奥 山 豊 和 (おくやま とよかず)公式ブログ

培った経験と人脈を活かし、生まれ育った故郷を元気に。
対話重視、市民が主役の市政運営を取り戻します。

『未来への挑戦』とは?~明日から3月議会。

2016-02-23 22:21:31 | 日記

横手の雪まつりも無事に終わり、春の足音が近づきつつある。

今年も神奈川県厚木市議会の皆様を迎え、大いに交流を深め刺激を得ることができた。

同じく友好都市の茨城県那珂市議会の皆さんは選挙戦と重なりお越しいただけなかった。
お疲れ様でした。またお会いできる日を楽しみにしています。


さて、21(日)は横手市冬季防災訓練が行われ、災害対策本部の状況を見学してきた。



積雪寒冷地という特性を踏まえつつ、こうした訓練を積み重ねることによって冬季防災計画の策定につなげていくことが重要である。

議会でも災害発生時の初動マニュアルに基づき、一斉メールにて議員の安否確認を行うという訓練を初めて行った。個々の初期対応を考える上でも重要な訓練であった。

それにしても、「指定ヘリポートの除雪」訓練というのはなるほどなと思った。

ヘリコプターが降りられなければ、救助活動もできないし救援物資を届けることもできない。
豪雪地ならではの見過ごしてはいけないポイントである。

1時間を予定していたが半分の時間で除雪作業は終了。

ドローンを使っての実況中継を災害対策本部で見ることができた。

実際に全国各地の災害現場においても、どこで何が起こっているのかを本部で把握できずに対応が後手後手になっているということを危機管理課長がおっしゃっていた。

タブレット端末が導入されれば、リアルタイムの状況を画像や動画によって報告できるという利点も考えられる。今後の推進会議の議論の中で提案し、運用規定に加えていければと思う。


そして、昨日22日(月)は、恒例の「横手湯沢地区自衛隊入隊・入校予定者激励会」が湯沢市で行われた。



日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している中、自衛隊の皆様は、日夜祖国の平和と安全を守るために職務に精励されており、国際平和協力活動のみならず自然災害時には最前線で救援活動を行って頂いているなど、まさに私たちの日々の生活の安全安心にとってかけがえのない存在である。

崇高な使命感の下に入隊・入校される皆様が、仲間と共に厳しい訓練を乗り越え、誇りと信念を持って職務にまい進されることを願ってやまない。


さて、いよいよ明日から3月定例議会が開会する。

平成28年度予算案の審議とともに、一部報道で皆様ご承知のこととは思うが、、「よこてアリーナ構想」が大きなテーマになりそうである。

しかしながら、一般会計・特別会計・企業会計を合わせ960億円をお預かりする重要な立場として、一つ一つの政策、事業についてもしっかりと審議をしていかなければならない。

合併10年の節目を迎え、第二次横手市総合計画、地方創生の総合戦略等々が動きだし、これからの横手市の行く末を左右する重要な議会である。

来年度予算からは、総合計画と予算、行政評価が連動する新たな行政経営システムが導入される。

限られた財源の中でこれまで以上にしっかりと成果を出していくこと。そのことによって、確実に横手市を未来につなげていかなければならない。

全戸配布されている「平成27年度版わかりやすい予算書」の中には次のように書かれている。

「来年度(28年度)から『親からの仕送り』が減らされます!

節約して家計を切り詰めることが必要不可欠です。

今後は、これまで支出してきたものの必要性を根本的に見直すともに、、財産についても古くなったものを見直すのか、処分するのか、新たに買うものは本当に必要かどうか、厳しく判断しながら収入に見合う家計とするために切り詰めていくことが必要不可欠です。」

この事をどう捉えているのだろうか。

「未来への挑戦」?

