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音楽療法のライブ日記

音楽療法士がお届けする、日々の活動記録と情報発信のブログです。

コロナ禍の生活の3年間

2023-01-15 08:05:10 | ひとりごと
日本の国内で初めてコロナ感染者が見つかってから、今日で3年経つという
ニュースが今朝から流れています。

3年前の1月、私はちょうど「認知症と音楽療法」について修士論文の追研をしたいと
思い立ち、認知症専門医の教授の研究室で春から学ぶために、京都まで面接に
出かけていました。研究室の外で新しいマスクに取り換えていたことを思い出します。

初めての「社会行動制限」によって、多くの人との交流が絶たれました。
4月から研究室に在籍はしましたが、医学部の学生と共有する講義やゼミは全て
オンラインになり、教授と学生さんとは一度も会うことは無く、ラインでのやり取りでした。
ただ、オンライン講義もおいては意見交換などの交流もでき、仕事をしていた私に
とっては、京都までの通学時間が無く、有効な側面も多くありました。

3月の後半からは仕事も全て中止になりました。
行政、医療、福祉、教育などに亘る多分野の皆様との交流も無くなりました。
実践による皆様との意見交換は音楽療法の発展と継続には必須なことでした。

そんな中の6月に母が小脳梗塞で入院しましたが、家族は面会不可となり、
兄夫婦からの病院情報だけを待つことになってしまいました。
幸いにもひと月弱で退院することになり、母から直接電話をもらった日の喜びは
鮮明に思い出されます。

7月頃に少し感染者が減少して仕事が復活しましたが、また直ぐに中止になって
しまうという不安定なコロナ元年でした。
11月には父の法事を最小限の人数とコロナ対策をした場所で実施しました。
気丈だった母にとっては大きな行事となり、最後に全員で撮った記念写真を
その後も何かあるごとに思い出して、大変喜んでいました。

その3ヵ月後に母は再び脳梗塞で入院することになりましたが、やはり面会が
思うように出来ず、離れた奈良から病院へ直接電話で面会を嘆願して、
10分間の許可をもらってやっと病室で会うことが出来ました。
私の顔を見た瞬間の母の表情からは、しっかりと喜びの感情が伝わってきました。
失語症の症状もあった母でしたが、別れる時に「また来るから、またね」と言うと、
母の「またね」という言葉が鮮明に聞こえました。同伴した義姉も大変驚きながらも
喜びを共有しました。今から思えば、少し明るい母の今後を思った唯一の時間でした。

その後は面会も難しくなり、移った施設においてはさらに厳しい面会制限になり、
会うたびに弱々しくなってしまいました。
直接会えないことの辛さを痛感して、兄夫婦と在宅介護(看取り)を話し合い、
やっと年末に決めて準備を始めました。
その後のことは今まで書いてきましたが、ずっと傍にいられる幸せをかみしめました。

私だけではなく、多くの人が辛い経験をして今の現状があります。
日々の検査をした実施した上で心の交流が途切れることが無いことを願うばかりです

これからのこと・・

2023-01-07 07:45:24 | ひとりごと
年明けて、あらためて肩の荷がおりた気がしています。
ここ約10年で義父(享年100才)から、父(93才)、義母(100才)、母(97才)を
見送ってきました。
特に義母は病院で夜中過ぎの最期を看取り、母は同じ部屋で傍に寝ていて看取りました。

義父母が住んでいた田舎の家はそのままで、週に何度か行き来しながら
畑を含む生活を継続しています。
春の連休や夏休みには家族全員が集う恒例の場所になっています。
田舎の家は畳の部屋が田の字型に繋がっており、布団を敷き詰めれば10人は寝られます。

義母が亡くなってから、100年以上の生活で使ってきた布団から食器、棚、
天井裏などの総片づけが始まり、ほぼ1週間はかかりっきりで集中しました。
長く生活してきた義父母の多くの品々から私達が知らなかったこともありました。
幼い頃は親戚一同総勢20名程が寝泊りし、お祝い事や弔い事などの行事には
総出の人が集うために、屋根裏には100個近いご飯茶わん、汁椀、お猪口、
湯呑茶わん、大きな徳利、大鍋、大皿・・・、驚くほど出てきました。
陶器の重い火鉢も10個ほどあり、下すだけでも大変で手伝ってもらいました。

荷物を片づけながら、義父母の記憶になる諸整理も感謝とともに始めました。
教わってきたことも沢山あり、継承することも多いと理解しています。
集中して片づけたことで、現在は随分すっきりとして世代を繋いだ集いに使えています。

