今週から来週にかけて、市内14会場にて「第6回議会報告会・意見交換会」を行っております。
詳細はこちらから↓
http://www.city.yokote.lg.jp/gikai/page000000082.html
今年も旧小学校区単位に設置されている「地区会議」との共催というかたちをとらせて頂いており、第一部の議会報告として、今年度よりスタートした「地区交流センター化について」と、「横手市財産経営推進計画(FM計画)の現状について」の説明、質疑応答を行い、第二部は参加者と議員の意見交換という構成になっています。
私の役目は、3班所属5名中唯一の総務文教常任委員会所属ということで、「地区交流センター化について」の説明と、今年も記録係を務めるので、なかなか忙しい・・・自称メモ魔の私にとっては、大変やりがいのある仕事を今年も任されています。
27日(火)は、大森町前田公民館におじゃましてきました。
保呂羽地区は、共助組織の活動が総務大臣表彰を受賞されるなど、地域の支え合いを通じた様々な活動を展開されている地域で、いわば保呂羽地域の模範的な取り組みが、今後の横手市の地域づくりのあるべき姿の一つと言えるだろうし、この地域で出された意見が、「地区交流センター」を広く市全体に浸透させていくためにどうするべきなのか?という課題を的確に示して頂いたように思う。
そもそも、この「地区交流センター化」とは、第2次横手市総合計画における「市民の主体的な地域づくり活動の促進と協働によるまちづくり」を進めるために、既存の公民館を母体として、「自治会や地域組織、市民活動団体、民間事業者等が連携するネットワーク(自主運営組織)を構築し、市民の自主的な地域活動や生涯学習活動を奨励し、市民協働による総合的な地域づくり活動や交流の拠点とする」ことがねらいのようだ。
長いところでは4年間の試行期間を経て、5地区14公民館において今年度から運営がスタートしており、未実施地区14公民館については、組織体制が整った地区からセンター化をすすめる計画となっており、担当部長の議会答弁では、「3~5年をめどに」全市で実施したいというのが、横手市の方向性のようだ。
確かに、公民館を核としたこれまでの生涯学習活動に加え、新しい交流センターでは「地域課題の解決、自主的な地域活動、市民協働による地域づくり活動」を実施できるという非の打ちどころのない素晴らしい理念を持っている。
しかし、これまでの議会での議論の中で、交流センター化して何がどう変わるのか?実施できないところへの対応。旧横手地域の公民館では正職員がいて、住民票の発行等のサービスを提供しているが、今後継続していくのかといったような疑問に対し具体的に何をどうするのかという方向性が示されておらず、試行期間をこれ以上延ばすことができない理由があるからなのだろうか、見切り発車感が否めない事業だという印象を持っている。
それに伴い、新市誕生以来、旧8市町村それぞれの自主的なまちづくりの中心を担ってきた「地域づくり協議会」を今年度末で廃止し、「『地区会議』を主体的地域づくり組織と位置付け支援を強化する」ことを決定しているが、
「『地区会議』が今後の地域づくりを担う重要な位置づけであることを、地域住民を含めて共通理解できているのか?」
という問題提起が保呂羽地区のように熱心に様々な活動を展開しているところから出されたという意味を、市当局は深く受け止めるべきである。
また、様々な事業運営についても、今年度の市の当初予算の中に、地区交流センター予算として館長と非常勤事務補助員の報酬、事業委託料として50万または60万円が配分されているわけであるが、まず、事務員の報酬が仕事量に見合っていないということで、自治会の事務を手伝ったり、市役所のやり方に則ったかたちで資料提出をしなければならないなど、質量ともに仕事が増えていることに市としての配慮が足りないと感じた。
「地区交流センター化が進めば、地域課題の解決に即した、地域独自の事業の展開が可能」だとか、「地域課題に向き合うことで、恒久的な活動につながる」といったような理想論を横手市役所は地域の方々に求めているようであるが、事業展開をすればするほど運営スタッフの負担は増大していくことは明白で、生きがいを持って地域の方々のために汗を流していらっしゃる方々に対する「待遇の保障」をせずに、いくら「自主運営」などときれいな言葉を並べても、「恒久的な活動につながる」ことなどないし、地域コミュニティをより強固にしながら持続可能なまちづくりを進めていくことなど難しいのだと思う。
地区交流センター化して、何が変わったのか?
「3年から5年以内に、公民館単位でまとまってくれ」という横手市の姿勢というのは、果たして住民目線なのだろうか?市民に寄り添っていると言えるのだろうか?
正職員を交流センターに配置するのかどうか?現場を良く知る地域局のサポート体制は具体的にどうするのかということさえ、方針が示されていない中で、現場に何を求めようというのだろうか?