自分たちのまちの未来を外部の力に委ねてはいけない。

地方創生を成し遂げようとするならば、そういうことはもう終わりにしなければならないのだと思う。

そういうものに頼らずに、成熟した人口減少社会の中において、子どもたちに夢と希望を与え若者が定着し、市民一人ひとりがふるさとに誇りと愛着を感じられるようにしなければいけないのである。

その事こそ、真の「挑戦」なのだと思う。

何度でも言いたい。

いくら行政が上から目線で事業を打ち上げても、それは地域には根付かない。

協働。

そして、市民と共に。

10年間で壊れてしまったもの、新しく生み出されてきたもの。

現場から湧き上がる熱い想いこそ政策に結び付けていくべきである。

そのために汗をかくのが、政治家たる議員の役割だと信じている。








肯定と否定~『地方創生』を学ぶ~

2016-02-12 22:00:42 | 日記

10日(水)は、横手市議会主催による「『地方創生』を学ぶ研修会」が平鹿生涯学習センターを会場に行われ、市内地区会議の方々や市職員、そして県南地区の市議会議員の皆さんもお迎えして盛会裏に行われた。



講師は、東京大学の金井先生。

「『地方創生』への自治体の採るべき対応」と題してご講演を頂いた。

先生が横手に来られるということで、早速共著されている『地方創生の正体』という本を先日電子書籍で購入したところだが、まだ読んでいない(汗)

(電子書籍、重宝してます。文字を大きくできますし、マーカーも引けます。)

「なぜ地域政策は失敗するのか」というなかなか厳しい書き出しである。
『地方消滅の正体』に引き続き、じっくりと読ませて頂こうと思う。

それでは、講演の内容について振り返ってみたい。

70年代から人口減少問題は言われていて、だからこそ過疎法というものがつくられた訳で、どこか都会には関係ない地方だけの問題のように捉えられていたものを、先般の「地方消滅レポート」が無関心の人にも火をつけるきっかけを与えたということである。

この問題の本質は大都市圏にあるにも関わらず、都市と地方の分断、地方の市町村の問題にすり替えられてしまい、頑張っている市町村を応援すればいいというようなどこか他人事のようになってしまっている。

何も本質的な対応がなされないままに2年が経過してしまい、個々の自治体で対処可能な域を超えていて、戦術以前にそもそもの大戦略が間違っているとの事で、安倍政権が掲げる「まち・ひと・しごと創生」には批判的。

あれだけ真っ向から否定されると地方創生など無意味なように聞こえてしまうが、その中で私達が取り組むべきヒントも多数隠されていたように思う。

2004年、三位一体の改革で地方交付税が12パーセント削減された衝撃が、一気に平成の大合併へと突き進んでいった構図と似ていて、「地方消滅」という言葉にショックを受けて、消滅しないために総合戦略を策定し交付金を与える、そうすればあなたのまちは助かりますよという誘導を行っている。

そして数年後、あの時対策をとったけど助かる見込みはない。頑張ったけど仕方がないという無力感、消滅を静かに受け止めてもらい地方を切り捨てる。

このレールに乗り続けるのか離脱するのか、各自治体の判断が問われているということだ。

だからこそ、合理的な人口ビジョンなどつくる必要はない。消滅に向かう施策に真面目に取り組む必要はないとおっしゃっていた。

大都市の働き方に手をつけなければいけないのに、全くそれをやっていない。国の戦略は間違っているという痛烈な批判。

移住対策など所詮若者の取り合いになるだけであり、人口減の中でいかにして地域社会を維持していくのかを考えなければならず、一部の人が助かる政策を国としてやるべきではない。

国にアイデアがなく自治体に委ねているだけ。内発的発展論(地域住民自らがコミュニティー組織を通じた主体的な合意形成を経て、自らの手で地域形成を行いその地域の発展を目指す)は80年代から分かっていることだ。

起死回生の名手が生まれているわけではない。効果のない号令をしていることの意味、それは数年後の消滅を正当化するための布石、努力の足りないまちが消滅するという自己責任にすり替えるものである。

数量主義をいかにしてやめさせるか。
人口という数が多いことを目標にしてはいけない。

人口減少社会に入ってしまった以上、負ける(数が減る)戦いはするなということだ。
少なくてもいいじゃないかと転換できるか。数より質だという風に考え方を変えられるか。

