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女子フィギュア

2010-02-23 23:26:49 | 日記
いよいよ明日、女子フィギュアスケートのショートプログラムが始まる。
今回の記事はなんとしてでも、それが始まる前にアップしておきたい。
そう思って、ついさっき、仕事を終えたばかりでヘトヘトなのだが、
もうちょっと、がんばってみる。

本日、プルシェンコがオリンピック委員会に正式な抗議文を提出する、
というニュースが流れていた。

彼は4回転ジャンプを成功させたにもかかわらず、それにトライしなかった
ライサチェックが金メダルを獲ったことに対して、採点に関しての異議申し立て
をしている。

正直な感想をいうと、確かに彼は4回転ジャンプを成功させてはいるが、
客観的、また総合的な面からみて、どう見てもライサチェックに分があると
思う。

演技評価のポイントはは難しい技にトライする、しないではなくやはり総合的な
「美しさ」であると思う。

そういう意味ではプルシェンコにとって3年間のブランクは大きすぎる。
いくらジャンプを決めたとしても、技が強引すぎて、ちっとも人を惹きつけない。

まあ、終わってしまったことに対してとやかくいうすべはないが、
私が問題にしたいのは、この「美しさ」という、なんとも主観的な採点基準が
女子フィギュアにおいて、その人の人生を左右しかねない重大な結果をもたらす、
ということにある。

キム・ヨナ選手は完璧な技術と演技力で、金メダル候補の筆頭であることには
かわりはない。

オリンピック・イヤーを迎える、昨年の彼女の演技の中に、ジャンプを回避して、
それでも自己最高得点をマークしたという時があった。
私はとても不可解な感じがした。
どれほどその後の演技、その他の演技が優れていたにせよ、失敗は失敗である。
しかも、チャレンジして失敗したのならともかく、ジャンプをやめて最高得点である。
トライしないでまとめる人間と、トライして失敗する人間のどちらが美しいのか。
審査員の主観的な判断であるにせよ、心の美しさが反映されていないのは
はたしてオリンピックとして相応しいのだろうか。

「勝つために」

という言葉が今回のオリンピックを象徴している。
結局、戦略が一番で美しさを追求することは二の次の話なのだ。
本当の意味での「美しさ」への追求はむなしい努力にすぎない。

先日、NHK番組で浅田真央さんの特集をやっていた。
病床の中、満足のできる指導もできず、それでもやっとの思いで、
真央さんを指導しているタラソワコーチの涙が印象的だった。

「真央、あなたは世界で一番強い子よ」

スランプの真っ只中、タラソワは進言した。

「真央、ジャンプをすてる?」

彼女はジャンプと演技力、どちらも捨てない道を選んだ。
そして、オリンピック前の最後の競技でほぼ完璧な演技を見せた。

これはものすごいことだと思う。

「勝負の世界に番狂わせなし」という。

今回のオリンピックでキム・ヨナ選手が1回ころんだとしても、
彼女の勝利は確実であろう。

しかし、私の中では、すでに浅田真央がナンバーワンである。
比類なき心の強さと類稀な技、こういう選手はもう二度と現れないと
思う。

いまの時代、金メダルなんか、全く価値はない。

浅田はもっとスケールが大きい。
だから、そんなもんほしがらんでよろし、
本当にそう思う。


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