東大寺二月堂のお水取りで籠松明がコロナ禍以来4年振りに復活したという
ニュースが入ってきて、お水取りへ行ったことを思い出しました。
ただ、鮮明な記憶として甦ってきますが、ほぼ20年前のことに愕然とします・・・。
籠松明の火の粉を浴びたとかの記憶ではなく、松明の後の夜更けにかけて
「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」を観たことです。
正直な感想を言うと、それは練行衆による‘音楽の舞台’でした。
752年から続いていることに想いを寄せてみると、
室町時代中頃に三味線が伝来し、その後の安土桃山時代、江戸時代には
庶民中心の音楽として歌舞伎踊り、人形浄瑠璃が流行ることになりますが、
その時代から800余年ほど前に、既に修二会は始まっています。
今から1273年前のことですが、正倉院展の宝物とともに時代を超える
新鮮な感覚を覚えます。長い歴史が刻まれています。
修二会のHPには
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正の高弟、
実忠和尚が創始された。以来、令和6年(2024)には1273回を数える。
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」と言う。
十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である
十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔することを意味する・・
と記されています。
ニュースが入ってきて、お水取りへ行ったことを思い出しました。
ただ、鮮明な記憶として甦ってきますが、ほぼ20年前のことに愕然とします・・・。
籠松明の火の粉を浴びたとかの記憶ではなく、松明の後の夜更けにかけて
「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」を観たことです。
正直な感想を言うと、それは練行衆による‘音楽の舞台’でした。
752年から続いていることに想いを寄せてみると、
室町時代中頃に三味線が伝来し、その後の安土桃山時代、江戸時代には
庶民中心の音楽として歌舞伎踊り、人形浄瑠璃が流行ることになりますが、
その時代から800余年ほど前に、既に修二会は始まっています。
今から1273年前のことですが、正倉院展の宝物とともに時代を超える
新鮮な感覚を覚えます。長い歴史が刻まれています。
修二会のHPには
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正の高弟、
実忠和尚が創始された。以来、令和6年(2024)には1273回を数える。
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」と言う。
十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である
十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔することを意味する・・
と記されています。