私はこの度の一般質問において、「市民に政策の本質を伝える努力が不足している。市民との対話、情報共有、合意形成を図る手法が一方的であることによって、現場に混乱が起きている」ということを指摘させて頂いた。
まさに、この「地区交流センター化」によって、現場は混乱しているのである。
「丁寧な説明を心がけてきたが、本質が伝えきれていなかった政策があるとすれば申し訳なく思う」という答弁書を読み上げた市長は、地区交流センター化を進める先に、どんな横手市の姿を描いているのだろうか?
市が描くビジョンをみんなで共有し、なぜ必要なのか、何のためなのかという思いを共感してもらうことによって初めて、市民協働は前に進むのだと思う。
私たちは、市当局のメッセンジャーでもなんでもないし、見切り発車の地区交流センター化の意義を「ご説明申し上げる」立場にあるわけではない。
私なりに資料を読み込み担当課に問い合わせるなどして、頭の整理をして報告会に臨んではいるものの、正直な話、質問されても的確にお答えできるかどうかは不安だらけである。他の班の方々もきっと同じ思いだと思う。
だからこそ、地域に出向き地域の実情をしっかりと受け止めた上で、この事業の問題点をきちんと整理し、議会として政策提言をしなければならないと思っている。
今日はこれから、さかえ館におじゃまします。いわゆる旧横手市内、常勤の正職員がいる公民館で、交流センター化未実施地域でもある。
私たちの班は5名で他より1人少ない分、答えられる人が答えるというチームワークで対応させて頂いております。皆様のご参加をお待ちいたしております。
追伸・昨夜は、横手市建設産業団体連合会さんの会員交流懇談会に参加させて頂きました。多くの議員が議会報告会に出向いていることもあって、議会からの参加は青山産業建設委員長と私だけにとどまりましたが、有意義な意見交換ができました。
建設業協会・管工事協会・電気工事業協議会の3団体で平成27年に設立し、この度測量協会も加わり新たに4団体で活動することになったようだ。
大きな課題の一つは雇用のミスマッチ。有効求人倍率が1を超える高水準を保っているものの、どこの事業者さんも若手の確保に苦慮されているようだった。職人技術の継承のためにも、世代間のバランスが保たれていなければならず、地元から工業高校が無くなってしまったことの影響は大きいように思う。
地域の雇用を担い、地域経済に大きなご貢献を頂いていることに加え、いつ発生するか分からない災害に備えるという意味でも、発災からの復旧復興をスピード感を持って進めるためには、国がいくら予算をつけてくれるかということよりも、地域に根差した建設産業の皆さんが元気に事業を継続されていることが重要であるように思う。
まさに、私たち市民生活の安全安心の土台を支えて頂いていることに敬意を表しながら、議会としても応援をしていかなければならないと強く感じた次第です。
「企業誘致の実績アピール」も結構ですが、雇用のミスマッチへの対応に早急に手を打たなければ、この地域は成り立たないように思う。若者の定着を進める上でも「まったなし」じゃないんですか?
昨日は、横手市雄物川町において第46回を数える「雄物川駅伝競走大会」の大会運営をお手伝いするために、横手市陸上競技協会の一員として参加させて頂いた。
集落や事業所などから23チームがエントリーし、地元横手明峰中学校陸上競技部もオープン参加ということで、まさに子どもからご年配の方々まで、幅広い地域の方々が颯爽と駆け抜けていく姿というのは、実に清々しいものであった。
休日にも関わらず地元雄物川地域局勤務の方々だけではなく、雄物川出身の市役所職員が総出で大会運営を支えていた姿には頭が下がる。市のスポーツ奨励委員の方の「昔は終わってから反省会をしていたものだ」という言葉が印象的で、地域ににぎわいと交流の場を創り出すのは、何もハコモノではなくこういった伝統ある行事をしっかりと守っていくことも大切であるように感じた。
昨年始まった「よこてシティハーフマラソン」を否定するものではないが、その影響で各地域の伝統あるマラソン大会が開かれなくなってしまったというのも、何だか寂しい話である。
午後からは、十文字陸上競技場を会場に、「第33回秋田マスターズ陸上競技選手権大会」が開催され、そちらのお手伝いの要請も頂いていたところであるが、地元の鶴田県議が第66代秋田県議会議長に就任された祝賀会を優先させて頂いた。
会場溢れる支援者の方々の熱気に、期待の大きさを伺い知ることができました。
ご健勝にてご活躍されますよう心よりお祈りしております。
さて、「波乱の6月議会を振り返って」ですが、第3段これにて完結となります。
ある方から直接言われた、ブログでの情報発信を評価頂く言葉・・・
