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翻訳のこと、会社のこと、生活のこと、音楽のこと、読書のこと

2012-08-11 13:38:18 | 日記
時折、ふとしたきっかけで古い友人のことを思い出す。

ひろのりくん、通称「ひーべ」。
すごく頭のいい子だった。スポーツもそこそこできた。

ただし、極度の近眼で、小学校当時は1クラスに一人か二人しか
いない「生まれつき眼の悪い子」だった。

都会の子供たちとちがって、私の故郷は前方が海、後方が山という
環境だし、当時は眼を悪くする要因といえばテレビくらいしか
なかったので、眼の悪い子がいることはめずらしいことだった。

私ら同級生は絶対にそんな彼をからかったりすることはなかったのだが、
田舎特有の「意地の悪さ」というか、先輩たちの中には彼の眼の悪さを
露骨に揶揄する奴もいた。彼も胸を痛めたことがあったんじゃないかな。

中学校に入れば、眼鏡をかける人が急に増えるので、
彼の近視をとやかくいう奴は自然といなくなった。
そういう状況にもかかわらず、彼はとてもみんなに好かれていた。
本当にいい奴、いうなればお人好しだった。
同じ高校に進学したのだが、そこでも彼は「ひーべ」と慕われていた。

高校を卒業すると私はすぐに上京したし、彼は金沢の大学に通った。

彼の「お人好し」の性格のせいか、彼のアパートが悪友どものたまり場に
なってしまい、単位を落とし、結局大学を中退した。
それからすぐに地元の役場の職員になり、さっさと結婚してしまった。

もう10年くらい前になるが、一度そんな彼と会った。

その時既に彼は良き父親になっていた…。


一方で私といえば、「ひーべ」より成績は悪かったと思うが、
一応大学は卒業し、一応大学院の修士課程を修了した。
なれない勉強をやったせいか、自分が近眼になってしまった(笑)。

どうにも上司という人種が自分は苦手らしく、何度も職業を転々としたあげく、
最後は独立までしてしまった。

中学生の時に聴いた外国の音楽のインパクトが強すぎて、いまだにそれを
追いかけている…。


何が幸せかは本当にわからないものだ。


「因果応報」という言葉があるが、我々がそれぞれおかれている「今」という
地点は、過去において我々が望んだ未来だったのかは、はなはだ疑問である。

「こうなるとわかってたら、ちがうことやってたわい!」(笑)

それならば、未来をがっちりと見定め、未来にむけて望む種(因)をまけばよい、
という話になるが、それはそれで大変つまらない人生だろうと思う。

我々人間の想像力で描く夢などたかが知れているからだ。

もちろん夢をあきらめろ、とか夢を抱くな、などとはいうつもりはない。
でも時間とは常に未来から今に流れているものであり、
ひとつの夢を叶えたら、また次の夢がうまれる、その繰り返しだ。
それは「目標」であって、夢とは言わない気がする。

夢は遠い先に漠然と、それでも確かに存在するものであってほしい。

今度、ひーべに会ったら確かめたい、

「俺たち間違ってないよな」って…。



翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

営業活動

2012-08-07 17:14:57 | 日記
先日、ある会社と取引があったのだが、そこの営業担当の「お姉ちゃん」が、
この暑い最中、都内中をかけまわって営業している姿を見て、ひたすら感心した。
まだ20代半ばの女性である。

私は会社をやっている以上、しょっちゅう営業電話をうける。

私自身、営業電話はかけるし、飛び込み営業もよくやるので、
営業電話を受けることは全くの苦痛ではない(かけるのはいまでも苦痛だ)。

世の中には悪い奴も多いから、営業電話をかけるだけで、
ものすごい悪者扱いされることもあり、そういう意味では
むしろ応援したいくらいだ。

会社では営業以外にもいろんな業務があり、営業電話など
かけたこともないようなサラリーマンも多いと思う。
正直そういう人はちょっともったいない気がする。

商売の基本は、自分は何ものであるかを紹介して挨拶する、
つまり頭をさげることだ。
これをやれる人とやれない人(昔やってても今やっていない人も
やれない人に入る)は雲泥の差がある。
だから若いうちになるべく営業経験はさせるべきだと思う。

