ご無沙汰しております。奥山豊和です。
間もなく、「最も暑い年」が終わろうとしています。(平地には)雪のない横手のお正月というのもいつ以来でしょうか?
専業農家として、まさに自然に翻弄された1年でもありました。
作況「やや不良」が示す通り米の収量は減りましたし、1等米比率が6割を切るというのは猛暑の影響でしょう。
高温障害により米が白く濁り等級が下がってしまうというのは、農家の収入に直結する問題です。
我が家は自らの努力・設備投資で、数年前からドローンと色彩選別機を導入しカメムシ対策は万全なのですが、お天道様のご機嫌で経営に影響が生じるというのはいかがなものでしょうか?
もっと言えば、「等級」なるものに何の意味があるのでしょう?
おかげさまで親戚や友人から、我が家の米は「おいしい」という評判を頂いております。
経費をかけて土づくりや除草をし丁寧な仕事を心がけ、「求められる米づくり」にプライドを持って取り組んでいる自負があります。
大雨被害や水不足の影響により収穫ができなかったという農家さんに比べればまだ、恵まれていると言えるかもしれません。
現場にいる名もなき一人ひとりの農家は、物価高、燃料費高騰という外的要因も続いている中で、歯を食いしばって生きているのです。
そこにきて「水田活用直接支払交付金」、いわゆる「5年水張りルール」を徹底しようという動き。
「米依存の脱却」を上から押し付けてきたのはどこの誰でしょうか?
「米依存だから人口が減る」と言い放った政治家もいましたね。
人口減少により、米の消費は年間約10万トンずつ右肩下がりだと言われていますが、今年も市場では「米が足りていない」ようです。
そりゃそうでしょう。
手間暇(+経費)をかけなければ、絶対に収量は確保できません。植えて放置しているだけの、雑草だらけの田んぼの米が美味しいはずもありませんし。
市場では、作付面積から上がってくる米の量を想定するのでしょうが、この暑さの影響、高齢化や担い手不足の影響もあり一枚一枚の田んぼから微妙に収量が減っていけば、売る米が足りなくなるのは必然です。
そういえば、農村では朝晩に自転車に乗って「田まわり」をするおじいちゃんの姿がめっきり減ってしまったような…
現場に人が足りない。気候や生態系を含めて、農村の風景というものは以前と全く違ったものになってしまいました。
田んぼに人がいないということは、「担い手の育成」が全く追いついていないということを物語っています。
広大な農地を守る担い手の育成、そのために具体的に何をしているのでしょうか?
我が家は来年も作付面積が若干増える予定です。離農する方の農地を請け負うことになります。
小規模零細の兼業農家で後継者はいるのですが、機械が壊れてしまい更新できないのが要因です。
離農しても近くに受けてくれる農家がいてくれるというのは、幸運なことなのかもしれません。大規模農家はどこも目一杯で人件費負担が重くのしかかります。
家族経営でなんとか回せている我が家もまた、まだ恵まれているのかもしれません。
意欲のある小規模零細農家に手を差し伸べているのか(支援メニューがあるのか)?
作付面積が増え続ける大規模農家は何を求めているのか?
カーボンコピーの前例踏襲の農政ではもはやどうにもなりません。
「スマート農業の推進」はその解ではありません。所詮一部分の手段に過ぎない…
平地でも「耕作放棄地」が目に見えるように増えてきています。
すでにタヌキの住処になり、畑のとうもろこしなどはほぼ全滅ですが、今年異常発生のクマが住み着くことも想定されるのではありませんか?
「農地を守る」ということの意味をもっと真剣に考えていかなければなりません。そこに暮らす人の命に直結する問題です。
そして、「あきたこまちR」の問題。
我が家は稲作の専業ですが、この話は最近になって報道で知りました。
「カドミニウムをほとんど吸収しない品種に全面切り替え」をしたいということで、ビラ一枚で「住民説明会」を開いて頂いているようですが、あまりにも唐突ですね。
国内消費が右肩下がりの中で輸出拡大のための「世界基準」だということのようなので、その点だけは理解します。
そもそも、「瑞穂の国」日本において、もともとは熱帯植物だった稲を北海道で作付けできるようになるまで品種改良を繰り返してきた先人たちの努力を忘れてはいけませんし、全国津々浦々、各地域に根ざしたお祭りは豊作への感謝が込められているように、「米は日本の魂」だと言われ続けてきました。
今回の「R」も、冷害に強いコメ、病気に強いコメ、その品種改良の一環だという話であれば理解しますが、どういう訳か「風評被害」なる文言が聞こえてきます。
そこは言い出しっぺ?の県の責任において、現場が路頭に迷ううことのないようにしていただくことに尽きるのではないのでしょうか?
私自身、政治行政から距離を置くようになって、いわゆる「丁寧な説明」というものが所詮政治行政用語に過ぎないものだということに気づきました。
かく言う自分も、当局とのやりとりの中でその言葉をくりかえし使用してきた記憶があります。
再来年度から全面切り替えするんでしょう?
決定事項を事後報告されて、私達はいったいどうしたらいいのでしょうか?
この点からも、政策決定のプロセスにおける「対話の重要性」というものを痛感しております。
そんな中でのいわゆる「ブランド米」と言われるものは、何を目指しどこを見据えているのでしょうか?
縮小市場でのパイの奪い合い、「地域間競争」を煽っているにすぎないのではありませんか?
もう一点、秋田県内全域でのJA一本化が頓挫しましたね。
例えば、秋田で市町村合併が一気に進んだのは、県のトップが現場に足を運んでそれを促したことが大きな要因だと思います。
このJA一本化に政治の動きや発信は見えませんし、少なくとも当地域においては、末端の農家の意向を聞くという動きは残念ながらありませんでした。
「何のためか?」という議論も不足していますね。
もはや「総合商社」と化している昨今のJA組織において、県内一本化のスケールメリットが受けられる部分は多々あるような気がしていますが…
そのことも含めた議論が、政治主導で必要なのではありませんか?
〜信なくば立たず〜
残念ながら暮れのニュース、相変わらず「政治不信」を助長するものでいっぱいです。
身近な横手市政。
市民不在、議会無視は私がいたころからそうでしたから別に驚きはしませんが、ついに「自らの思い」を優先し条例などの根拠すら無きものにし出しているようですね(笑)
議会は最後の砦ですよ。
それでも私達は、日々の生活を一生懸命に生きているのです。明日を信じて…
信じられる「明日」をつくるのは、政治の役目ではありませんか?
改めまして、こんな私に声をかけて下さり、気にかけて頂いている方々がたくさんいらっしゃることに感謝しながら、来る年も地に足を付けて、私は現場で汗を流していきたいと思っております。
燃料資材高騰の中での低米価では、「もっと働け」と言われているようですので…農家に「働き方改革」は関係ないのでしょうか?
ブログでの市政評論が全くできておりませんが、今後ともよろしくお付き合い下さいませ。
ネタはたくさんあるのです…
よいお年を!