市としても議会としても、様々な媒体を通じてお知らせはしているものの、それで十分だと言い切ることなどできないはずである。だからこそ、横手市役所の中で今何が起こっているのかということを、真実をできるだけ分かりやすく皆様にお伝えすることの責任を私自身強く感じているのである。
固有名詞を出して誰かを批判したことなどないし、かなり過激な内容だとお感じになられるかもしれないが、これでも言葉は選んでいるつもりだ。伝わる人には伝わるような言い回しをするときもある。
遠まわしに、「議会を批判してけしからん」みたいな声が聞こえてこないこともないが、別に批判をしているのではなく事実をお伝えすること、それが市議会議員として、政治家としての日常活動であるということを強調しておきたい。
では、今更感もありますが、13日(火)に行った私の一般質問について振り返ってみようと思います。
今回は、4年間の高橋市政を振り返るという意味合いも込めながら、大きなタイトルとして「市長の政治姿勢について」論戦を挑んでみました。
いわゆる一問一答方式が「できる規定」として議会基本条例にうたわれてはいるものの、なかなか環境整備が進まず実現に至らなかった中で、私自身、これまで議会改革推進会議等の場において、率先して議論を促してきた手前、解禁されたことを受けて「やらない」などという選択肢は初めからなかった。
市長と直接対峙した場所から、テンポあるやりとりをすることで論点を明確にしながら議論を深めていくことが「一問一答」を行う意義であると理解している。
その部分から言えば、今回は小項目で6個も通告してしまったことで、60分の制限時間を考えると、10分過ぎたら次の質問に移らなければならず、議論を深めることができなかったと反省している。
1)増田庁舎オープンリノベーション事業の反省
2)今後の地域局庁舎の在り方
3)郷土愛について
4)横手市の優位性と地方創生事業の進め方
5)市報よこての特集記事
6)市民との対話
こんな感じで、6項目を4つに分けて組み立てをしたのだが、それぞれで1時間一般質問ができる内容だったにも関わらず、10~20分で切り上げなければいけなくなってしまったというのは、明らかな戦略ミスであった。
まず、これまで何度もとりあげてきた「増田庁舎オープン・リノベーション事業」については、今後の地域局庁舎の在り方も絡ませて、あえて2つに分けてみたものの、無責任極まりない答弁に思わずカーッとなってしまった。もっとも、あれ以上突っ込んでいたら、最後の質問までたどり着けなかったのは明白である。
完成から1年と3か月を迎えた今でも、貸事務所は空いたままである。カフェに至っては、昨年9月のオープンからわずか7か月足らずで一方的に張り紙をして増田地域内の別の場所に移っていってしまったのが実態である。
「新たなビジネス拠点の創出」だと豪語しておきながらこの有り様で、リノベーション工事を行ったことで「これまでの庁舎では利用したことのない住民の往来が生まれている」ことをもって、「目的は果たしている」というのはもはや詭弁だ。
1億円弱もの税金を投入したことに対する結果責任を、これっぽっちも感じていないということに他ならない。
「カフェの撤退は残念だが、増田地域内に移転したということで経済効果はあると思う」という答弁が、今の体質を全て物語っている。
次に、郷土愛について。
市長が就任以来掲げてきた「横手愛」とは、単なるスローガンであることがここにはっきりした。
「議員おっしゃる通り、具体的な事業ではなく考え方、指針、理念としてお考え頂きたい」とは、恐るべき感覚である。
私は、理念を政策に変えるのが政治家の責任であると思っている。「それは理念だ」と言い切ってしまうというのは、職責の重さを理解していないことの裏返しでもある。
「地方創生」はスローガンか?「一億総活躍社会」とは理念なのか?
賛否はあるにせよ、政治家が発する言葉、理念が政策として一つ一つ事業になっていく。これが、仕事をしているということなのではないか?
かつて私は、横手市共通商品券の名前を「横手愛商品券」にすべきだと提言したことがある。横手をみんなで応援するために、盛り上げるためにこの商品券を使いましょうというメッセージを込めるためである。出来上がったのは「横手にぎわい商品券」。
この政策は何を意図しているのか、ほとばしる情熱がにじみ出てくるような事業展開をしていかなければならない。そうしなければ、人には伝わらない。
郷土愛とは、市民が自信をもって自分たちのまちが好きだと大きな声で言えるということだと思う。
そのことが、誇りを持ってこの場所に住み続けたいと、市民に自信を与え、外から「選択」される横手市として生き残っていく術であるように思う。「食や自然」が「優位性」だと考えているうちは、何をやっても埋没してしまうと思いますよ。
まんがに税金を投入すると、覚悟を決めたんじゃないんですか?
