奥 山 豊 和 (おくやま とよかず)公式ブログ

培った経験と人脈を活かし、生まれ育った故郷を元気に。
対話重視、市民が主役の市政運営を取り戻します。

一般質問の通告。

2017-08-30 22:21:57 | 日記

本日、任期最後の一般質問の届け出をしました。

以下、通告内容をそのまま掲載します。

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高橋市政の4年間を振り返り、「部局横断」の具体的取り組みと成果を問う。

特に、DMOやまんが美術館のリニューアル、応援人口の拡大や移住促進等の地方創生系事業、横手市財産経営推進計画(FM計画)や、地区交流センター化については、市役所組織の縦割りを乗り越え、「大局観」に立った発想や政策立案と力強い事業展開が必要である。
将来の横手市を見据え、持続可能なまちづくりを進めていくためには、これまで以上に、議会のみならず広く市民の皆様との合意形成を図りながら、官民が連携しオール横手で取り組んでいかなければならない。

この4年間、具体的に市役所組織内で何をどのように「部局横断」し、市長はリーダーシップを発揮してこられたのか。度重なる事務手続きのミスや似たような不手際が繰り返されていることを見ても、危機管理やリスク対応という意味での「部局横断」が働いていないように感じる。

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登壇は、6日(水)の4番目、午後2時以降となります。有難いことに、今回も横手かまくらFMさんの生中継にはまることができましたが、放送は3時までなので、最後はフェードアウトになるものと思われます。

市長が自ら掲げた「部局横断」が機能しきれていないことによって、内部調整が不十分なままに議会に提案され、否決なり修正された案件がなんと多かったことか。

否決し続けてきた議会に対し、ご指導を頂くことも度々あったが、そもそも、きちんと調整をせずにつっこみどころ満載で出してくることによって、答弁がブレてしまう市当局の姿勢と、それがまかり通っているリーダーシップの欠如を憂いている。

そういう視点から、最後の論戦を挑みたい。

昨日の決算審査では、所属する総務文教以外の案件として、民生費・衛生費・農林水産業費・商工費・土木費の中から、事前に10項目の質問を準備しておいた上で、敢えて発言したのは7項目。その中で、唖然とする答弁があった。実は、エールを送る質問をするつもりだったが、意外な展開に、答弁された方の真意は分からないが、少し掘り下げてみようと思う。

あえて、ウイングを広げて通告した意味がそこにある。

先の6月議会から、「一括質問一括答弁」と「一問一答」を選択できることになっていて、議会改革の一環でせっかく導入された制度を活用しない手はないので、今回も「一問一答」を考えていたが、大項目1つだけでボリュームある通告ということもあり、「一括」で登壇することにします。

いつもの通り、原稿含めて全体のシナリオを組み立てるのはこれからになりますが、演台からの景色をしっかりと目に焼き付けながら、自分自身の4年間の蓄積を、心を込めて市長に対しぶつけてみようと思います。ぜひご注目下さい。

長丁場の9月議会は、会派代表質問が行われる5日(火)まで休会となるが、明日は、議会だよりの編集会議と、議会改革推進会議が予定されている。

私たちの議会改革の歩みをしっかりと次に繋げていくためにも、大切な会議となります。


9月議会開会。~心の垣根を取り払う?~

2017-08-28 22:57:58 | 日記

本日、長丁場の9月定例議会、通称決算議会が開会。

条例改正と補正予算のところで2度質疑を行ったが、何だかなぁ~という感じである。
市政を担う重責を預かる立場として、何を感じどこを目指しているだろうか。ちょっとよく分からない・・・

老朽化に伴い、建設移転が進められていた新たな平鹿地域局庁舎のオープンを目前にし、住所地を改正する条例案が提出されたのだが、併設される消防署平鹿分署の名称を、「中央分署」にしたら如何かということを、以前消防議員連盟の会合で提案をさせて頂いた経緯がある。

結局は、市長判断で「平鹿分署」のままにすることに決定されたようだが、その真意を市長に質すと、「一理あるが、『中央』だとイメージとして本署と混同してしまう。思い込みによる誤解を避けたい」という答えであった。

なぜ、私が敢えて「中央分署」を提案したのかと言えば、現在の十文字分署と増田分署が統合され「南分署」が、大森大雄分署と雄物川分署が統合され「西分署」が新しい場所に新設されることが決定されている。

どこに点を打つのか、どの場所に建てれば、緊急出動に要する時間に最大限配慮できるのかというギリギリの判断がなされたわけである。先般の豪雨災害のように、多発する自然災害の前には、やはり身近な場所に消防署があることに心強さを感じるのも当然である。