実家の方は母が亡くなって一年経っておらず、未だ母の形見の洋服や着物など
の品々は片付いていませんが、心の整理は心の距離が近かっただけに感謝と共に
穏やかな気持ちでいられます。
几帳面でお洒落で綺麗好きで音楽を好んだ母には、子どもの頃から私の自主性を尊重して
暖かく見守ってもらいました。お蔭様で・・

やっと4人を見送ることが出来て本当に安堵しています。
これからのことを優先的に考えることが出来ます。
今までは何かあれば自分の生活を止めて寄り添う気持ちでいました。
それでも、私が好きな仕事や学びを継続できたのは、4人から背中を押してもらい、
支えてもらえたからです。昔の歌や生活、社会などを教えてもったことも沢山あります。
本当にあらためて感謝の気持ちでいっぱいです。

20年過ぎる実践では高齢者の認知症の人に一番多く関わってきました。
継続しているうちに、多くのことを職員さんやご家族さんと共有することが出来ました。
重い症状の人でも音楽で共有することができたり、楽器活動ができることに感動したり、
歌唱は多くの人が可能であることが分かってきました。
継続してきた実践結果が、大学院の研究での理論に繋がってきました。
さらに、2020年には認知症専門医の教授の大学研究室に在籍して
大学院の時の追研及び新しい理論を加えた報告書が出来ました

これからは、培ってきた認知症含む高齢者の「実践と理論」をまとめてみたいと考えています。
認知症の人に、『音楽を介した‘その人らしい、居心地の良いひと時’を』と願いながら・・

大和盆地の日の出に想う

2023-01-01 07:41:28 | ひとりごと


新年のご挨拶を申し上げます。
いつも通りの早朝散歩とともに、初日の出を拝むことができました。

流石に早朝の元旦は殆ど人の行き来はありませんが、いつも通りの風景がありました。
各戸には新聞が配達され、カラスが鳴いており、畑の白菜は冬越しをする準備で
丸く紐でくくられていました。

水たまりは凍っておらず、霜もおりていないので思ったより暖かい元旦です。
大きな柿の木の実は落ちることなく、元旦の今日は誇ったような姿に映りました。
電車はいつも通り走っていますが、初詣のためか多いように感じました。

水仙の群れの近くを歩くとほんわか香ってきます。
我が家にも田舎にひっそりと咲いていた蕾の水仙を持ち帰り、
花瓶にさしてみると翌日には一輪咲いていました。素敵な香りに癒されます。

日の出までの空はどんより黒い雲で覆われており、少し心を落ち着かせるように
諭されているように感じました。
ただ、日の出間近の空は太陽の明るさで一変しました。
短い散歩の中の景色だけでも空の色の変化に心が動かされます。

昨年のお正月は5日に実家で母を施設から迎える準備で気忙しく
過ごしており、心ここにあらず状態でした。
結局、兄が緊急入院した3日から実家へ急遽帰ることになり、
その後10日に母を見送り、葬儀などの準備等で本当にバタバタでした。

あれから一年が経とうとしています。
穏やかで平和な一年になりますように

心の安寧を願う音楽

2022-12-31 20:46:10 | ひとりごと
今は大衆音楽を皆で楽しむ時代では無くなりました。
年末になると多くの音楽番組が流れることになりますが、
一度に多分野の音楽を聞くと頭が混乱するように私は感じています。

多くの情報が溢れる中でも一人ひとりの好みは異なります。
多様性を重んじられる風潮ですが、音楽に関しては個人優先で良いと思います。
時には多分野の音楽を求める自分に沿うこともありますが、
贅沢で特別な時間として自分だけの居場所がある音楽に包まれることは
自分自身を大切にすることに繋がります

疲れていたり、気分転換を求めたり、何か不調を感じたりする時に
やはり好みの音楽のシャワーを心身ともに浴びることをお薦めします。
自分ひとりで口ずさむことも良いでしょうし、
自然の音に耳を傾けられる場所に身を置くことも良いと思います。

今年は我が家族も半数はコロナに感染しました。
そんな中でしたが、夏休み以来の年末に皆元気に一同に集うことが出来ました
カラオケに行きたいという希望がありましたが、まだ一抹の不安もあって取りやめました。