次に、6月1日号市報よこての特集記事「家族になるということ―結婚―」について。
市報を手にとった瞬間、随分思い切ったことをやったなというのが率直な感想だった。
「賛否あるのは覚悟の上」だそうであるが、私が違和感を持った理由。それは、ブライダル誌やタウン情報誌でこのような企画をやることには何の異論もないのだが、税金を使って市報の紙面で人様の幸せを定義づける権利などないということである。
これだけライフスタイルや家族のかたちが多様化している中で、わざわざ市役所様に幸せのかたちを型にはめて頂かなくて結構だ、ということである。
ここに住んでいたいなと、住み続けられる安心感を与えること。
そのことに十二分に取り組んでいると自信をもって言えるようになってから、こういうことはおやりになったらいいのである。
私自身、議会だよりの編集に深く携わっていることから、いかにして手にとってもらうのか、中身に目を通してもらうのか、市議会の取り組みを理解して頂くのか、そのためには、いかに堅苦しくなく「市議会の扉」を開いてもらうのかということをいつもみんなで議論している。
議会だよりのタイトルを変更しようとしたとき、ある先輩議員から「議会だよりだと分からなくなるようでは本末転倒だ」というアドバイスを頂いた。ご最もである。
今の市報はいい意味で市報らしくない。
しかし、門戸を広げるためだとはいえ、踏み越えていい線とそうでない線があるということは、税金をお預かりして仕事をさせて頂いている以上、深く心に刻まなければならないのである。
スポンサーもお客様も、市民なのだから。
最後に、市民との対話について。
今、横手市ではFM計画の下に公共施設の再配置を進めようとしている。歴史のある各地域の公共温泉施設も、民間譲渡の方針が示されている。
なぜ、このような政策が必要なのかという本質を、どれだけの市民の方々にご理解頂けているのだろうか?市としてそのための努力を重ねているのだろうか?
市政懇談会は、市長の考えを「一人でも多くの市民に聞いてもらうこと」が目的のようだ。
聞いてもらうことと、理解してもらうことは別である。
共感をしてもらわなければ、市民協働を促すことなど机上の空論に終わる。
各公民館単位での地区交流センター化を進める一方、これまで地元への説明の窓口としてきた地域づくり協議会の廃止を決めている。
今後どうやって市民との対話を重ねていくのかと問いかけても、出てくるのは手続き論、形式の話ばかりである。
いかにして多種多様な方々の声を吸い上げ、市政に反映をさせていくのか。先進事例含め、手法は様々にあるのにも関わらず、まだそこまで議論が到達していないというのが実態のようだ。
2040年70万人社会とは、社会基盤が現在よりも3割縮小するということである。
減っていく3割をどうやってみんなで分かち合っていくのか、補っていくのか。坂道をゆっくりと下っていく過程の中で大切なのは、対話であり、それを決断するリーダーシップである。
この4年間、どれだけのことが「今すぐアクション、まったなし」に前に進んだのだろうか?甚だ疑問である。
60分1本勝負。今まで以上に不完全燃焼というか、やるせない気持ちに包まれた一般質問であったと自分自身分析している。
先輩方には、私の想いは伝えることができた一方で、現市政が抱える大きな問題点も再確認されたとの評価を頂いている。
今日から、市内16会場にて「第6回議会報告会・意見交換会」が実施される。
6月議会の失態を指摘されることもあるだろう。しかし、二元代表制の一翼を担う議会として、真摯に市民の皆様の声を受け止めて市政に反映させることを、議会一丸となって取り組んでいく。そのことを再確認しながら、市民の皆さまの元に出向きたいと思っている。
私の出番は明日からなので、今日はどこかの会場に見学に行ってみようと思います。
今更ですが、一般質問の録画です。スマホやタブレットからもご覧頂けますので、よろしければどうぞ!
→http://www.city.yokote.lg.jp/gikai/movie000754.html
昨日は、7月15日発行の議会だより編集会議。
私自身いつも心掛けていることは、読み手の立場に立つということ。小学生が読んでも理解できるような内容にすべく、専門用語や難しい言い回しは避け、注釈をうまく入れたりできるだけ噛み砕いた言い回しに気を配っているところだ。
「6月議会の概要」について、どのような表現にするべきか今頭を悩ませている。原稿はまだ上がってきていないが、少なくともお詫びすべきところはお詫びをしなければならないと考えている。
広報に携わる者の責務とは、自己主張をする場所でなければ、ましてや誰かをかばったり守ったりする場所でもない。公平公正な立場で真実をお伝えすること。「それ以上でも、それ以下でもない」のである。
さて、「波乱の6月議会を振り返って」ですが、思いがけずシリーズ化してしまいました。様々な反響の声が私のところにも寄せられてきているので、きちんと事実は事実としてお伝えをすることにします。
議会人として、議会で起きた恥ずかしい出来事に蓋ををしてしまっていては、当局の姿勢をとやかく言う資格はないし、それは決してフェアーでもない。
横手市議会ホームページには、閉会翌日の夕方になって、ようやく動画がアップされていたようであるが、あれを視ただけではなにが起こったかさっぱり分からない。事務局にはとても上手に編集してくれたなと思うが、つなぎ目にやはり違和感があるし、テンションも一定ではないことがお分かり頂けるだろう。
少なくとも、ライブ中継をご覧になられていた方は市内外にもたくさんいらっしゃるようだし、庁舎内で放送を注視していた職員の方も大勢いらっしゃることだろう。