消滅の宣告を割り切り、多ければいいという20世紀型の呪縛からいかに解脱していくか。

増田レポートは人口減少を直視するというメッセージが込められていたが、「地方創生」、「まち・ひと・しごと創生」という政策に移っていく段階でそこが抜け落ちてしまった。着眼は良かったが方向がずれてしまった。

結びに、議会は何をすべきかということに関しては、

人口減少が不可避の中で、考え方を転換し新たな展望を開くのが政治家たる議員の役割だ。

という強いメッセージを頂いた。


「地域活性化策は以前からずっとやってきたではないか。

人口ビジョンなど真面目につくらなくてもいい。

国が進める地方創生のレールに乗り続けるか、離脱するのか。自治体が判断すべきだ。」

だからといって、「何もするな」ということを先生は言っているのではないと思う。

先進事例を研究しそれをわが街に無理やり当てはめようとしたり、国の交付金をうまく使って地域に根を下ろさない単発的な事業をやったり施設を建てようだとか、6次産業化と称して新鮮で美味しい作物から美味しくないお菓子を作ったり、にわか地方創生コンサルの言うことを鵜呑みにするなということなのだと思う。

自ら考え自ら行う地域活性化策こそ地方創生なのであり、住民票を登録している数にすぎない人口の増減に一喜一憂するのではなく、成熟した人口減少社会の中で、ハコモノに頼らない、行政主導で上から目線で行わない、地域で考え地域が望むものを後ろから支えていくしかけづくり、そういう考え方に変わらなければいけないのだと思う。

これだけ地方創生を批判するお話ははじめてだった。

しかし、国の地方創生政策をよいしょして上からなぞっているだけで、何ら具体性のない話よりはよほど聞きごたえがあった。

肯定と否定。

じゃあどうするんだ?ということは、地域に暮らし地域を守る私たち自身が当事者意識を持って考え実行していかなければいけないということに尽きるのだと思う。

ナイスな勉強会をセットして頂いた事務局職員に感謝します。

「挑戦」という言葉の意味を履き違えてはいけない。それが、明日への責任を果たすということなのだろう。


「風にのれ、君の声援、君の汗」 ~京都で若市議研修 Part3~

2016-02-04 22:57:15 | 日記

立春。横手はとてもいい天気だ。

今日は、地元大雄地域局にて幹部職員の皆様より来年度予算の概要説明を受け、地域が抱える様々な課題についての意見交換が行われた。

地域の現状を知る上でとても貴重な時間だ。

今に始まったことではないが、現場に山積する課題と横手市が進めようとしていることに矛盾を感じている。理想と現実の乖離。そして、政策決定にバランス感覚と優先順位を考えなければならない。


昨日は、午前中に総務文教委員会議員懇談会。そして、昼食をとりながらのタブレット端末推進会議が行われた。

どちらの会議も、現場の担当職員の皆さんは必死に汗をかきながら緻密な計画を積み上げておられることには敬意を表するものである。

夕方は、恒例の横手市飲食業連合会の大新年会に参加。

冒頭、ご逝去された連合会の石井前会長と、最高顧問を務めておられた川俣先生への哀悼の意を表し、皆で黙とうをささげた。

連合会の支柱であった偉大なお二方を失い、今こそみんなで結束して横手市飲食業連合会を盛り上げ、心一つに横手の元気づくりにご尽力頂ければと思う。

私自身、秘書時代のご縁でお誘い頂き通算何回目の参加だろうか。これからも飲食業のみならず、生衛業の応援団として活動して参りたいと思っている。

今年もよろしくお願い致します。


さてさて、京都研修報告三部作完結編。

空き校舎活用の2例目、「京都芸術センター」を視察した。

明治2年に創設、平成5年に閉校した明倫小学校を活用したもので、京都市と芸術に携わる人たちが連携し、芸術の総合的な振興を目指して活動を支援し広く情報発信することで、芸術を通じた市民と芸術家等の交流を図るために平成12年に開設。







現在の建物は昭和6年に改修され、当時では最先端の鉄筋コンクリートづくりで、赤みをおびたクリーム色の外壁やスペイン風屋根瓦のオレンジ色など、温かみのある雰囲気は京都市がデザインした建物のようだ。