多忙に過ごした一年、世界の不安を感じた一年、安寧を願った一年・・・
身近な自然の音や色に心の安らぎを感じながら、
揺らぎの無い、凛とした人たちの平和を心から願ってやみません

弦楽四重奏の楽しみ

2022-12-28 20:01:54 | ひとりごと
現在の状況はコロナ禍社会における行動制限も緩やかになり、
音楽のライブ活動が盛んになってきました。
人数制限も無くなり、ドーム始め大きな会場でも盛り上がっているようです。

電気及び電子楽器とともに、大型スピーカーを何台も用いて参加者が
大好きな音楽が大会場で響きます。
大型花火、眩い照明も入って海外のショーで見てきたような
エンターテインメントとして最高の盛り上がりが続きます

華やかなライブも興味はありますが、行きたいと思うチケットを取得することは
中々難しく諦めてしまう現状です。
そんな中で、今年最後の演奏会へ行ってきました。
弦楽四重奏のライブでしたが、音響的な設備は何もなく、普段は行事などで
20名程が集う場所です。
そこで、ヴァイオリンとヴィオラとチェロの弦楽器だけの生音の四重奏です

こじんまりとした部屋で穏やかな雰囲気に包まれ、それぞれの弦楽器の
奏でるメロディが響きあい、まさに弦楽器だけの音楽シャワーを浴びている
心地良さに浸りました。
モーツァルトが1785年に作曲し、ハイドンに献呈されたといわれる
いわゆるハイドンセットの一曲が演奏会のメインでした。

2年前にべートーベンの生誕250年としてのニュースで流れていましたが、
身近な義母が100才を祝ってもらった長寿でしたので、モーツァルトの生誕266年は
日本では明治時代でもあり、歴史が身近に感じられました。
そんな想いを巡らせながら弦楽四重奏の演奏を楽しみ、本日は年末のお墓参りに
行ってきました。

生(なま)の声だけの歌、アコースティックな楽器の音色、自然界にある多様な音・・
冬の風情に合っていると感じています

口ずさむ音楽♬

2022-12-25 06:51:59 | ひとりごと
とうとう寒波が来て、奈良では珍しい雪景色の山々を堪能しました
昨年のクリスマスは、施設で過ごしていた母を在宅で看ることを決心し、
具体的に正月の5日から実家へ長期で行くことを決めた日でした。

その後の手帳日記には目まぐるしい程の日々の状況と心情が書き込まれています。
コロナ禍の中で面会が難しくなり、母の状態も気になる日々の中で、夏頃から
在宅でいつも傍で看られることを望み、家族で話し合ってきました。
そんな中で在宅介護が決定された昨年のクリスマスは覚悟と安堵の気持ちでした。

大好きな音楽が流れ、返事は無くてもいつも傍にいて声をかけられることは
楽しみでもありました。やっと家族らしい時間が送れるという想いでした

音楽は聴くだけではなく、長い時間も設備も無い中でもたった一人で口ずさむことが
出来ます。出来る、というより自然にふと口ずさんでいる時があります。
自分が思ってもいない歌やメロディを突然口ずさんでいることがあり、我が身でも驚きます。

母の傍では母から伝え聞いてきた‘母の思い出の曲’を口ずさむことができます。
小学校高学年に初めて買ってもらった実家のピアノを弾いて感謝を伝えることもできます。
母が過ごしてきた96年に想いを寄せられることの幸せを感じました。

思い起こせば、16年前には極小で産まれて医療機器で身体いっぱいケアされていた
赤ちゃんへの面会がたった一度だけ許され、私が選択した日はクリスマスでした。
クリスマスプレゼントとしての貴重な面会でそっと口ずさんだことを思い出しました

いつでも口ずさむことが出来る音楽は心を軽くしたり、自分への気付きもあったり、
思っている以上に良いものです。
掃除の時、料理の時、お風呂の時、散歩の時、・・・等々
気楽に口ずさんでみませんか?