うまく編集できたから幕引きでは、これまで批判してきた当局の姿勢と何ら変わらないではないか。失笑をかったあの日の出来事は、教訓として深く胸に刻まなければならないのである。
それでは、議会監査請求のその後について。
これまでの経緯については、当ブログ6月19日付投稿「開かれた横手市議会に。」の前段をご参照頂ければと思う。
→http://blog.goo.ne.jp/okuyamatoyo/e/5bff0653e96b2a15bd58bd09fafec002
6月議会最終日の21日(水)。開会前の9時半に急きょ議会運営委員会がセットされ、案件は、議会監査請求の報告について議事日程を追加させるというものだった。
日程第一として、代表監査委員から、6月15日付で議長に提出された「議会の請求に基づく監査報告書」が原文の通り読み上げられることになったが、質疑を行うかどうかがまず最初の関門となった。
「議会選出の監査委員も含め、長い時間をかけて一語一句積み上げてきた報告書への質疑は不要である」旨の意見が出されたものの、代表監査委員が答えられるであろう範囲内での質疑は認めることとなり、的外れな質疑は議長判断で打ち切ること。そして、代監の報告による質疑応答が終了した段階で本会議を休憩し、すぐさま議員全員協議会が開催されることが決定した。
この段階で、ひとまず横手市議会がブラックボックスにならなくて済んだわけである。
そして、13時すぎに始まった全協。開口一番、「これからどうするの?」という流れにズッコケそうになった。どうしたってこれで幕引きを図りたい姿勢がみえみえだった。
午前中の質疑では、「地方公務員法等の順守について」は監査の段階で加味されていなかったことが明らかになっていたので、てっきり私は、担当職員を呼んで状況説明を求めるための全協となるものと理解していた。
やはり先に出てくるのは、「原理原則」であり「形式」であり「議会のルール」。
どういう手法で議論すべきかという手続き論が先に来るのである。
そんなことよりも、12対11ではあったが議会の総意として監査を求め、出された結果をとりあえずはオープンにしたものの、監査報告書の中身とこれまでの当局の説明に食い違いがあったことから、その部分を担当に確認するだけのことに何の問題があるのだろうか?
出席に応じてくれた担当者との質疑を要約すると、障害者就労継続支援訓練等給付費の支払いが遅れた理由は、システムのエラーが解消されていなかったことなど、チェック体制に不備があったとはいえ、当該施設が資金繰りに困っていたことから早急な対応が求められていたために、状況を市長・副市長に報告し「適切に対応せよ」との指示を受け、担当部長と課長の間で「好ましい手法ではないことは理解しつつも、今とり得る最速最善の方法」だとして、個人で立て替え払いをした、というのが実態のようだ。
監査報告書でも「地方自治法で認められていない立て替え払いにはならない」と判断しているように、事実は「それ以上でも、それ以下でもない」ということなのだろう。
このような事務手続きが「前例となってはいけない」ということは言うまでもなく、現場に対応を丸投げするばかりか、その尻拭いまでさせているのが、今の横手市役所の実態である。
もう一つの案件、「市内スポーツセンター売上金等一時紛失」については、手さげ金庫から無くなっていた現金がいつのまにか元に戻っていたことについて、事務監査の範囲では結局その理由がつかめなかったようである。
横手市役所には、どうやらタイムマシンだけでなく「取り寄せバック」もあるらしい。どうせなら、「暗記パン」と「グルメテーブルかけ」も用意してほしいものだ(笑)
いずれにせよ、市長は事務の不手際を黙認し、適切な指示をしていなかったことだけは明らかになったのではないだろうか?
こうしたことから、いわゆる100条委員会・調査特別委員会の設置ではなく、市議会として決議文を提出することが「落としどころ」として決定したものと理解している。
下記、決議文をご参照頂きたい。
大変厳しい内容である。
議会案2号として提出されたこの決議文、本来であれば議運委員長が登壇し趣旨の説明をし、討論・採決を経た後に決議文はめでたく成立の運びとなるはずが、この趣旨説明の朗読が抜け落ちたままに閉会宣告をしてしまうというアクシデントが発生した。
すぐさま進行をやり直して事なきを得たわけであるが、ライブ中継をご覧になっていた方々にとっては、「市の適切な事務執行を求める決議」なるものが提案されたことまでは理解できただろうが、その中身が紹介されないままに6月議会が閉会してしまったことに、驚きと戸惑いがあったことだろう。
議場にいた私たちも、あれ???趣旨説明は必要ないの?という空気に包まれていた。
録画放送をご覧頂ければ、うまく編集されていて何事もなかったように映る。
こんな不手際が成立してしまっている議会って何なんだろう。
確かに、今議会最終日の議会運営、議事進行は綱渡りの連続で、議会が決定的に真っ二つに割れてしまいそうなギリギリのところを、時には理不尽なふるまいにもめげずに最後まで職責を全うされた議運委員長の采配は実に見事であった。
議長の読み上げ原稿を作成する事務局の仕事ぶりに一言物申したい。
決議文の趣旨説明が抜け落ちていたこと。採決の数え間違いが起きてしまったこと。録画ビデオはうまく編集できたとしても、横手市議会史上、何とも恥ずかしい事例が記されてしまったことは揺るぎのない事実である。
確かに、最終日はイレギュラーの連続であった。シナリオを作成しきちんとチェックするいとまがなかったのかもしれない。であるとするならば、開会時間を遅らせてでも、きちんとみんなでチェックをすること。不備がないかを時間をかけて吟味することだってできたはずだ。チームで仕事ができていますか?的確な指示、リーダーシップは発揮されているのですか?