教室がギャラリーとして活用され、年間を通じて様々な展覧会が開催されている。



下駄箱風の棚。

この部屋には、各地の芸術・文化に関するチラシ、イベント告知のポスターなどが飾られている。

他にも、事業アーカイブや芸術・文化についての書籍を収集公開している図書室や、明倫小学校の歴史を学ぶこともできる談話室、教室をそのまま活用したカフェもあった。

公益財団法人京都芸術文化協会が平成18年から指定管理を受けており、京都の持つ特性を活かし、様々な芸術の融合を図る実験事業や京都の優れた伝統的芸術文化遺産を現代に生かすための伝統芸術創造プログラム、地域の文化や産業とも連携を図る事業などを展開している。

また、国内外の芸術家や団体を公募・審査し、活動の場の提供を行う制作発表の支援、市民との交流事業も行っているようだ。

地域との関わりという点でいえば、マンガミュージアムの龍池小学校と同様に密接に行われており、祇園祭の山鉾の展示や地域の文化祭等、地域が主体の様々な催しを通じて大いに賑わいが生まれている。

歴史と伝統あるまちに世界中から様々な芸術家が集まっているという背景を踏まえつつ、展覧会や舞台公演を観るための場所としてだけではなく、様々なワークショップを行い、制作室を提供することによる芸術家支援も行っているというのがとても興味深かった。

まさに空き校舎を活用したこの場所が、歴史と伝統を継承し、京都の芸術文化振興の拠点として大きな役割を担っているのだ。

マンガミュージアムからは徒歩10分位だろうか。ちょうど縦に地下鉄一駅分だった。

大都会のど真中、確かに都の面影はあちらこちらに残されている。新しく作られた古いたたずまいというものも多い。

学校と学校の間を自分で歩いてみることで、生活の中に番組小学校がつくられた意義というものも感じ取ることができた。

どちらの建物も、10億円前後のお金をかけてリニューアルをしている。

そのことが財政的にどうなんだということではなく、地域で生まれ、地域で守り、地域と共に生き続けてきた大切な場所を、未来にも繋げていこうという強い意志、覚悟を感じた。

あるものを活かす。

その言葉の本当の意味を、私たちはどこまで理解しきれているだろうか?

どんどん新しいものを作っていくことが、これからのまちづくりではないはずだ。

ハコをつくることで地域が賑わうのであれば、日本はこんな国になっていないだろう。

そういう安易な考えを改めることができなければ、地方創生などできるわけがない。

行政主導で新しい施設を作ったとしても、組織を作ることも同様である。それが地域に根差していなければ、一時的に潤ってもその街が本当の意味で活性化することはないのだと思う。

ハコを作ることが目的ではいけない。

そこにいかにして魂を入れるか。地域住民の意思、共に作り上げていくという当事者意識を抱けるような進め方、しかけをしていかなければならないのである。

その事を大いに考えさせられると同時に、物事の捉え方の根本的な部分を学んだ、古都・京都での素晴らしい研修会であった。

改めまして、研修をセットして頂いた関西ブロックの皆さん、お忙しい中ご対応下さった全ての皆様に心から感謝申し上げます。

この経験を地元でも活かして参りたい。


解散したのは3時半すぎ。空港行のバスの時間まであと2時間位。

よし、あの場所へ行こう!

