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奥 山 豊 和 (おくやま とよかず)公式ブログ

培った経験と人脈を活かし、生まれ育った故郷を元気に。
対話重視、市民が主役の市政運営を取り戻します。

秋田新時代の夜明け。

2025-04-21 22:41:24 | 日記

投稿が前後してしまいましたが…

この度の秋田県知事選挙において、我らが鈴木健太さんに対し多くのご支持ご支援を賜りましたこと心から御礼を申し上げます。また、他陣営含めこの度の選挙戦に携わった全ての方々に深く敬意を表します。

「横一線の大激戦」と言われていたのに、まさか8時ちょうどに当確が出るとは!正直驚きでした。

実質後継としてほぼ全ての政党が相乗りする形になった相手候補に対し、【県政刷新】を掲げた健太さんに、新しい風に期待した結果なのではないかと思っております。

【地方消滅】という問題提起から10年。全国一の水準で人口減少が進む全国ワーストの秋田県。この閉塞感を若い力が打ち破ってくれるのではないかという県民の期待、長年蓄積されてきた切実な想いが寄せられているのではないかと、この数ヶ月間、健太さんの横手市内での活動に同行した自分自身が肌身に染みているところです。

(それにしても、完全アウェーといわれた地元での勝利は格別ですネ…)

これまでにない盛り上がりを感じた知事選でしたが、投票率は全体で6割弱。

先の千葉県知事選は3割強でしたし全国的には高い方なのかもしれませんが、4割の方は投票を放棄している現状。投票所の数が右肩下がりで減っていることも考えれば、物理的に投票に足を運ぶことのできない方々も多くいらっしゃるような気がしています。

「期日前」が定着していることからも、これからは移動投票所をきめ細やかに設けるなどの手段も必須です。

事前の「公開討論会」のネット配信や、web上でどの候補者と自分の考え方が近いのかを調べることができる「マッチング」などなど、16年ぶりに秋田県のトップが代わるこの瞬間に、自分の目で見て聴いて、自分の意志で判断する材料、土壌が整ってきているようにも感じました。

一方で、政党や団体、いわゆる【組織】が締め付けるような時代ではないし、かつてのようなまとめる力もだいぶ弱くなってきているようにも思います。

事前に69市町村単位で行われた「語る会」や、街頭演説会に集まってくれた皆様、選挙カーの声を聞いて駆け寄ってくれた多くの方々。全県各地でみかけた「健太推し」の子どもたち、うちわを振って声援を送る御婦人方…そして、選挙戦を支えた多くのスタッフ、全県各地の同志議員各位。損得勘定などなくみんな【人間・鈴木健太】の魅力に惚れ込み、この人なら、秋田を変えてくれるのではないかという大きな期待感がうねりとなり、全県に爽やかな【健太旋風】が巻き起こりました。

そして、この2週間。私のような者にまで「良かったね」と声をかけてくれる方が思いがけずたくさんいらっしゃって、とても嬉しい気持ちですし、大小様々な選挙を様々な立場で経験してきましたが、選挙が終わったのにも関わらずこの熱量、こんな感覚・感動は初めてです(涙)

 

そんな、鈴木健太新知事が本日初登庁。

ともすれば、誰が知事になったって俺達には関係ねぇと言われてしまうほど、県の仕事というものは見えづらく身近ではないというのが多くの方々にとって偽らざる気持ちなのではないでしょうか。

それ程に、普通に生活していて県と関わる機会というものは少ない訳ですが、実は私自身子どもの頃の遠い記憶を辿ってみると、小学校の遠足で秋田市の大森山動物園となぜか?県庁を訪れ、当時の佐々木喜久治知事と面会したことを覚えています。

(私の母校・阿気小学校だけだったのか、今でもやっているのかどうかどうか分かりませんが。)

健太さんは、いわゆる「お上意識」を捨て、「目線を下げてみんなと一緒になって走るリーダーを目指す」とおっしゃっています。

県がより身近な存在に、開かれた場所に、一緒になって地域課題解決に取り組むパートナーとなってくれることにも大いに期待しているところです。

 

いざ行かん!新しい時代、新しい秋田、秋田新時代の夜明け。

これからがスタートです。

健太新知事と共に…

 

(この写真は、一生の宝ものです。ありがとう、遊説隊長!)