朝一番の状況で、今日は何時に終わるか分からない。場合によっては閉会後の日程は全てキャンセルせざるを得ないであろうことは容易に想像できたはずだ。それこそ徹夜国会のような状態になることをいとわずに、最新の注意を払った議事進行を心がけるべきであったように思う。1日を通じてバタバタしすぎていた。落ち着いてチェックする余裕もなかったように見えた。
これまで「原理原則」を強調してきただけに、まさにブーメラン。あまりにも痛すぎる幕切れであった。
市長は、この決議文の重みをどれくらい理解しているのだろうか?
全日程終了後、予定より30分遅れで行われた全国市議会議長会永年勤続表彰(20年・15年・10年)を祝う懇親会の席でも、自らの責任というよりかは、現場で起こった不手際を強調しているように聞こえた。
そういえば、一般質問の中で、地域局長の権限や責任についてやりとりがなされていた際にも「地域局長の奮起を促したい」という言葉づかいをしたことが強烈に印象に残っている。
僕はきちんと指示を出している。それでも批判されるのは、現場が言うことをきかないからだとでも言いたいのだろうか?
組織が栄えるかそうでなくなるかは、全てトップの資質次第だということを歴史が証明している。
11名の方々は、これで幕引きだと理解されているのかもしれない。
これだけ重い決議文を突き付けられたことに、トップはどのように受け止めて手腕を発揮していくのか。残された任期は4か月足らずであるが、最後まで私たちは、結果責任を問い続けていかなければならない。
その前に、残り時間など関係なしに、とるべき責任、その所在は明確にしなければならなということは言うまでもないことである。
そのことが、次に繋がっていくのである。
追伸・東京都議選が告示。これだけ全国ニュース、ワイドショーで取り上げられたことはないように思う。
私自身、前々回は有権者であった。何となく、お会いしたこともない自民党の新人候補に投票したことだけ記憶に残っている。
果たして、都政を劇場型にしてしまっていいのだろうか?ワンフレーズ、YES or NO だけで選択できるほど、2元代表制は単純ではない。
21日(水)、6月議会は閉会しました。
これまで、横手市がどうあるべきかという議論より、常に「原理原則」、「形式」、「議会のルール」が重んられてきた横手市議会。
私自身、議会でもそしてこのブログでも、これまで厳しい口調で当局の姿勢を質してきたわけであるが、今議会の進め方というのは、それらの説得力を失わせるあまりにもお粗末なものだった。
このことに対し、議会人として、横手市議会に所属する一人として、市民の皆様には申し訳なく思っている。
当初、こんなに荒れる議会になるとは思いもよらなかったが、終わってみれば、相変わらず議会は真っ二つで、補正予算が修正され、「市の適正な事務執行を求める決議」も提出される事態になった。
まずは、補正予算の修正について。
厚生分科会に委嘱された案件の内、衛生費・健康の駅推進事業208万7000円を削除する修正案が提出された。
この事業、事前の議案説明会でも強調されるわけでもなく、行政課題説明会等でも、なぜ必要な事業なのかということが説明されたことはないように記憶している。
確かに、横手市が進める健康の駅事業は、多くの市民の皆様に愛される施設として全国各地からの視察が相次いでいるものの、「どの程度の医療費削減に結びついているのか?」という質問が毎回出されるというのもお決まりのパターンであった。
今回の補正の提案理由は、「医療介護と『連携』してその効果を分析するため」という最もらしい説明で、これまでの問いかけに対し数字を示すことができるものなんだろうと、私自身単純に理解していたのだが、委員会審査の中で、「システム改修の事業効果は疑問だ」との指摘がなされ、よくよく聞いていみると、その疑問は深まるばかりであった。
「健康増進」という冠をつければ、どんな事業も許されるわけではないだろう。
当局には、とってつけた説明ではなく、なぜこの事業が必要だったのか、あるのとないのとで何がどう変わるのか、結果としてどのようなかたちで市民のためになるのかという核心を真正面から説明し提案すべきだったのだろうと思う。そうしていれば、同じ結果にはならなかったのかもしれない。
一般会計予算特別委員会では、定数26の内、欠員2、議長は裁決に加わらず退席し、予算委員長を除く22名の議員によって採決がなされ、11対11という可否同数。最後は委員長の採決によって「修正案可決」という結論にいたったわけであるが、私を含め、修正案に賛成し11名が起立しているのにも関わらず、最初に委員長が発した言葉は「起立少数」。
議場内は一時騒然となった。
議会運営の中で、絶対に間違えてはならないのがこの採決である。
