奥 山 豊 和 (おくやま とよかず)公式ブログ

培った経験と人脈を活かし、生まれ育った故郷を元気に。
対話重視、市民が主役の市政運営を取り戻します。

秋田県総合防災訓練in横手

2014-08-31 23:07:35 | 日記

本日、秋田県総合防災訓練が横手市を会場に行われた。

「朝8時、横手盆地・真昼山地を震源としたM8.1の地震が発生し、横手では震度7を観測、家屋の倒壊や火災、道路の損壊などの被害が多発している」という訓練想定である。
同時多発的に様々な訓練が行われていることから、「市会議員は自身の興味のあるところを自由に視察せよ」とのお達しであったので、私はとりあえず災害対策本部が設置される条里北庁舎へと向かった。

8時。横手かまくらFMの災害緊急放送とともに訓練が開始。担当職員の皆さんは粛々と情報収集を始める。FMからも災害特別番組で様々な情報が発信されている。コミュニティFMの有難さと重要性を再認識させられる。

特別な開会式はない。みなさん黙々と作業をしている。

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この建物は消防本部も入っており非常電源があることから、電気の心配はいらないだろう。各
地域局からの情報はネット回線を通じて上がってきている。

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しかし、M8規模の地震が起こったとき、ネット回線は本当に使えるのだろうか?庁内の特別な回線でもあるのだろうか?もしネットが使えないときはどうするのだろうか?アマチュア無線の方たちも会場で訓練を行っていたが、最後に頼りになるのはアナログ。情報収集のバックアップ体制もしっかりと準備しておく必要があるのだろう。

その後、統監(知事)、副統監(横手市長)はじめ、同行している国会議員や県会議員が対策本部に入り、被害状況の説明が始まる。

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ここで、私は対策本部を後にし、自衛隊や警察、消防・救急の救援部隊が集結するグリーンスタジアムよこてへと向かう。

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県内の関係者はもちろん、隣の岩手県からは北上市の消防隊も駆けつけてくれていた。
いざという時頼りになる、心強い限りだ。

そして、支援物資の搬入出訓練が行われている秋田ふるさと村へ。

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国交省の対策本部車。

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県の地震体験車、はじご消防車には家族連れの行列が出来ていた。

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次に、平鹿総合病院へ。ちょうど、ドクターヘリが到着していた。

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最後に、遺体安置所開設訓練が行われている旧横手西中学校へ。
市内の医師会・歯科医師会の先生方の協力による遺体の照合も行われ、葬儀会社の方たちが実際に祭壇、棺を準備していた。

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会場に来ていた市民の方から「ここが本当に遺体安置所になるのですか?」と声をかけられたが、毛布に包まれる仮置き場は、生々しかった。


今回の訓練は、災害時に想定されることを一通り丁寧に行ったということにとりあえずの意味があるのだろう。

また市民の皆さんにとっても、近隣の朝日が丘町内会では初期消火や避難誘導、横手南中学校では実際に避難所の設置と運営を行い、実際に訓練に参加して頂いたことで防災意識が高まったのではないかと思う。

実際に起こった時に冷静に動けるのか、何か起こった時のために家族で色々と決め事を話し合っておくことも大切だろう。

今回は、漠然と訓練の様子を見まわるだけで具体的な説明を聞くことや意見を申し上げる場面はなかった。正直な話、「今何をやっているんだろう?」と疑問に思う場面もあった。

災害対策は「準備しすぎだ、心配しすぎだ」ということは決してない。「これはどうなっているんだ?」という疑問を色々な視点でぶつけ合いお互いに話し合うことで、「想定外」を無くしていくことにもつながっていくだろう。

防災ハザードマップの内容をしっかり理解している市民はどれくらいいるのだろうか?
今後引き続き、きめ細やかな情報提供、提供した情報をしっかりと理解してもらうこと。それを行政の責任でやっていくことが重要であり、私たちにとっても油断なく、日ごろの心構えの大切さを再認識した訓練であった。