 

追伸

佐竹知事が退任されました。

4期16年という長年に亘り、様々な課題を抱える故郷秋田を牽引されたご労苦に対し、心から敬意と感謝を申し上げるものです。

退任にあたり、「変化への対応」を強調されていた姿勢が印象的でした。

日々農業に従事していると、自然相手なものですから思い通りにならないことに数多く直面します。父が「毎年が1年生」とポロッと口にすることがありました。

些細なミスを引きずることなく常に前を向いて対応していく…

「日々新に」。常に前向きな気持ちでありたいものです。


市政懇談会。

2025-04-19 22:07:25 | 日記

何じゃこりゃー!!

今日、市政協力委員→班長さんがわざわざ全戸配布してくれました。

いつの頃からか、【市政懇談会】が【市長独演会】にすり替わってしまっている横手市...ヤバいよヤバいよ(汗)

どれもこれも大事な話であることに変わりはありませんが、果たして税金を使ってやる事なのか?

本来は、市長自ら地域に出向くことで市民と膝を交え地域課題を共有し、日々の生活のお困りごとをお聞きしたりするなど、広くご意見ご要望を承り今後の市政運営に反映させる事を目的に行われるべき性格の催しだと私は理解しています。

議員時代、広報広聴委員長としてきめ細かく地域に出向き「意見交換会」を開催してきたのは、市民の声を議会の政策提言に活かしたいという想いからでした。

質疑応答の時間はあるのでしょうか?

町内会の要望でさえ「予算がない」と門前払いしているようですし、市民の切実な【陳情】をガン無視するような方がわざわざ地域にお出まし下さるということですので、お時間の許す方はぜひご参加の上、地域の未来について語り合ってみてはいかがでしょうか。

 

 追伸

余談になりますが、「政治には金がかかる」と言われる所以について、国会議員秘書、地方議員を経験した立場で解説をさせていただきます。

政治家が「報告会」を開催する場合、とりあえずはインターネットやSNSを通じてお知らせを試みますが、それだけでは不十分(不安)です。

後援会員に直接郵送したり、場合によっては新聞折込やポスティング等莫大なお金を投じて【周知】することで、「報告会」は「それなりの形」で開催できるというものです。

(郵送代は1回数万、数十万単位が普通です。)

その原資は政務活動費であったり政治資金であったり私費であったりしますが、それは政治家個人の持ち出しです。

広い選挙区をくまなくまわる場合のガソリン代…かつて国会の予算委員会で「地球何周分!」などというしょうもない指摘がありましたが、自転車でまわれるような都市部の選挙区と違って、地方の議員が負担するガソリン代はそれなりの規模となります。

私も月数千km走っていました。自前の車は痛むしタイヤは減るし…大変でした。

一方首長は、税金を使って【周知】ができるし、税金から公用車も運転手も秘書もあてがわれています。

(当然、「公務」だからなのですが。)

自民党の裏金問題は、国民の【政治不信】をかつてないところまで高めるきっかけとなりました。

事務所を運営し、秘書を雇い、政治活動を継続するためにはそれなりの資金は必要です。だから国会議員は政治資金を集めるためにパーティーも開催するし、企業団体献金を頂戴しなければならないのでしょう。

裏金で私服を肥やしていたのかどうかは知りませんが、【入と出】を含めて使った政治資金は全て公開するのが基本ではないでしょうか?

地方議員の「政務活動費」は領収書を含め全て公開されています。

 

 追伸の追伸

余談の余談ですが、市議会議員時代、「議会報告会」にまつわるエピソード。

全国的に流行りの「議会基本条例」に記載されているからという理由で深く考えずに「議会報告会」を開催し、市で決まったことを【事後報告】し住民から【サンドバック状態】になるというのが全国各地で見られる「議会報告会あるある」でした。

そして、整理もされていない膨大な【ホチキス止めの市民要望】を市当局にぶん投げる【スルーパス】もよくみられる光景です。

あとに残るのは【消耗】と【やった感】、解決できずに棚晒しになる【地域課題】という笑えない現実…

私達は、そこを少しでも改善しようと努力を重ねて来たと自負しています。

【対話重視】とよく言いますが、市民と市、市民と市議会の関係性についてどうあるべきか、政治家のスタンスが色濃く現れる場面だと思います。

私は、誠実に市民に向き合いご意見を承り、それを市政運営・議会活動に反映させる、一歩一歩地域課題を解決していく、そんな市であってほしいと常に願っています。


刷新!秋田新時代へ!