360度のパノラマ景色

2022-11-26 07:52:28 | ひとりごと
降水確率が0%であることを前日に確認して、以前から行きたかった
奈良県王寺町の明神山への軽登山?を昨日楽しんできました。
鳥居をくぐってからゆっくり40分程歩くと360度のパノラマ景色を楽しめる
頂上に着きました。

歩いている途中も空を見上げれば雲ひとつ無い真っ青な空に満足感は100%。
頂上へ行くまでは山道と言うより、なだらかな舗装された道で歩きやすく、
幼子から杖をつきながらの高齢者の人まで年齢層が広く、微笑ましく感じました。

頂上へ着くとベンチやデッキが想像以上に整備されており、無料の望遠鏡からは
360度の奈良盆地から大阪、神戸、京都の景色を楽しみながら
ゆっくり休憩することができました
休日には多くの人が行かれて混雑するかもしれませんが、
何はともあれ、お天気だけを判断基準にされると良いと思います。

王寺町観光協会のHPを見ると、
‘王寺町の明神山は標高273.6mの低い山ですが、山頂では360度の
大パノラマがひらけ、5つの世界遺産を目にすることができます。
大阪府側では世界遺産の百舌鳥・古市古墳群やあべのハルカス、
空気が澄んでいれば明石海峡大橋も見渡せます。
ふもとの明神山鳥居から山頂まではおよそ40分。
仲間とおしゃべりしながらのウォーキングを楽しんでください’

王寺町のHPに掲載されている
『VRで世界遺産トラベルしませんか。明神山タイムスリップ』
明神山からタイムスリップしながら世界遺産トラベルする魅力は大きいです。 
昨日の360度見渡せるライブ映像とともに、
「古代、中世・近世、近代、現代」の映像への誘いは楽しい限り。
近代の映像で「生駒山遊園地」「王寺駅」が表示されています

難波(なにわ)から奈良の都へ大和川を船で上って荷を届けていた頃を
想像するだけでも、古代の歴史へ誘われていく楽しさが溢れてきます。
12月の厳しい寒さに入る前に、外の景色、空気、香りなど五感で感じる
ひと時を大切にしたいと思います

早朝散歩に想うこと

2022-11-13 07:37:57 | ひとりごと
今日はお昼前から雨の予報なので、いつもより大周りした散歩になりました。
5日前には家族のラインのやり取りが頻繁になった「皆既月食+」がありましたが、
今朝はひっそりと頭上にお月様が見えていました。空の色は言葉で言い表せないことを
いつも感じますが、柿と柚子がしっかり実っている色は秋の喜びの象徴です

歩いているだけで、空を飛ぶ鳥の声、道際の雑草の中で鳴いている虫の声、
群れをなしている小鳥が私の足音に驚いたように飛ぶ大きな羽音、川で泳ぐ
カモが水面を飛ぶ音、少し遠くに聞こえてくる踏切の音と電車の音・・・
日々異なる色彩豊かな自然の色と音に癒されるとともに背中を押してもらいます。

先日久し振りに音楽療法士の仲間に会いました。コロナ禍だったこともありますが、
お互いに老母との別れの関わりがあり、3年間は会うことができませんでした。
メールでのやり取りはしていましたので、私より少し前にお母様を見送られたことは
知っており、お辛い気持ちも伝わってきていました。
そして今年初めに私も母を看取ったことをお伝えして、やっと労い合う、
癒し合う時間を共有することができました。

母と娘の関係性や見送ってからの深い悲しみに自分なりの時間が
必要だったことを共有しました。別れてからのセルフグリーフケアとして、
友人はお母様との思い出の冊子を作られており拝見させていただきました。
愛が溢れている素敵な冊子でした
私は母との思い出のアルバムを作って実家の仏壇に供えたことを話すと、
お互いに母への感謝を込めた自分の心の整理だったことを認め合いました。

メールだけでは伝わらなかった詳細な内容もお互いに話すとともに慰め合いながら、
元気でいられることに感謝を伝えあってきました。
晴れた気持ちの良い庭園を眺めながらのひと時は忘れられない時間になりました。

今日は昨日いただいた柚子でジャム作りをします。
柚子は実はもちろんのこと、搾り汁も皮も種も全て役に立ちます。
嬉しい限り

第74回正倉院展

2022-11-02 16:05:43 | ひとりごと
第74回正倉院展が10月29日から始まっています
小春日和の季節を満喫しながら、奈良駅から奈良公園を横切って
奈良国立博物館へ行ってきました。
コロナ禍対策として、事前予約の日時指定の入場制なので
ゆったりと安心して見ることができました。

当日券の夕方に行っていた頃が懐かしいですが、
あの混雑した中を気を使いながら見ていた頃を思うと、
間違いなく余裕でゆっくりとマイペースで見ることができ、
コロナ禍で考えられた良い方法なのかもしれません。