9月議会開会中。

2014-08-29 23:02:35 | 日記

朝夕すっかり過ごしやすくなりましたね。
窓を開けて寝ているとカゼをひきそうです。

25日(月)、9月議会が開会した。
初日は市長の所信説明と提案された条例や補正予算の審議。翌26日(火)は終日決算委員会が行われた。
所属する厚生関係については、再来週の委員会審議の中で詳しく質疑ができることから、それ以外の案件について何点か質問をした。

まずは、農林水産業費の「青年就農給付金」について。
25年度は受給者36名、44,625,000円(全額国庫負担)という実績をどう評価しているのか?また、県が行っている事業との連携はどのように図っているのかという質問をした。

県の「フロンティア農業育成事業」により受給している人や、私の地元にある大雄の実験農場で学びながら受給をしている人も実際にいるようで、県と市の担当者が一緒になって面談をし、相談を受けているとのことであった。以前から産業と建設部門は県と市が同じ建物内で業務を行っていることから、その利点を大いに活用しながら、新たに農業にチャレンジしようという意欲のある人が、このような有利な事業を積極的に利用しつつ将来の担い手として経験を重ねていけるようなサポートを今後も続けて頂きたいし、高齢化など農業を取り巻く環境が厳しいと言われている中にあって、相談を受けるだけでなく、「農業をやってみないか」と積極的に働きかけるような取り組みも行って頂きたいものと思う。

次に、商工業費の「インキュベーションオフィス推進事業」。いわゆる「Bizサポートよこて」という、新たに起業する意欲のある人や、起業して間もない人に対し安価で事務所スペースを提供する事業について。
起業支援は以前から力を入れてきているものの、25年度予算額5,731,000円に対し2,942,000円という決算額ということで、少し開きがあることからどのように分析しているか質問した。

日常、相談業務を行っている市の職員では対応しきれない専門的な相談を受ける指導者への謝礼を予算計上していたが、実際にそのような専門的な相談はなかったことから大きな開きが生じたとのことであった。
利用者も多く実際に企業に結び付けている人たちもいる。横手で新たなビジネスを展開したいという情熱を後押しできるような、より利用しやすい環境を提供できる取り組みを引き続きして頂きたいものである。

そして最後に、企画費の中の「移住関連促進事業」について。先輩が先に質問をされたので、関連して一言だけ申し上げた。

まず、この事業により実際に移住をした人はいなかったということである。
旅行雑誌「じゃらん」のフリーペーパーとして、秋田・横手での田舎暮らしを紹介するパンフレットを作成したようであるが、予算をつけて実績ゼロというのは、残念ながら政策としては反省すべきであると思う。

しかし、このことは移住促進よりも観光振興の観点から、横手にお客様を呼び込むという意味では大きな効果が期待できるのではないか。

そもそも、旅行好きな人が本気で移住を考えるのだろうか?もちろんゼロではないだろう。気に入って頂ければ実際に住もうと思ってもらえるかもしれない。
なぜ、有名な観光地ではなく田舎へ旅行してみたいと思うのだろうか?そこで、実際に農業体験をするということの意味を考えた時、きっと都会の生活では味わうことのできない非日常の生活を味わうために田舎に行ってみたいと考えるのではないだろうか?
それがきっかけで移住を決断して頂けるのであれば大変ありがたいことであるが、であるならば、そういう方を受け入れる体制を整えているのだろうか?

実際に市役所の窓口に、移住を考えている人、農業を始めてみたいという問い合わせはあるようだ。
別の質疑の中で、「移住促進空き家対策事業」という、リフォーム費用を一部補助する制度についても取り上げられていたが、この「移住促進」を政策として考えた時、まさに今、人口減少という大きな課題に立ち向かおうとしている中で、企画部門で横断的に総合的にリーダーシップを発揮して取り組んで頂きたいということを申し上げた。

「田舎暮らし」から始めて、首都圏に住む人が横手に目を向けて頂きたいという思いからこの取り組みを始めたようである。関連部署が一丸となって取り組まなければ到底できるものではないし、実際に移住となれば、住む所、職業がもちろん大切で、いきなり移住は難しいとしても、お試しで住んで頂けるような施策も今後考えていきながら、全体的にどのように取り組んでいくかの旗振り役を企画課としてやっていきたいというような答えであった。