2025-04-05 22:51:42 | 日記

ご無沙汰しております。奥山豊和です。

 

新年度に入り、令和7年産米の作付け作業が始まっておりますが、世間では、秋田の未来を決める負けられない戦いが繰り広げられておりました。

秋田県知事選挙。

まずは、17日間という長丁場の選挙を戦い抜いた3陣営、全ての関係者の皆様に深く敬意を表します。

私自身秘書時代に全県選挙の経験がありますが、この広い秋田県をくまなくまわる選挙の過酷さは身にしみております。移動距離が半端なく、昨日どこに泊まって今どこにいるのかが一瞬分からなくなるくらい、秋田の広さを実感することができます。

16年ぶりに秋田県のトップが変わる歴史的な瞬間、【継続か、刷新か、】独立自尊の県民一人ひとりの判断が問われている、全国の注目を集めるこの選挙。

私自身SNSでは発信をしておりましたが、このブログには投稿できていませんでしたので、選挙運動が終わるギリギリのタイミングとなってしまいましたが、この選挙戦に対する自分自身のスタンス・考えを述べておきたいと思います。

 

私は、初当選時期が同じでこの10年来、青年局活動などでずっと行動を共にしてきた【鈴木健太】さんを全力応援しておりました。

現職ではありませんが、元職ということで入会が認められた「健太を応援する議員の会」の末席にも加えていただき、2月に横手市内の旧市町村単位8会場で行われた【鈴木けんたと秋田の未来を語る会】にも同行し、会場設営のお手伝いなどをさせていただきました。

全県選挙において、旧69市町村単位をくまなくまわり細かく集会を重ねる候補者というのは、ここ数年見たことも聞いたこともありません。

各会場、想像以上の皆さまにご参会いただき、これまで政治色のなかった、あまり政治的な催しではお見かけすることのない方々に多くお越しいただいた印象があり、この時期から、「秋田、そろそろ変わらなければ」という空気感がこの横手にもあったような印象を受けております。

 

そして、私にとっての初ミルハス(あきた芸術劇場)。

収容2000席をほぼほぼ埋め尽くす人、人、人,,,

鳴り止まない拍手と温かい歓声。そして、最後にみんなで唄った我らが誇りの秋田県民歌。

感極まり、壇上で何度も涙する某県議の姿が印象的でした。

底知れない【人間・鈴木健太】の魅力。それを支える同志たちのここ一番での輝きと重鎮の安定感。多くのスタッフの皆さんの立ち居ふるまいと心遣い。この空間に、強制されて来た人は一人もいない…

長年政治に携わっておりますが、こんな決起大会は経験したことがありません。

秋田は変われるかもしれない…魂を揺さぶり、心躍るひとときでした。

 

そして、序盤から白熱した選挙戦。

この熱量は県外の秋田県出身者にも届いていたようで、SNS上では根拠のないデマや誹謗中傷が散見され、それを【分断】だと指摘する方もいらっしゃいました。

私達は、今変わらなければ【秋田は終わってしまう…】という強い危機感のもとに戦っておりましたが、その事に対し「ネガティブキャンペーンだ」とか「レッテル貼り」だというご指摘を頂戴しました。

一方で健太さんに対し「県外出身者は知事にはなれない」だとか、健太さんのような考え方が「若い女性が秋田を離れることにつながり少子化を招くことになった」という【全否定】もありました。

選挙というものは家族やまわりの人間も巻き込み、自分自身の人生を左右するそれこそ命がけの戦いです。

相手よりも自分の名前を書いてほしい訳ですから、時には相手を否定し多少言葉が強くなってしまうのはよくあることです。

不思議なことに、ぼんやりと政見放送を眺めていても、支持している方の演説には身を乗り出して共感できるのに、そうでない方の発言は心に響かず否定的になってしまうというのは人間の生理現象ではないでしょうか。考え方の違いというやつで、あとはそれを言葉にするかどうか、「あいつはダメだ」と文字にして発信するかどうかなんだろうと思います。