私自身、議論が2分した時に賛成するのか反対するのか、その判断を下す瞬間というのは、心臓がギュッと縮まる感覚がある。その様子はインターネット中継され、結果は議会だよりにもはっきりと記される。誰が賛成し反対したのかというのは一目瞭然だ。
色々なものを背負い議場に出てきている私たちの決断を、数え間違えるなどということは許されないことである。訂正して済まされるような話でもない。
そもそもの事務局の想定が甘い。言い間違い、数え間違いという初歩的なミスは、予算を修正された当局側にも失礼なふるまいである。
横手市議会の歴史の残る事件であった。
それと、もう一つの波乱。
修正案の提案理由を説明した議員の言葉の中に、議会のチェック機能を鋭く指摘する場面があった。
そのワンフレーズが「見過ごすことのできない発言」だとして議会運営委員会でクレームが入り、発言の撤回に追い込まれることになる。
一般会計予算特別委員会がすでに閉会した後での指摘だったため、そのためだけに再度委員会を開きなおしてまで発言を撤回させるというのは物凄く違和感があったし、中継をみていた方々もきっと「何が起きたの?」と驚かれたことだろう。
議会運営の手法としては、再度委員会をわざわざ開かなくても、本会議の中でやれたのではという指摘も後からされていたが、それ以前に、「形式」を捻じ曲げるような手法で発言を撤回させたり、会派で同一行動がとられなかったことを叱責するというのは、一人ひとりが市民の負託を受けた独立自尊である議員の存在そのももを揺るがす危険な行為であり、議員の矜持を貫いたことにとやかく言われる市議会って、どっちを向いて仕事をしているんだろうと残念な気持ちになる。
今こそ、議員の発言撤回にはルールが必要だと思う。
今議会一般質問の中でも、通告外の質問をしたとして、そのやりとりの部分が削除されている。
議長の静止があったにも関わらずダメ押しで質問する姿を見ていると、最初からシナリオがあったのかなと、確信犯だろうなと感じたし、この方は過去にも発言の撤回を繰り返し、同一会派で3回連続というのは、何の指導も反省もしていないことを示す証左である。
お蔭で、本会議が1時間も中断し、議員にとって花の舞台である一般質問のスケジュールがくるってしまったというのは、わざわざ議場に足を運んで下さった方々、ネットなりラジオなりで注目して下さっていた方々に対し素直にお詫びをしなければならない。
今回も、「厳重注意」でそれ以上のおとがめなし。自ら役職を差し出すわけでもなく、その後の言動をみていると、次もまた同じことが起こるんだろうなと確信している。
想いが溢れ出た言葉と、確信犯の言葉が、結果論として「削除」と言う形で同一に語られている。その時々、受け手がどのような感情でその言葉を聞いているかによって、判断は分かれるものと思う。
確かに、過激な言い方だったかもしれないが、少なくとも私には正論に聞こえた。
しかし、不適切な言葉だと言われてしまえばそれまで、議会運営委員会の中で異論が出なければ「発言撤回」の流れは変わらないし、変えるような雰囲気にもなっていない。今は。
そういう私も、議員1年目に早速、一般質問での発言の撤回と謝罪を行った経験者だ(汗)。今思えば、若気の至りで無知の極みだったなと反省している。
「形式」を重んじるのであれば、不規則発言を繰り返す者に厳しい姿勢で臨むことが「原理原則」ではないのか?
私には理解できない理屈である。
ただ一つ言えることは、人は痛いところを突かれるとカッとなるし、それは図星だと認めていることでもある。プライドを振りかざすだけではなく、未来を語りましょうよと言いたくなる。
議会監査請求については、決議文の提出に至るまで、紆余曲折がありました。進め方も??の連続でした。
思いがけずの長文になったので、次回に譲ります。私の一般質問の総括もしなければ・・・
本日、議会運営委員会に引き続き急きょ開かれた、会派代表者会議。
3月議会最終日、「市内スポーツ施設にて売上金等が一時紛失した件と、障害者就労継続支援訓練等給付費の支払いが遅れた件」について、緊急動議で提出された議会監査請求に対する報告書が出されたことを受けて、今後の対応を協議する趣旨であった。
先週の木曜日、議員全員協議会の場において、今後議会としてとり得る対応策について全国市議会議長会へ問い合わせた結果報告がなされたわけであるが、なぜ今日、全員協議会を開かなかったのだろう。開けない理由など何もないはずだ。
あえてワンクッション挟んだことに、何か意図を感じるのは私だけだろうか。
監査報告書の内容について、「これ以上でも、これ以下でもない」という理由から、3月議会最終日の本会議で緊急動議がなされた事案を、単なる文書を受け取るだけで幕引きを図るというのは、それこそ「ブラックボックス」そのものではないか?