京都は「約束の地」だということを申し上げた。

修学旅行の行き先として大定番の街である。関東では中学生の時に行くようだが、私たちは高校2年生の春に、京都・奈良・大阪方面に出かけた。

実は、そういうことではない。

高校3年生最後の夏。1997年、この京都でインターハイが行われることがすでに決まっていた。

私は、来年必ずこの場所に返ってくることを胸に刻むために修学旅行に出かけた。

3日位練習ができないわけで、早朝宿舎の周りを走りイメージトレーニング、空ターンを繰り返しながら心に誓ったのである。

そして、たどり着いた決戦の地。総合開会式、そして陸上競技のメイン会場は西京極競技場。

しかし、ハンマー投げという競技は一投一投芝生を傷めることから、予選会場は別グランドで行われるのが常だ。



ここは、競技場から一駅先にあるとある高校のグランド。

当時は、野球場に仮設でつくられた投てきサークル。ここで事前の練習、予選が行われたのである。

あれから19年。記憶を頼りに校舎の周りを一周したが、当時の面影はなかった。
響き渡るハンドボール部、サッカー部の生徒たちの元気な声、道路を走る陸上部の姿・・・

今の時代、勝手に学校敷地に入っていくこともできない。
タイムリミットが迫っていたので来た道を引き返した。

当時、試合前の調整練習に出かけると、60メートルラインにばんばん痕跡が残っている。

ハンマーを60メートルも投げる人間を目の前で見たのは初めてだった。
体格は遜色なくても、パワーもスピードも桁違い。どんな練習をすればこうなるのか、これが本当に同じ高校生なのかと圧倒された。

予選通過ラインは52メートル。
私の自己記録に満たない数字である。

普通に投げれば通過できるかもしれない。

どこか心の中に、決勝に残って本会場で投げる姿を想像していたのだろう。

結果は、50メートルにわずか届かずに予選敗退。

己という小さな小さなコップの中で勝手にもがき苦しみ、何もさせてもらえずに私の夏は終わった。

あの時の脱力感、無力感を忘れることはできない。

失って初めて、自分なりの努力というものがいかに独りよがりで井の中の蛙だったのかということに気づかされたのである。

忘れ物を取りに来ることはもうできない。

しかし、こうして記憶の場所に立てたことで、まぶたの裏に広がるあの時の景色、心の底から湧き上がってくる情熱・・・

「風にのれ、君の声援、君の汗」

大会スローガンを今でも覚えている。

一度しかない青春を捧げ、情熱を注いだこの場所に戻ってこられたこと。

自分の人生を賭けて戦った誇りをいつまでも心の奥底にしまっておきたい。


京都研修報告三部作、これにて完結。





「マンガ」の夢 ~京都で若市議研修 Part2~

2016-02-02 23:50:00 | 日記

もう2月。

各種新年会と共に、1月もあっという間だった。

29日(金)は横手青年会議所の35周年式典・祝賀会に一会員として参加。

30日(土)は地元農協青年部の仲間たちと親しく新年会。
何気ない会話の中に色々なヒントが隠されている。今後の政策提案につなげて参りたい。

31日(日)。お隣大仙市にて開催された、恒例の秋田県東部郵便局長会の新春発展会に参加。



特別ゲストは、前内閣府特命担当大臣で徳島2区選出の衆議院議員、山口俊一先生。
自民党きっての郵政エキスパートの先生であり、議員連盟等の活動で秘書時代ご指導頂いた経験がある。

「郵政三事業の連携とユニバーサルサービスの維持」について、その大切さ、必要性を熱く訴えておられた。

毎年この特別講演には、様々な先生がいらっしゃることからとても楽しみにしていたが、実は30分ほど遅刻してしまった。

大事な方から、急きょ有難いお呼び出しを頂いたためである。

こうして横手で膝を交えたのはいつ以来だろうか。
落ち着いたら、次は東京でゆっくりお会いすることを約束した。


さて、お待たせしました?

前回の続き、京都での若市議研修報告第二弾。

小学校跡地の活用例として、2か所を視察させて頂いた。

まずは、京都国際マンガミュージアムへ。

昨年10月に、横手市増田まんが美術館が開館20周年を迎えた際にお越し頂いた京都精華大学の吉村先生の特別講演にもこの「マンガミュージアム」のお話が出ていたことから、いつか行ってみたいなと思っていたところ、ナイスタイミングで全若の研修メニューに入れて頂いたことをとても感謝している。

あの時は、確か空き校舎の活用というお話はなかったと思うので、まさかこのような形で運営されていることに別の意味での衝撃を覚えた。

まずは、外観。



市街地のまさにど真中。





初めに、講堂にて施設の概要をご説明頂いた。

明治2年に創設され、平成7年に閉校となった龍池小学校。

それから10年後、京都市と京都精華大学の共同事業として、マンガ資料の収集・保存、マンガ教育の研究や人材育成、博物館・図書館機能を持つ日本初のマンガ文化の総合的拠点が、地域の交流の場、生涯学習機能も兼ねたかたちで開設された。