相手が【批判】していると感じたことを【批判】するのもまた【批判】。

【批判】するなと【批判】することもまた【批判】。

私自身、「反対ばかりする議員」と散々言われ続けてきてナーバスになっている【批判】という言葉。

【批判】って一体何なんだ(笑)

年齢や性別、容姿をとやかく言うのは論外。

根拠のないデマや誹謗中傷はもってのほか。

目を覆いたくなるような汚い言葉が溢れているネットの世界。

残念ながらそれは、これまでも繰り返されてきた人の噂話や陰口が表面化しているだけのこと。そういう意見もあるのかと受け止めれば、色々と参考になるものです。

それでも、直接【批判】されると忘れられない心のキズを追うのですが…

結局は、子どものころに学校で一番最初に教えられた「自分がされて嫌なことは、人にもするな」ということに尽きるのではないでしょうか。

私は、「寛容であれ」と真っ先に語った健太さんの考え方に共感しているからこそ支持し、応援をしてきたのです。

 

そして、大変お騒がせしました横手市遊説。

季節外れのなごり雪、不安定な天候の中、ゆく先々で多くの方々の熱烈なお出迎え・激励をいただきましたことに心から感謝申し上げます。

候補者の魅力を最大限お届けできるようにと私のこれまでの蓄積と経験を総動員してサポートしましたが、全県選挙という限られた時間のでは全ての集落をまわることは叶いません。

秋田を「広く、深い」と形容する健太さん。

遊説中、時々写真撮影のリクエストがあるのです(笑)

深い山々やたくましく天へと枝を伸ばすりんごの木…

民間譲渡に失敗し返却された温泉施設、朽ち果てていく空き校舎など…

横手の実情を身に沁みて感じていただけたと思っております。

私自身大小様々な選挙を経験してきましたが、盟友の隊長を筆頭に素晴らしい遊説隊メンバー、少数精鋭の地元議員たちと2日間共に過ごせたことを誇りに思います。

みんな【人間・鈴木健太】に惚れ込み、つまらない損得勘定などなく、心からこの【逸材】を新しい時代、新しい秋田のリーダーに押し上げたいという純粋な気持ちで動いているということがよく分かりました。

私達は、政党や大きな組織の支援を受けずに戦いました。それでも、新聞報道の通り「横一線の激戦」を繰り広げることができたのは、県民一人ひとりの【秋田、このままじゃだめだ】という強い意志の現れではないでしょうか。

【秋田を変える、ラストチャンス】であるということを、多くの県民の皆様が認識されているようにも感じています。

17日間、全県各地にこれまで経験したことのないような熱狂、さわやかな【けんた旋風】が巻き起こりました。

刷新!変わろう、秋田!

偏り、しがらみのない秋田新時代へ!

 


「想定外」をなくしていこう〜「能登」から1年、「阪神淡路」から30年。

2025-02-06 23:42:19 | 日記

今季最強寒波の影響で、四国九州を含め広い範囲で大雪に見舞われています。

SNSで繋がっている仲間達の投稿からは、まるで秋田の景色なのかと思わせるような大変な状況です。

一方で我が地元は、確かに強風ではありますが、たいした積雪ではありません。昨年に引き続き、雪の少ない冬となっておりますが、なぜか市の除雪費は青天井?のようです。

(このことについては改めて…)

 

さて、早いもので2月。こうして、今年もあっという間に終わってしまうのでしょうか。

能登半島地震から1年と1ヶ月。そして今年は、阪神淡路大震災から30年という節目の年でもあります。

当時14歳。高速道路の橋脚がポッキリと折れ、横倒しになったTVの映像が衝撃的で、今も脳裏に焼き付いています。

改めて鎮魂の祈りを捧げながら、被災された方々の日常が一日も早く取り戻せますように…

昨年の正月、いただいた年賀状を整理していた夕方。緊急地震速報が鳴り響き、ここ秋田でも大きな揺れを感じました。まさに、災害には盆も正月もない、おそらく帰省中であったり観光客の方々も被災されたことでしょう。