議長名で文書で監査請求をしたから、文書で報告書を受け取った?
確かに、手続きとしてはその通りである。
でも、よくよく考えてみてほしい。新聞報道もなされ、市民の皆さんからも感心が寄せられているという事実を。
「開かれた議会」を実践する気があるのなら、議論するまでもなく、本会議場で監査委員からの報告を受け、その文面に対する質疑を行うこと。結果として答えが「それ以上でも、それ以下でもない」となったとしても、そのプロセスをきちんと議事録に残し、ネット中継で発信することこそ、議会の総意で監査請求をしたことに対する我々の責任であると思う。
そもそも、12対11という僅差で監査請求を行ったという事実がある。
11名は、そもそも監査請求をする必要はないという方々なのだから、この報告書を受けて、「これ以上なにをやりたいの?結果は出ているではないか」という考え方に変わりはないのだろう。
議会として、これ以上の調査権を発動するかどうかはこの次のステップであって、プロセスを明らかにすることというのは、協議をするまでもなく当たり前にやらなければならない手続きである。
あさっての最終日、当然のことながら本会議前に議員全員にそのことが説明され、追加日程として本会議での説明があるものと私は思っている。
もしそうならなかったら・・・横手市議会はそういう場所だということである。
さて、この週末。17日(土)は、自民党秋田県連定期大会に参加して参りました。
金田大臣には、この期間2度上京する機会があったものの会館に立ち寄るだけで、きちんと顔を出せなかったことを弟子として申し訳なく思う。
「頑張れよ!」
多くは語らずとも、通じ合う関係である。
ありがとうございます。くれぐれもご自愛され、国家国民のために職責を果たされますことをお祈りしております。
特別ゲストは、参議院自民党議員会長の橋本聖子先生。
金田先生とは、参議院平成7年初当選組の同期である。
現役時代を含め、オリンピックに15回関わっているという橋本先生のお話は、2020東京オリンピックに向けて何をすべきか、何をしなければならないのか、地方の私たちに何ができるのか、様々な気付き発見のある貴重なお話であった。
オリンピックはスポーツの祭典か?
そんな単純な話ではなく、まさに開催国の文化力と経済力が試されているのである。お祭り騒ぎのイベントではない。
今まさに、世界中が日本という国を、日本人に対し大きな注目を寄せているときこそ、私たちの歴史伝統文化、日本という国の素晴らしさを全世界にアピールする最大のチャンスなのだ。
2020がゴールであってはいけない。
2004年アテネオリンピックの後、ギリシャは財政破たんに追い込まれたように、その後の国家の姿、あり方というものを描き切れているのかが重要である。
2012年。成熟した大都市で開催されたオリンピックの後、ロンドンは世界一の都市になったのだ。
少子高齢化・人口減少に突き進む我が国でオリンピックが開かれるという意味。
あと3年しかないのだ。
縮小する社会の在り方をしっかりと見据え、まったなしにビジョンを示さなければならないのである。
体育施設は商業施設であるべきだ・・・
スポーツ文化観光が融合し、医療をも巻き込んだ、誰しもが訪れたくなる魅力を秘めた拠点にしていかなければならないのである。
老朽化したから?防災拠点?
はっきり言って、それだけでは弱いのだ。自分たちなりのスポーツ立市もシティセールス2020も、私たちは、ほとんど何もやっていないに等しいということを痛感した。所詮、自己満足で井の中の蛙。
DMOとスポーツの融合こそ、スポーツ立市よこてを掲げる意義なのだ。
ホストタウン招致に手を上げたのであれば、2020以降の横手市の姿を語れなければいけない。何のために東京オリンピックに関わるのか、東京のために何ができるのか・・・
同じ釜の飯を食った仲間たち、そして全県各地でお世話になった方々との再会。全て、15年の蓄積である。
青年局も、頑張りましょう!
昨日18日(日)は、横手市大雄消防団の伝達講習会が行われた。
小型ポンプ操法の3番員として4年目となる。昨年はボロボロだったので、なんとかリベンジを果たせれば。
昨日教えて下さったのは、大雄中学校野球部の1年後輩。
ブルペンで、彼の球をずっと受け続けてきたことが懐かしく思い出されます。
先輩に気を使わずに、悪いところは悪いと容赦なく厳しくご指導ください(笑)
2週間後、7月2日(日)の訓練大会に向け、消防団の夏が今年も始まります。
追伸・ボールの落としどころが、「公平公正」からかけ離れているように思う。
覚悟を持って職責を果たそうとしている者に対し、上から押さえつけているだけに映る。守るべきものが違うようにも思う。
それと、事の重大さを理解していないのではないか?誰も指導しない。だから同じことを何度も繰り返すのだと思う。
もう一度言う。
資質が問われます。