毎年奈良時代の頃の音楽を奏でていた楽器等に興味を持って楽しみにしていますが、
今回も漆鼓(うるしつづみ)と呉竹笙(くれたけのしょう)が出品されており、
目を瞑ると奈良時代の音の世界に誘われている幸せ感に包まれました
八世紀の宝物ですが、見惚れるほどの美しさには感嘆するばかりです。

楽器以外では粉地彩絵几(ふんじさいえのき)の多様な色彩に釘付けになりました。
新聞などで案内されている写真だけでは分からない実物大の意外性も楽しいです。
11月14日までは無休で、ネットで空いている日時、時間帯も分かりますので、
奈良時代へタイムスリップする悠久のひと時をお楽しみください

https://shosoin-ten.jp/

『チーム・ブルーの挑戦』

2022-10-27 22:02:27 | ひとりごと
自宅でその人らしい命と向き合う看取りを目標に診療所を作られた内容の本の紹介です。
『チーム・ブルーの挑戦 ー命と向き合う「やまと診療所」の物語ー』 
大月書店 中島隆 2021年発行
以下、今年始めに母を在宅で看取った私の思いと重なる本の内容を紹介いたします。
(数字は本に掲載されているページです)

    ・・・・・・・     ・・・・・・・     ・・・・・・・     

自宅で自分らしく死ねる。そういう世の中をつくる。 77

スタッフが最期の時間にかかわることで、自分自身の人生も豊かになるのです。
患者も家族も、自分自身も幸せになる。 79

病人というよりも、人間としてかかわれるのが嬉しかった。 88

人は死を目前にひかえたとき、自分のために行動しない。人のために行動するのだ。
自分らしく死のうと考える人は、最期の直前まで、まわりに愛を届けようとするんだ。89

食べられない原因には、口のまわり、のど、舌の筋肉の衰えがある。
ちょっとずつ食べる。飲むことで筋肉を鍛える。そういうリハビリが必要なのだ。
ところが、病院は基本、リスクを回避する場所である。食べたら誤嚥性肺炎になるからと、
ペースト状の流動食、チューブで胃に直接栄養を送る胃ろうにしてしまう。
食べることがなくなると、筋肉が衰えて、ますます食べられなくなる。
本人や家族が「食べられるようにリハビリしたい」と言っても、病院は言う。
「何かあったらどうするんですか」 104

その人らしく過ごしてもらうために、その人の体を立て直すことだ。立て直せないときは、
その人に、家族や仲間とどうやって過ごすか考える時間をつくることだ。107

どこで最期を迎えるか、病院でいいか、自宅がいいか。
病院にいたらどうなるか。
病を治そう、治そう、治そう。そうなる。だから、まず自由が奪われる。どこにも行けなくなる。
命の危機を迎えたとき、おそらく延命措置がされるだろう。医療機器につながれて、
意識がないままにギリギリまで生かされるだろう。苦しむだろう。111

「人生の最終段階における医療に関する意識調査」国が2019年にまとめた報告書がある。
市民も医療福祉関係者も、約7割が自宅で死にたいと答えている。120

<もっとリハビリをすれば、おばあちゃんは家に戻れたかもしれない>
リハビリで病が治るわけではない。けれど、少しでも動けるようになったり、おいしく食事を
とれたりできたら、患者と家族の新しい生活を組み立てられる。129

「在宅で大切なのは患者さんやご家族のストーリーを書くこと。だから、たくさん書ける
仕組みにしています」 164

家族の事情などで在宅ができなくなり、病院に入ってしまうと、どうなるか。
病院の医師たちは、病気を治そうとする。リスクを避けようとする。病院食、点滴・・・・。
けっきょく、病院で最期を迎えることになる。患者本人の意志に反して。176

「医師の世界にはヒエラルキーがあり、トップにいる医師の指示に従うというのが一般的です。
『やまと』さんは違った」 220

「希望調査をすると、毎回、6,7割の方が『家で亡くなりたい』と言います。でも、実際に家で
看取られる人の割合は約2割、あとの8割は病院や施設という現実があります」
希望と現実のギャップ。 223

いまは、在宅医療は点在しているにすぎない。けれど、それが線となり、面となれば、
世の中の光景は変わる。 224

一つひとつの死には、それぞれのストーリーがある。それを拾い上げる。
ストーリーを、思いを拾い上げる大切さを、わたくしは痛感いたしました。 228,229

チーム・ブルーのみなさんは、人の死を数字にしてしまうのではなく、ストーリーとして
残していこうとしています。愛と悲しみと考え抜く力に、思いを言語化する力をプラスして。230