各地で常態化する大雨や、今回の降らないはずの地域での大雪を含めて、災害というものはいつ何時私達の身に降り掛かってくるのか分からないという「教訓」を改めて突きつけられているように感じています。

能登については9月の豪雨とダブル災害に見舞われました。そして、「半島」という特徴的な地形で発生した災害であることからも、復旧に大幅な時間を要しているようですね。

そもそも、時限立法である「半島振興法」において、アクセスが弱いことや孤立するリスクがることは想定されていたはずで、観光振興だけが目的だったわけではないはずですが…

復興どころか、いまだ断水箇所が見られるなど復旧は始まったばかり。生業を失い、災害をきっかけに故郷を離れる方もいるなど共通の課題でもある人口減少が前倒しで加速しています。

現場に足を運んだわけではないので偉そうな事は言えないのですが、今回の災害で「教訓が活かされていない」のではないかという指摘が繰り返されていることに大きな違和感を持っています。

「3日でおにぎり1個」?なぜ、食料が行き渡らないのか。何日も農業用ビニールハウスの中に方を寄せ合っている被災者の姿、避難所でのトイレ問題…

当市においても、増田や大森など孤立することが想定される集落にはあらかじめ備蓄を手厚くしたり、衛星電話を配備するなどの対策を講じているのは、少なくともこれまでの教訓からに他なりません。

行政による初動が遅かったのではないかという批判は、必ずしも正確ではないはずです。

「関係者以外は能登に近づかないでくれ」というアナウンスは、半島特有の地形から渋滞・混乱が生じるからでした。

阪神大震災以降、住宅耐震化の重要性が謳われるようになり、「災害ボランティア」という言葉が定着しその重要性が広く認識されるようになりましたし、東日本大震災からは、自治体間連携により被災地への支援や復興に取り組むことが一般的になったと言われています。

この度も、いざという時頼りになる自衛隊の活躍。能登半島には、続々と多くの自治体から医療チームだけでなく給水車やトイレトレーラーなどが駆けつける一方で、遠く離れた私達国民にできることと言えば、(実際に足を運ぶことを遠慮する場合)募金をすることが一般的です。

それでも最近は、寄付をすることでそのメーカが作っている様々な製品を被災地に届ける仕組みもあるようで、具体的な支援の形として3.11の教訓が活かされていると言えるでしょう。

(気持ちはわかりますが、親から子への仕送りのようなごちゃ混ぜの段ボールや、賞味期限切れのゴミが送りつけられたケースがありましたね。それと千羽鶴…)

自治体間同士で、いわゆる友好都市という枠組みを超えて災害連携協定を結ぶケースも増えています。日常の交流がいざという時に助けになる、とても大切なことだと思います。

共に被災したのでは助け合うことはできませんから、できるだけ離れた自治体同士で組むことが重要です。

水道などインフラの耐震化。

老朽インフラの長寿命化は、全ての自治体に共通する待ったなしの課題であるということは、この度の埼玉県八潮市での道路陥没事故が物語っています。

各地で慌てて点検作業を始めていますが、昨日、お隣由利本荘市では橋のボルトが車に落下して穴が空いたというニュースがありました。自転車に乗った通学中の子どもの頭に落ちたらと思うとゾッとします。

「国土強靭化」という言葉が注目され出してから、一体何年経過したというのでしょうか?

(この「老いるインフラ」問題についても改めて…)

 

国の動きとしては、昨年6月、地方自治法改正により、大規模災害などの非常時に国から地方自治体に対する「指示権の拡大」がなされることになりました。

災害のみならずコロナ禍において混乱があったことも法改正の後押しになったようですが、私自身少しひっかかるところがありまして…

それは、「地方分権」の流れに逆行するのではないかということです。

国会では1993年に地方分権の推進を決議し、国と地方の関係を「対等・協力」と定めているということを、私達は正しく理解する必要があります。

では、この度の「国の指示権拡大」がどのようなケースにおいて当てはまるのでしょうか?具体的に明示はされていないようです。

私が若手議員の会の研修で全国各地の事例を学んできた経験から言えることは、「指示待ち」では住民の命を守れないということです。

「事件は現場で起きている!」というやつです。

特に昨今、大雨大雪が局地化激甚化している中にあって、市町村合併により面積が拡大している自治体は特に、情報収集の遅れ、一瞬の判断の遅れが尊い命を奪うことになりかねません。

だからこそ、【自助→共助→公助】が重要だと言っているのではありませんか?