いざ、飛び込み営業やるのに顧客先の入り口で10分も20分も
ウロウロ、ドキドキする経験、いざ飛び込んだはいいが、シドロモドロ
で冷や汗かきっぱなしの経験。
別に「いじめ」ではない。でもこれを何度も経験すればほんの少しだけ慣れてくる。
何に慣れるかというと「恥ずかしい思い」をすることに慣れる(笑)。

昔のように若い奴が汗を流してがんばっているところを見て手を差し伸べて
くれるお客は、今ではごくわずかである。
売り込んでいることが見え見えだとお客はかならずひいてしまう。
かといってさりげなく、さりげなくと自分に言い聞かせたところで、
若い奴が親しげに、いうなれば馴れ馴れしく話しかけてこようものなら
私なら一喝して追い返す(笑)。

まあ、厳しい世界だ。でも実は営業は楽しい。この楽しさをわかっている人は
一生やっていけると思う。だから若い人にはがんばってほしいと思う。

ただひとつアドバイスができるとすれば、

「目標(ゴール)をなるべく(抽象度を)高く設定しろ」

ということである。
例えば、「商品を売る」というごく当たり前すぎることを目標にしていると、
どうしても売り込み以外の何もできなくなる。必然お客はひく。

例えば、「どうやったらこのお客さんを楽しませることができるだろう。」と
考えてみたらどうだろう。

お客さんを楽しませる方法はいくつもある。
会話で楽しませる。たとえば新しい知識を与える、お得な提案をするなど。
商品を買って楽しませるといっても、そのお客さんが個人的にほしいのか、
会社の仕事で必要なのかによってもちがってくる。
個人的にほしいものは、ある種の贅沢さを付加するほうが満足度はあがるし、
会社の仕事で必要なものには贅沢さは害悪でしかない。その場合はよりリーズナブル
な「経費削減をした」という達成感を出してやることがよいかも知れない。
つまりいろんな「楽しませ方」があるということだ。

自身の(営業)活動をあまりに具体的にしてしまうと行動の選択肢が狭まってしまう。
その辺、ゴールの抽象度を上げておくとより自由で工夫の余地があるということだ。


実は営業電話をうけていて、あまりにマニュアルどおりの電話をかけてくる若者が
多すぎてちょっとがっかりしている。
営業手法の中には「Yesを引き出す会話術」なるものがあり、私も勉強したことは
あるのだが、いかにもその手法とわかる会話をしかけてくる人がいると、
「ああ、こいつもか…」と落胆してしまう。

要するにハートがない奴は何やったってダメだ。
自分の言葉で営業ができない奴は、そんなもの営業ではない。
ビラを一枚まくのだって同じこと、グダグダいって(やって)ないで、
とにかに相手の胸に飛び込まなきゃ…。

かく言う私も失敗ばかりしてきた。
自分の中で「営業言語」が話せるようになったのは、商売に対して創意工夫が
できるようになったのは本当にここ数年(独立してから)の話だ。
やはり、従業員の頃は「自分の言葉」って、なかなか出てこないものなの
かもしれない。
ただし、営業マンを雇っている社長がこんなことを言ってはならない。
社長は社員に対して全力で自分の思想を伝えるべきだ。

自分としては本当のチャレンジはこれからだ、本当の営業はこれからだと思っている。
ようやくスタートラインに立てたということなのだろう。

ありがとう、お姉ちゃん。


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

仏師の眼

2012-08-04 10:38:08 | 日記


1月に1回、近所のお寺に仏像彫刻を習いにいっている。
もう3年になるか…。
腕前はというと、これがまた一向に上達の兆しなし…。

何がだめかはわかっている。
私には「仏師の眼」がないのだ。

仏像も様々なのだが、美しい仏像と思われるものには
ある種の絶対的な比率と生命力があるものだ(と思う)。

毎回、先生のお手本に首っ引きで掘り進めるのだが、
いつも途中で手が止まってしまう。
目の前にお手本があるにもかかわらず、この先どう掘り進めれば
いいのか、自分が今やっているプロセスが、果たしてこれで正しいのか
そんなことすらわからなくなってしまう。
結局、素材(木)の中から、耳でも鼻でも口でも、各パーツの
成り立ちが見えてこないとダメなのだ。

