早朝から雨模様でいつもの散歩を諦め、次の仕事の準備と読書を始めましたが、
ふと先週行われた第72期王将戦第4局が気になってYouTubeを見ることにしました
始めは将棋盤に駒をのせながら楽しむつもりでしたが、何故?その手なのか・・
やはり難しい・・。順に打った手だけを追えば楽しめるはずなのに、訳が分からない。
途中で藤井さんが2時間を超える長考に入ったとのこと。
どんな指し手を巡らせているのかは知る由もなく、正座で足は痺れないのか・・、
何か他の事を考えて気分転換しているのか・・、なぜ崩れ落ちるような姿勢なのか・・。
2002年生まれの藤井さんはゼット世代のど真ん中です。
ゼット世代はZ世代ともジェネレーションZとも言われ、色々な諸説があり明確な定義も
無いようですが、1990年代後半~2015年生まれで、現在約7才~26才になります。
生まれながらにしてデジタルネイティブであるということが特徴になります。
歴史のある将棋界においてもIT活用は通常のことになっているようです。
我が家においてもこのゼット世代との交流は中々面白いです。
一人の小学生はオンライン電話で話していると、「四文字熟語かことわざのしりとりゲーム
をしようよ~」と言い、もう一人の小学入学前の子は、「速く打てるようになったよ~」と
タイピングゲームで速さを競っていると言う。
タイピングの速さではもう既に私は劣っていることになります。
今やネットやYouTubeで本を読み、知らないことを調べることも容易にでき、ラジオなどの
メディアの配信も無料が多いです。音楽始め多様な学習、娯楽、専門分野など際限無く
楽しみ、深めることができます。その中で、個人的な興味や好奇心が湧くことに
集中することも可能です。お互いの情報交換も容易にできます。
ただ、ネットで見る将棋には実際に盤に置く駒の音も無く、そもそも駒を手に取る感覚も
ありません。料理の手順は分かり易いのですが、美味しい匂いまでは届きません。
最近、田舎で初めて収穫した落花生を再度干して乾燥させ、固い殻を潰して中身を
出し、さらにすり鉢に入れて、すりこ木で暫くすっていると落花生の油が出てきます。
その作業の間の美味しい匂いは言葉になりません。
ゼット世代には実際の体験を大切にして欲しいと伝えています。
ネットを見ていると、ともすれば理解できたように感じてしまうことがあります。
心理学で言われている「流暢性の錯覚」に陥らない為にも、実際に自分の身体で
体験したことを好奇心の学びへと繋がるよう願っています
ふと先週行われた第72期王将戦第4局が気になってYouTubeを見ることにしました
始めは将棋盤に駒をのせながら楽しむつもりでしたが、何故?その手なのか・・
やはり難しい・・。順に打った手だけを追えば楽しめるはずなのに、訳が分からない。
途中で藤井さんが2時間を超える長考に入ったとのこと。
どんな指し手を巡らせているのかは知る由もなく、正座で足は痺れないのか・・、
何か他の事を考えて気分転換しているのか・・、なぜ崩れ落ちるような姿勢なのか・・。
2002年生まれの藤井さんはゼット世代のど真ん中です。
ゼット世代はZ世代ともジェネレーションZとも言われ、色々な諸説があり明確な定義も
無いようですが、1990年代後半~2015年生まれで、現在約7才~26才になります。
生まれながらにしてデジタルネイティブであるということが特徴になります。
歴史のある将棋界においてもIT活用は通常のことになっているようです。
我が家においてもこのゼット世代との交流は中々面白いです。
一人の小学生はオンライン電話で話していると、「四文字熟語かことわざのしりとりゲーム
をしようよ~」と言い、もう一人の小学入学前の子は、「速く打てるようになったよ~」と
タイピングゲームで速さを競っていると言う。
タイピングの速さではもう既に私は劣っていることになります。
今やネットやYouTubeで本を読み、知らないことを調べることも容易にでき、ラジオなどの
メディアの配信も無料が多いです。音楽始め多様な学習、娯楽、専門分野など際限無く
楽しみ、深めることができます。その中で、個人的な興味や好奇心が湧くことに
集中することも可能です。お互いの情報交換も容易にできます。
ただ、ネットで見る将棋には実際に盤に置く駒の音も無く、そもそも駒を手に取る感覚も
ありません。料理の手順は分かり易いのですが、美味しい匂いまでは届きません。
最近、田舎で初めて収穫した落花生を再度干して乾燥させ、固い殻を潰して中身を
出し、さらにすり鉢に入れて、すりこ木で暫くすっていると落花生の油が出てきます。
その作業の間の美味しい匂いは言葉になりません。
ゼット世代には実際の体験を大切にして欲しいと伝えています。
ネットを見ていると、ともすれば理解できたように感じてしまうことがあります。
心理学で言われている「流暢性の錯覚」に陥らない為にも、実際に自分の身体で
体験したことを好奇心の学びへと繋がるよう願っています