地方分権に逆行してまでこのような動きをするのであれば、事前にどんな場合に国が指示をするのかを明らかにしておく必要があります。

いわゆる行政用語の「連携」とは、責任の所在を曖昧にする危険性をはらんでいますし、繰り返しますが、一瞬の判断の遅れが命を奪うということを肝に命じなければなりません。

これだけの「教訓」が積み上げられている中で、いい加減「想定外でした」と逃げるのは許されることではありません。

多くの災害により失われた命、残された遺族の悲しみを自分ごととして捉えた時、「教訓」は活かしていかなければならないのです。

現政権が「防災庁」設置を掲げているのはこれまでにない具体的な動きではありますが、整理すべき課題が多いとの指摘がありますし、そもそも特に市町村において余分な人員などありません。

あくまでも主役・主体は住民。その上で市町村にできないことを県が、さらにそれを補完するのが国という構図をはっきりさせた上で進めていかなければならないと私は思っています。

もっと言えば、首都直下や南海トラフのリスクが確実に迫っている中で、リスク分散に資する首都機能移転や道州制の議論は止まったままです。

 

ちょうど1年前、全国若手議員の会東北ブロック研修で福島県相馬市に伺いました。

14年前の東日本大震災の被害が甚大だった地域の一つ、10mを超える大津波襲来を触れ回った多くの消防団員が命を落としています…

相馬市では、3.11当時防災倉庫はなく、全国から届く支援物資の受け入れが分散してしまい被災者に配るのに大変な苦労があったという教訓から、「相馬兵糧蔵」と名付けられた新しい防災備蓄倉庫を整備。期限の切れる食品は学校での避難訓練に活用するなど、適切に在庫管理がなされていました。

また、当時支援を受けた全国の自治体や企業の名前が掲示されており後世に引き継がれていましたし、全国各地の自治体と災害連携協定を結んでいて、能登半島にどこよりも早く水道車を派遣したニュースは記憶に新しいところです。

防災担当職員の方が繰り返し強調されていたのが【日頃の備え】。

市内にくまなく設置されている「地区防災拠点」では、通常は地域のコミュニティの場所として機能していますし、かの有名な「相馬野馬追い」に連携する自治体を招待し日頃から交流を深めておくことも、いざという時の備えとなります。

町内会行政区単位に自主防災組織が設置運営されていて、年1回の訓練が徹底されています。

情報伝達手段としての防災行政無線は、たとえ大雨で聞こえづらく室内に届かないとしても、カンカン叩いて火災を知らせる「警鐘」の役割を果たし、同じ内容を電話やメールで確認できるという徹底ぶり。

まさに、「伝える」ということを最大限重要視した対応。情報発信には明確なルールが必要ですし、地域密着かつきめ細やかくあるべきだと感じた次第です。

 

今回、能登の震災で【教訓が活かされていない】という指摘が多く聞かれたのはなぜでしょうか?

被災地の復興は、肩書のある立派な方々だけではなく、名もなき市民一人ひとりが明日を信じ、歯を食いしばって積み重ねてきた日々の頑張りの先にあるのだということを、私達は決して忘れてはなりません。

いざという時に国が自治体に指示を出すことも必要な場合もあるかもしれませんが、私達市民一人ひとりが、日々備えておくこと。人口減少の進む地方において、日々助け合う仕組みづくりをしておくこと、その事の重要性を改めて感じています。

「防災拠点としてハコモノを整備する」というその説明に、果たして裏付けはあるのでしょうか?魂は入っているのでしょうか?

今、必要な量の水を備蓄している人、モバイルバッテリーを持ち歩いている人、(高くて大変ですが)車のガソリンを満タンにしておくことを徹底している人がどれだけいるのでしょうか?