仏像彫刻において個性は後からついてくるもので、まさに無明というに
ふさわしい私など(自慢かい!)が言える立場ではない。
圧倒的なほどの比率、成り立ち、絶対的な美というものが
見えていてこそのものだからだ。

というわけで、自分としては基本に立ち返らねばなるまい。

まあ、いろいろやってみている。大船観音をみにいって写真にとって
研究してみたりするのだが、どうにも写真ではわからない。実際に刀を
あててシミュレーションしてみないと大船観音様とはあまりにも距離が遠い…。

う~ん、ナタもってこようかな(実際やったらつかまっちゃうぞ!)。

必然、人と話をしたりしている時も人の顔をシゲシゲと観察してみたりして(笑)。



それでも、あれこれ悩んでいると不思議なもので「わかる」時は突然やってくる。


ここ数ヶ月、唇の成り立ちが見えなくて苦しんでいたのだが、
先日コバちゃんとお酒を飲んでいる時にコバちゃんの唇を見ていてピンときた(笑)。

コバちゃんにしてみれば、最悪の飲み友達だと思うが、
コバちゃんがこの記事を読んだらやばいな…。

奴のことだから、口紅塗ってきたりして…(笑)。



写真は私の作品に先生がちょこっと手を加えたもの(左半分だけ)
わかりにくいけど唇のちがいに注意


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト

OTIS RUSH/TOPS

2012-08-03 11:47:54 | 日記
とある場末のブルース・バー、
店主は私が入っても、挨拶をするどころが怪訝な顔で私を見ている。

「ビールください」

「そこの冷蔵庫から自分で出してきてくれ」

「おっ、オーティス・ラッシュですね…、知らないな、
なんてアルバムですか?」

「…トップスだね。」

これが私が初めて江古田倶楽部にいった時のマスターとの会話だった。



『OTIS RUSH/TOPS』

今でも、このアルバムは私のブルース・ギターの理想である。
オーティス・ラッシュの代表作でもあると思う。

私にとってブルース・ギターは「間合い」に尽きる。それ以外はない。

普通ギターは上に太い弦があって下に行くにしたがい細い弦が張られて
いるものなのだが、この人の場合、右利き用のギターをひっくり返しただけ、
つまり1弦(いちばん細い弦が)が上にある。

いわゆるレフティー、アルバート・キングもそうだが、このレフティーには
ある種のハンディーキャップというか、特有の間合いがあって、
ギターを弾く人はわかると思うが、これが半端ではなく難しい間合いなのだ。
右利きのギタリストはこの恐ろしく長い間合いを埋めて行こうとする心理が
働いてしまうもののようだ。そういう意味では根性も必要だ。
自分としてもどうしてもこの間合いをモノにできなかった。つまり根性がない(笑)。


ともかく初めて江古田倶楽部にいった日からぐでんぐでんに酔っ払ってしまったのだが、
帰り際にマスターが、

「お前、ブルースやりたいのか」

「はい、やりたいです。」

「だったら毎日6時頃にここに来い、8時からは込んでくるからな…。
そして8時に帰れ、ここにある、どれでも好きなレコードもっていけ。
ちゃんと次の日に返せよ…。」

という。

それから私のブルースが始まった。

思えば、あの場所がいつも最初だった。
本名さんの音楽を聴いたのも、ゆうぞうさんやしんじろうさんに会ったのも。
しずおかさんやえんぞうさん、アイさん遠藤さん、大ちゃんコバちゃん、
オギちゃんにあったのも。

初めて江古田倶楽部に行くようになってからもう20年、
今、自分はもう一度、あの時の初心を思い出したい。

『OTIS RUSH/TOPS』を聴きながら、そんなことを考えた。


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