クールジャパンとしても日本のマンガは広く世界に知られており、京都という屈指の観光地ということもあり、年間28万人程の来館者の内、実に2割が外国人客とのことである。

英語・フランス語・中国語への対応、今年は30万人に届く勢いのようだ。
確かに、視察中多くの外国人とすれ違った。

施設の運営は、京都精華大学の国際マンガ研究センター。

建設費については市の助成もあったようだが大学の資金が主で、研究機能を有することから文科省の補助金も受けている。

年間の維持費の内、3分の2が入場料やショップ等の売り上げ、残りの3分の1は大学の財政に頼っているようで、この部分をできるだけ圧縮していきたい考えのようだ。

市長からもマンガコンテンツを活用した新事業を生み出すことを期待されており、「読んで、学べて、体験できる、マンガ文化の総合博物館」の限りない可能性を肌で感じ、それと同時に、歴史ある京都の街に深く根を下ろしていることの意義、大切さというものを学ぶことができた。



壁には、児童の似顔絵が飾られている。



奥に見えるのがステージの幕。至る所に学校の雰囲気が残されている。

床は板張りで、私でなくても歩けばギシギシと音がする。これがいいのだ。



昭和4年の建物。タイムスリップした気持ちになる。



子ども図書室。



地域集会室の中では、地元のご婦人方が楽しそうに懇談されていた。



歴代の校長先生の肖像など、龍池小学校の歴史を知ることもできる。

校長室は応接室になっているなど、学校の作り、教室の雰囲気をできるだけ活かしている。



壁一面にあるマンガ。ソファーに腰かけて真剣に読んでいるお客さんがたくさんいた。
これなら、一日いられますね。



人工芝のグランドでは、地域の運動会が今も変わらず行われているそうだ。

30万点という世界最多の収蔵数を誇り、地下には(地下室のある小学校というのは大変珍しいそうだ)、温度湿度管理された貯蔵室が。

マガジンやジャンプ、サンデーなどを創刊号から収集しており、古いものは出回っている数も少なく、こういった収集のための予算が不足しているのが現状のようだ。

今後は、なかよしやリボンなどの少女系も収集していくとの事。

(ちなみに、私はジャンプ派、姉はなかよし派だった(笑))

ご案内頂いた事務局長さんいわく、リニューアル前にこの地下室に入った当時は水浸しで壁も剥がれ落ちていたようだ。

閉校から10年という時間が建物の劣化を進め、それでも予算をつぎ込んででもあるものを活かすという姿勢に大いに考えさせられた。

マンガ好きの市民、海外を含む観光客、そして、今もここに暮らす地域の方々。

施設に訪れる目的やベクトルことそ違えども、それぞれの融合によって生み出されるケミストリー・・・

横手が京都の真似をしても仕方ないし、できるはずもない。

正直な話、京都でも「なぜマンガ?」という声が最初は少なからずあったようだ。

マンガの夢。

専門家を招きそれを地域に丁寧に説明し、そして、地域と共に考えこの施設を作り上げてきたという事実。

横手市が目指す「増田まんが美術館」を核とした地方創生の実現に向け、その可能性を大いに感じ取ることができたし、子ども頃にあこがれたマンガの世界、そして、今もなお多くの方々を幸せな気持ちにしてくれるマンガ文化の素晴らしさに心奪われ、胸が熱くなった。

今後は、マンガの収集保存していくための安定的な予算確保はもちろん、価値あるものを活かすためにも、専門的知識を持つ人材をきちんと置くことが大切である。

今回見てきたこと、感じてきたことを活かし、これからも「増田まんが美術館」を微力ながら応援して参りたいと思っている。


空き校舎活用の2例目は「京都芸術センター」。
これもまた、京都らしいものすごい施設だった。

次回、京都研修3部作完結編へ続く・・・