新規就農しかり、起業支援しかり、移住促進しかり、キーワードは「人口減少社会への挑戦・自治体消滅の阻止」であると思っている。

初日の市長の所信に、前回はなかった「人口減少」の言葉があった。
「簡単にはその解決策は見つからないものの、横手ならではの独自の基準で、横手に住んでいることのありがたさを市民一人ひとりがもっと実感して頂くことで、横手のブランド力へと繋がっていく」という決意をお聞きした。

一つ一つの政策。そのすべてを人口減少、少子高齢化、縮小していくという観点から見直し、新たな視点で取り組んでいかなければ、この流れを食い止めることは難しいのだと思う。
今回の代表質問・一般質問でも、何名かの議員が取り上げるようであるが、違った視点、様々な意見を拝聴しながら、私自身、このことにずっと向き合っていきたい。


追伸・昨日は議会だよりの編集会議。全体の紙面構成と担当者を決めた。私の今回の役割は編集後記。一般質問は敢えて一呼吸置く・・・やらないことにしたので、次回の議会だよりには載りません。最後のページ「編集後記」をぜひご覧下さい。320文字に思いの丈をぶつけるつもりです(笑)


来週からは9月議会。

2014-08-23 11:27:14 | 日記

来週月曜日からはいよいよ9月議会が始まる。

ということで、横手かまくらFMの「もっと教えて横手市議会」の収録が行われ、9月定例会のお知らせについて、急遽先輩議員のピンチヒッターで出演させて頂いた。

最近、「代打の男」が定着しつつある(笑)

急に出番が回ってくる「代打」という役割。結果を出すためには日頃の準備を怠ってはいけないというのはもちろん、「やります」と言うのは度胸だと思っている。
何事もチャレンジ。自分を鍛える良い機会であるし、小学生にも話したことを自らで実行しなければいけない。

放送日は議会開会日当日26日(月)午前10:45~11:00となります。
再放送は26日(火)朝7:30~7:45。
市議会ホームページでも後日お聞き頂けます。
(そう言えば、先日「議場へようこそ」のコーナーに出演したお知らせをきちんとしていませんでしたね → http://www.city.yokote.lg.jp/gikai/page000135.html )

9月議会は「決算議会」とも呼ばれるように、昨年度の予算が計画通りにきちんと使われたのかを審議するもので、議会の果たすべき機能として、市長が提出した予算や条例等について市民目線でチェックをするという大きな役割がある。

ということを考えれば、これから使われる予算の審議ももちろん大切だが、市民生活のために予算が正しく使われたのかをチェックする決算審議をしっかりやるということが、今地方議会に対する様々な厳しいご指摘があることに対して、横手市議会はしっかりやっているんだということをお示しできるチャンスなんだと捉えてやっていきたい。


追伸・かまくらFMの皆さん、いつもお世話になりありがとうございます。先般行われた議会報告会にも取材に来て頂きました。
→ http://fmyokote.seesaa.net/article/402365932.html


母校・阿気小学校でお話させて頂きました。

2014-08-21 00:02:02 | 日記

まずもって、この度の広島市における土砂崩れをはじめとする各地の豪雨災害にあわれた方々にお見舞いとお悔やみを申し上げるものである。
先日はお盆の帰省ラッシュに台風11号が直撃した。各地の大きな傷跡を見るに付け、こういった被害をゼロにすることは不可能だとしても、河川の氾濫、床上浸水などを限りなくなくせるような、そして、命を落としてしまうような痛ましい事故を決して起こさないような取り組み、そのための根本的な防災対策を講じなければいけないのだと思う。
いつどこに起こるかわからない、災害に強いまちづくりというものは、国家の責任、行政の責任でやっていかなければいけないのではないだろうか。


さて、毎朝ラジオ体操に出かける元気な子どもたちの声を聞いているが、学校の夏休みもそろそろ終わる頃である。宿題はみんな終わっただろうか?自分の夏休みの思い出といえば、計算ドリルとかよりも、工作とか自由研究のような宿題の方が好きで、一生懸命やった記憶がある。