【震災を風化させない】とは言いますが、失われた尊い命、筆舌に尽くしがたい被災者のご苦労を想う時、私達は改めて、【日々の備え】を徹底しておかなければならないのです。

 

あと1ヶ月で、今年も3.11を迎えます…


遅れる、母校の改修工事〜陸上競技部OB会総会に参加〜

2025-01-05 23:27:04 | 日記

昨夜はこちらに参加。

母校・大曲高校陸上競技部OB会の定期総会へ。

ちなみに、令和3年度から始まった母校の改修工事は、令和5年度に新校舎棟が完成し無事引っ越しを終えていますが、旧校舎の解体と新体育館・グラウンドの整備は、いわゆる昨今の資材費等の高騰によりスケジュールが大幅に遅れているようです。

学習環境は見違えるように良くなった一方、陸上部の生徒達にとっては「練習場所がない」という状況があと3年位は続き、新体育館整備も遅れに遅れていて、空調もなく老朽化著しい古い施設での活動を余儀なくされています。

(同時期に改修した横手高校も同様ですが)県は決められた予算内での学校整備事業を進めていることから、物価高が生徒たちの学びに大きな影響を与え、二度と帰ってこない青春の3年間に大きな不自由を与えてしまっていることを大変気の毒に思います。

(県でどんな議論がなされているのか存じ上げませんが)新県立体育館の整備にはポンと110億円も増額するのにも関わらず、高校生に対してはスピード感が遅いというのは猛烈な違和感を覚えます。

報道によれば、できるだけ当初の予算内に収めるべく計画を見直し費用の縮減を図った上で2億6000万円(横手高校は11億7000万円)の増額を決めたようですが、完成は少なくとも2〜3年は遅れるようです。

「3年遅れます」だなんて簡単に言うなよ!

繰り返しますが、自分自身がそうであったように、身も心も大きく成長する貴重な青春の3年間に大きな制約を与えるのだとするならば、整備事業計画のあり方について一体どんな議論をしてきたのでしょうか?

ちなみに、新校舎は私達が現役時代、血と汗と涙が染み込んだグラウンド、ハンマー投げの練習サークルを潰して建てられています…

 

少子化により、各地域では小中学校の統合が進んでいることからも、高校の再編は避けられない状況にあります。

冬の高校スポーツをみても、留学生を擁する県外私学との間に大きく水を開けられているように感じます。実際、県内の有望な中学生の流出は止まりません。

(素質を買われ、より高いレベルに挑むというのは素晴らしいことではありますが…)

ただでさえ少なくなっている子どもたちの学び・育ちに対し、それを応援する立場として、同窓会本体・青麻会としっかり連携しながらOB会も大きな声を上げていかなければなりません。

昨日の参加者も減少傾向にあります。

私自身、コロナ禍を除いてはこの10年以上毎年欠かさずに参加するようにしていますが、忙しいのは皆当たり前です。それでも、年に1日の3時間を確保できないのか、母校のために、同窓生が親睦を深める時間の重要性を微力ながら訴えていかなければならないと思っています。

 

さて、昨年は夏のパリオリンピックにて、後輩の鈴木優花さんが女子マラソン6位入賞という快挙を成し遂げました。

大学・実業団で活躍する彼女が以前OB会に参加してくれた際、「マラソンでパリを目指します」と堂々と宣言された姿を今でも覚えています。

有言実行、そして大舞台での自己ベスト更新という素晴らしい結果は同窓生としてこの上ない喜びですし、まさに郷土の誇り、多くの皆さんに応援して頂けたおかげです。

ちなみに、大曲高校としては、2004年アテネ大会マイルリレーで4位入賞した伊藤友広さん以来の偉業達成となりました。

友広さん、優花さんに続く選手が出てくるためにも、しっかりとした環境整備を行っていくのは当然の責務と言えるのではないのでしょうか。

そんな優花さんですが、昨夜、国内合宿中の忙しいところをリモートで繋いでいただきました。ホント便利な世の中になりましたね。

「なんだか遠い存在になってしまった」という恩師の先生の語りかけに、「私は何も変わっていない」と答える優花さん。

そんなやりとりに人柄がにじみ出ていますし、時折みせるさりげない笑顔はかつてのQちゃんを彷彿とさせ、彼女はきっと国民的ヒロインたりえる素質を兼ね備えていると信じています。

近々国内での国際マラソンに出場する予定であるとのことでした。

目標の日本新記録、オリンピックでのメダル獲得という夢に向けて、大きく着実に羽ばたいていってくれることを同窓生として心から期待しています。