仲間も亡くなったりしたが
それでも闘い続ける柳川さん。成田空港の横で農業を続ける。
「悩んで、闘って、傷ついたことも、多くの仲間が死んだことも
空港ができたことで忘れられていくだっぺ。それは絶対にゆるせねえんだよ。」
「時間の問題じゃねえ。長いものさしが必要だっぺ、人間もよ、地球もよ。」
皆さん、農業をしていました。
2時間の上映中、私の中にはどす黒い、重苦しいものがこみあげていました。