少しタイミングを逸してしまっていたが、小学校が夏休みに入る前日の7月24日、母校阿気小学校にお招き頂き、全校集会で30分ほどお話をする機会を頂いた。

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阿気小学校は今年で閉校となり、来年度からは現在の田根森小学校の校舎で新しく大雄小学校として生まれ変わる訳であるが、140年という長い歴史に幕を下ろす最後の児童に、「地域で頑張っている先輩として、子どもたちが将来に夢や希望を持ち、自信を持って生きていけるような話しをしてほしい」という大変恐れ多いお話を校長先生から頂いたのがきっかけである。

初めは、私のような者が何かためになるような話ができるだろうかと腰が引けていたが、自分の小学校時代を振り返った時、特別に勉強ができたりスポーツが得意だったわけではない普通の子どもだった自分が、どのような経験をして大人になっていったのか、22年前にみんなと同じ学校を卒業した先輩としてお話することが、自分を育んでくれた母校に対する自分なりの恩返しになるのではないかと考え、お引き受けした次第である。

話しをするにあたり、これまでの人生を振り返ってみて、実現できた夢もあればあと一歩のところで掴み損ねた夢もある。なぜ掴めなかったのだろうかと考えた時、階段を一段ずつ上がること、一歩一歩確かに前進することの大切さ、小学校の時にしなければいけないこと、気づかなければいけないこと、自分の経験を子どもたちにお話することで、一皮むける何かのきっかけになってくれればいいなという思いがあった。

今目の前にあること、それが好きか嫌いか、楽しいか楽しくないかで判断してほしくない。目の前にあることをやり続けること。

私は、野球部ではずっと球拾いだった。最後までレギュラーにはなれなかった。でも、高校で陸上に出会い可能性が広がったと思っている。小学校の時、野球がつまらないと投げ出していたら、多分陸上でも結果を残すことは出来なかっただろう。みんなと野球を頑張ったからこそであると信じている。

すぐにいい結果がでなくても諦めないこと。いやなことから逃げないこと。この一瞬、毎日の積み重ね、小学校生活の6年間、そのすべてが大人になっていくための大切な時間である。
失敗したって構わない。自分の力で立ち向かっていくことが大切である。失敗や負けは恥ずかしいことではない。そういう経験をどれだけしてきたか、それが大人になった時に大きな宝物になり、それが多ければ多いほど、自分自身のやる気の素になったり、人の痛みが分かったりするようになるのだと思う。

夢を実現するために大切なこと。

「私はこうなりたい」と思い続けること。真面目にコツコツやっていれば、自分の才能を活かせるものに出会える日がきっと来ると思う。もしかしたら、もうそれに出会えている人もいるかもしれない。私はこれで頑張りたいと胸を張って言えるものがあるのであれば、断固その道を突き進んで欲しい。

阿気小学校最後の児童たちの将来が希望に満ちたものになるように期待しているし、みんなが大人になってもずっと住み続けられる街、都会に出たとしてもいつでも帰ってこられる故郷をつくっていくことが、今私たちに与えられた仕事なんだと思う。
ずっと前からこの地域で暮らしてきた人たちのバトンを受け継いでいる子どもたちが、新しい大雄小学校、新しい大雄の歴史を一人ひとりの頑張りで築き上げていってほしいし、私たち大人はそのお手伝いをしているのだと思う。

校庭の赤松。「7本ある」ということを子どもたちは元気に答えてくれた。
私たちが通っていた頃はまだ小さかった松の木が、阿気小学校で学んだすべての人たちの成長を見守っていてくれたシンボルである。母校がなくなってしまうことへの寂しさに、最後の児童にお話ができる喜び、そういう機会を与えて下さった先生方には感謝の気持ちで一杯である。


後日、子どもたちから素敵なお返事を頂いた。

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正直、1年生にも分かるような話ができたかは不安であったが、「ゆめにむかってがんばります」と答えてくれていたし、「『最初からできる人なんでいない』という話しをきいて自信がついた」という言葉。

