今日は大学入学共通テストが全国で始まりました。
能登半島地震から13日目です。
29年前の阪神・淡路大震災は大学入試センター試験の2日後でした。
地震の被害を心身共に受けてからの共通テスト受験には心が痛みます。
一方で阪神・淡路大震災の傷ましい被災を目の当たりにしながら、
その後の大学受験の経験にも同じ痛みを感じます。
来年で30年経つことを思うと、能登半島の被災地の避難所に関西の時と
変わらない現状が多く、不思議な感覚を覚えます。
30年近くの年月でネット社会が始まり、パソコンやスマホの利用は
格段に充実してきました。
避難所で利用できるダンボールベッドや簡易トイレは地域防災で確保されているものと
思っていました。高齢者が多い地域は尚更です。
ドローンの活用で人が入れない現状の把握も可能だと想像していました。
いざとなると30年前と同じ様に避難所の床にダンボールなどを敷いて直床で寝る
状況であることに何とも言えない無力感を覚えます。
時代毎に起こった大きな震災などの記憶は誰にでも共通に残っていることが多く、
個人の語りに耳を傾ける機会になります。たとえ認知症を患っておられる人でも
記憶として深く残っていることが多く、悲しみのその後の復興の道のりへの
誇りと自信に繋がっており、一人ひとりの語りは豊富です。
一人ひとり異なる記憶の中には共通する事項があったり、更には次世代への
提言になることも多いと実感しています。
能登半島ではまだ地震を語りあえる現状ではありませんが、少し落ち着いてきたら
傾聴できる人が一人ひとりの物語を聞き留めて欲しいと願います。
来年は阪神・淡路大震災から30年です。
能登半島地震から13日目です。
29年前の阪神・淡路大震災は大学入試センター試験の2日後でした。
地震の被害を心身共に受けてからの共通テスト受験には心が痛みます。
一方で阪神・淡路大震災の傷ましい被災を目の当たりにしながら、
その後の大学受験の経験にも同じ痛みを感じます。
来年で30年経つことを思うと、能登半島の被災地の避難所に関西の時と
変わらない現状が多く、不思議な感覚を覚えます。
30年近くの年月でネット社会が始まり、パソコンやスマホの利用は
格段に充実してきました。
避難所で利用できるダンボールベッドや簡易トイレは地域防災で確保されているものと
思っていました。高齢者が多い地域は尚更です。
ドローンの活用で人が入れない現状の把握も可能だと想像していました。
いざとなると30年前と同じ様に避難所の床にダンボールなどを敷いて直床で寝る
状況であることに何とも言えない無力感を覚えます。
時代毎に起こった大きな震災などの記憶は誰にでも共通に残っていることが多く、
個人の語りに耳を傾ける機会になります。たとえ認知症を患っておられる人でも
記憶として深く残っていることが多く、悲しみのその後の復興の道のりへの
誇りと自信に繋がっており、一人ひとりの語りは豊富です。
一人ひとり異なる記憶の中には共通する事項があったり、更には次世代への
提言になることも多いと実感しています。
能登半島ではまだ地震を語りあえる現状ではありませんが、少し落ち着いてきたら
傾聴できる人が一人ひとりの物語を聞き留めて欲しいと願います。
来年は阪神・淡路大震災から30年です。