世の中にはジャズの教則本が無数に出回っている。
結構すぐれた良書もあると思っている。
『メロディック・アプローチを学ぶ
ジャズ・インプロヴィゼイション フォー・ギター』(Garrison Fewell)
私は今では参考程度にしか見ることはないが、
立ち読みしていて、これはいい本だとおもったので、
早速購入し、やってみた。1ヵ月そこそこでやり終えた。
ジャズとはインプロビゼーション(アドリブ)を抜きにしては語れない
ものである。
よくアドリブに使えるスケール、いわゆるアベイラブルノート・スケール
をズラーっと書いてある本をみつけるが、はっきり言って、それで
アドリブは弾けない。
ライブハウスに行くと、それを後生大事に信じ込んで、
音階練習をしているとしか思えないような演奏をしている人を時折見かけるが、
残念ながら、それをジャズだと思っているとしたら、よっぽどジャズを知らない人だ。
このブログでも、何度も何度も、口がすっぱくなるまでいっていることだが、
「ジャズのアドリブ=スケール」では絶対にあり得ない。
私は、
ジャズのアドリブ=メロディ
だと思っている。
こういう言い方をすると、今度はリック集(いわゆるフレーズ集)にはしる人が
いそうだが、そういう意味ではない(ある意味、フレーズを学ぶことは大切なので
これを否定するつもりはない)。
なぜなら、フレーズ集ばかりをやってしまうと、今度はフレーズをつなぎ合わせた
だけの「くそ真面目」な演奏、もっというなら、アドリブではない(書きリブ)、
発想など関係ない記憶の世界の音楽になってしまいがちだからだ。
ミュージシャンにとって、ストックは絶対的に必要なものである。
でもそのストックはかならず、自分の心や体というフィルターをすり抜けたもの
でなければならない。
そういう意味で「メロディを考える」ということ、「メロディを作る」という
ことをやるべきなのだ。
端的にいって、理想は「音感でやること」であり、知識や記憶でやることではない。
フレーズを覚えることより、瞬間的にフレーズを作る音感と運動神経を鍛えるのが
アドリブの学習として有効なのだ。
そして、そのための考え方、メロディック・アプローチを実にわかりやすく
説明しているのが上記の本である。
もちろん、この本がすべての知識を教えてくれているなどということはあり得ない。
しかし、少なくとも、この本の知識を基礎として、学習をより深めてゆくことは
可能だ。
そして付随的な知識は、求める人にとっては常に向こう側からやってくるものである。
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
結構すぐれた良書もあると思っている。
『メロディック・アプローチを学ぶ
ジャズ・インプロヴィゼイション フォー・ギター』(Garrison Fewell)
私は今では参考程度にしか見ることはないが、
立ち読みしていて、これはいい本だとおもったので、
早速購入し、やってみた。1ヵ月そこそこでやり終えた。
ジャズとはインプロビゼーション(アドリブ)を抜きにしては語れない
ものである。
よくアドリブに使えるスケール、いわゆるアベイラブルノート・スケール
をズラーっと書いてある本をみつけるが、はっきり言って、それで
アドリブは弾けない。
ライブハウスに行くと、それを後生大事に信じ込んで、
音階練習をしているとしか思えないような演奏をしている人を時折見かけるが、
残念ながら、それをジャズだと思っているとしたら、よっぽどジャズを知らない人だ。
このブログでも、何度も何度も、口がすっぱくなるまでいっていることだが、
「ジャズのアドリブ=スケール」では絶対にあり得ない。
私は、
ジャズのアドリブ=メロディ
だと思っている。
こういう言い方をすると、今度はリック集(いわゆるフレーズ集)にはしる人が
いそうだが、そういう意味ではない(ある意味、フレーズを学ぶことは大切なので
これを否定するつもりはない)。
なぜなら、フレーズ集ばかりをやってしまうと、今度はフレーズをつなぎ合わせた
だけの「くそ真面目」な演奏、もっというなら、アドリブではない(書きリブ)、
発想など関係ない記憶の世界の音楽になってしまいがちだからだ。
ミュージシャンにとって、ストックは絶対的に必要なものである。
でもそのストックはかならず、自分の心や体というフィルターをすり抜けたもの
でなければならない。
そういう意味で「メロディを考える」ということ、「メロディを作る」という
ことをやるべきなのだ。
端的にいって、理想は「音感でやること」であり、知識や記憶でやることではない。
フレーズを覚えることより、瞬間的にフレーズを作る音感と運動神経を鍛えるのが
アドリブの学習として有効なのだ。
そして、そのための考え方、メロディック・アプローチを実にわかりやすく
説明しているのが上記の本である。
もちろん、この本がすべての知識を教えてくれているなどということはあり得ない。
しかし、少なくとも、この本の知識を基礎として、学習をより深めてゆくことは
可能だ。
そして付随的な知識は、求める人にとっては常に向こう側からやってくるものである。
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