跳び箱は1段目がしっかりしていなければ、高くて強い安定した跳び箱にはならないと話したことに対しては、「小学校のころからしっかりとした土台を作るのが大切だということが分かった」という返事や、「今からしっかりとした土台をつくっていきたい」、「絵本作家になるという夢があるので、1段目を少しずつ作っていきたい」という力強い言葉をもらい、最後の教頭先生の締めのお言葉で、「中学校で大きく伸びる生徒は小学校でしっかり頑張ってきた人。だから一段目をつくる小学校生活が大切なんだというお話だった」とまとめて頂いたお陰もあって、子どもたちの印象に残ってくれたのではないかと思っている。

自分で言った「チャレンジすることの大切さ」。

今回こういう機会を頂いたことは、まさに自分にとってのチャレンジであった。
話しをしているうちに段々選挙の演説口調になってしまったのは反省である(笑)
すべて伝わったとは思っていないが、分かりやすいように話すことについての勉強になったし、跳び箱の話しのように、少しでも子どもたちの心に残る話ができたことを嬉しく思っている。

改めて、愛する母校の幕引きと新しい大雄小学校の創世記、子どもたちが存分に学び、遊び、輝けるように、私自身微力ながら精一杯努めて参りますので、先生方には今後共宜しくご指導ご鞭撻の程お願い申し上げ、この場を借りてお礼の言葉とさせて頂きます。


戦後69年。

2014-08-16 16:29:27 | 日記

昨日は、横手市成人式に出席させて頂いた。1031名の新成人諸君、成人おめでとう。代表スピーチは同じ大雄地区の子ということで誇らしかったし、大変立派であったと思う。

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配布された資料の中には、国民健康保険と「選挙に行こう」のパンフレット。ああいうのを見ると大人になったな・・・と実感するのではないか?
いずれにせよ、今やるべきことを一生懸命やって、次第に大人としての責任感や使命感みたいなものを徐々に育んでいってもらいたいと思うし、若者たちが郷土に誇りを持てるようなまちづくりを、人生の先輩として示していけたらいいと思っている。

私自身にとっては、15年ぶり2度目の成人式。当たり前のことながら当時は市町村合併前で、小さな会場で同じ中学出身者しかいないという大変アットホームな会であったが、このように大きな規模になると当然全く知らない人がほとんどな訳で、中学校統合も進んでいることから、出身地域の垣根みたいなものはどんどん薄れていくのだろう。少し寂しさも感じるが、これも時代の流れであると同時に、人口減少を痛感させられる一幕でもある。


さて、昨日は終戦記念日でもある。テレビ番組も関連したものが多かったし、ニュースでは全国戦没者追悼式に出席された最高齢者100歳の戦没者の妻の方が紹介されていた。来年は戦後70年の節目を迎える中、言わずもがな、戦没者遺族も高齢化していく。

また、昨夜放送されていた映画「硫黄島からの手紙」の中で、まさに今玉砕しようとしている日本兵たちが、「靖国で会おう」という言葉を残して自決していくシーンがあったが、今の平和な世の中を享受する私たちにとって、「戦争で犠牲になられた尊い英霊に対し、尊崇の念を表する」というのは当然のことなんだと思うし、祖国の為に命を捧げた方たちに対する約束でもあると思う。

苛烈を極めた戦争を実感する世代が少なくなることで、二度とあの過ちを繰り返してはいけないということを肌で感じている世代が少なくなってしまうことで、平和の尊さみたいなものが薄れていてしまうようなことがあってはならないし、そういう意味でも、過去の悲惨な体験を決して風化させることなく、国民全体で恒久平和を願うために、8月15日はとても大切な日であると思う。


追伸・14日、母方の祖父の葬儀が執り行われた。享年89歳。戦地に赴く直前に終戦を迎えたそうであるが、まさに戦争を体験した世代である。
男孫としてたいへん可愛がってもらったし、祖父を小学校1年生の時に亡くしていることから、じいちゃんのぬくもりというものを日常あまり感じずに育った私にとって、母方のじいちゃんとの思い出がすべてであり、私のじいちゃん像そのものである。

「頑張れよ」。

じいちゃんに言われた最後の言葉をしっかりと心に刻み、じいちゃんから託された思いを背負いながら、子どもたちに誇れる未来をつくっていくために努めて参りたい。