統合となれば、住所地がどちらになるのかによって、一方からは消防署が無くなってしまうことは事実であり、そのことによって何となく不安になる住民感情も理解できる。

だからこそ、新しい平鹿分署の名称が「中央分署」にすることは一つの布石になるのだろう。

そして、現在の分署体制では、仮に消防車が出動している間に救急車の要請が来ても、人員配置の関係で一度に二つの出動には対応できないという課題がある。

広い横手市のど真中に位置する新しい平鹿分署はその機能が強化され、複数の出動にも対応でき、地理的に隣接する雄物川地域にも出動エリアが拡大するということで、文字通り「中央」を担う揺るぎない拠点になるのだ。

その位置づけが、西分署の場所をどこにするのかというギリギリの判断にも繋がっているのである。

そして、最大の理由がもう一つ。

横手市平鹿郡8市町村による郡市一体の合併から12年が経過し、高橋市長が就任以来強調されていた「地域間の心の垣根を取り払う」ためにも、「平鹿地域局」という名前はこれからも続いていくのだから、機能が強化される消防分署からは、あえて「平鹿」の名前を消すことによって「心の垣根を取り払う」ことに繋がるのではないかという、「大局的」観点からの提案だったのである。以前、地元のJAにも中央支店が新たに作られた。そこを本店と勘違いしただろうか・・・

それを、「本部と混同してしまう」という目先の議論で一蹴されてしまったことは正直残念ではあるが、それが横手市長としてのトップとしての判断であるとするならば、一議員の私からはこれ以上何も申し上げることはできない。

結局は、これもスローガンだったのか?

具体的に、市役所の政策としてできることを一つ一つを地道に打ち出すことをせずに、市民に対し「垣根を取り払いましょう」と促すことが、12年間の新横手市の歩みに中枢で携わってきた方の感覚であるとするならば、重責にあるという意味、ご自身の「権利」を十二分に活かしきれていないのではないか。

あの時確かに議場では、失笑が漏れていましたよ。

DMO関連の補正予算もようやく出てきましたが、いまいち市としての立ち位置があいまいだし、この取り組みを起爆剤にするんだという気迫が伝わってこないんですよね。

明日は決算特別委員会が開かれます。28年度の事業について、どのような成果があったのか、何を反省し今後どうするのかという視点から徹底的に議論したいと思います。

それにしても、2000ページを超える「実施計画事業評価シート」は読みごたえがありますね。分析していると、書いている人の性格やら、色々なことが見えてきます。

これこそ、タブレット端末を導入した成果ですよ。他自治体、議会関係者の皆さんに強くお勧めします。行政視察にぜひともいらっしゃって下さい。

もはや、「資料を持ち合わせていないので・・・」という答弁は、許されなくなってしまいましたね。


総決算の9月議会に。

2017-08-22 22:53:43 | 日記

未明に発生した火災。全国ニュースでも大きく取り上げられている。
まずもって、犠牲になられた方々に心からご冥福をお祈りし、合わせてお見舞いを申し上げます。


いよいよ、私たちの任期最後の9月定例議会の開会が来週に迫って参りました。

昨日は、タブレット端末導入推進会議が開催され、今議会における紙資料の取り扱いについて協議。

当初から確認されていた通り、決算書等の製本されてあるものは紙資料としても配付することとし、説明資料については、希望者には紙ベースでも配付することとなった。

我々に貸与されているタブレットは、画面が大きく2つの資料を同時に開くこともできるとはいえ、ペーパーレスを導入してからまだ1年ということもあり、資料を比較しながら議論をする際には、紙とタブレットを併用した方がやりやすいということもあって、基本はペーパーレスとしながらも弾力的な対応をしているところである。

横手市では、昨年度から新たな事業評価を導入しており、全ての関係者に紙で配布するには現実的ではない、2000ページを超える事業評価シートを今回から閲覧できるようになったのも、タブレット端末を導入した成果と言えるだろう。

決算審査において、詳細な資料を元に深い議論を展開することによって、次の予算編成に繋げていかなければならないと思っている。

10月に向けてソワソワすることなく、与えられた職責を最後まで全うするために、議員としての役割、議会としての役割を最後まで貫いていかねばならない。

そして今日は、議会運営委員会に始まり議会だよりの編集会議や議案説明会、そして、公共施設の在り方に関する調査特別委員会と私ども総務文教常任委員会との意見交換会など、終日会議が続いた。

申し訳ないが、「丁寧な説明」とやらは、相変わらず口先だけなんですね・・・

議論が平行線のままであるのにも関わらず、その案件を何事もなかったようにしれっと提案してくる感性が私には理解できない。仮にボタンの掛け違いがあったのだとするならば、歩み寄ってそれを解消する努力をしていると胸を張って言えるのだろうか?

協議の場が互いのキャッチボールではなく、当局側にしてみれば、「説明をしました」という一方通行なのだ。

議会に対してそうなのだから、市民に対してもそういう感覚なのだろう。それでいて「協働」を強調するのはブラックジョークにしか思えない(笑)

あとは本番の一発勝負を挑もうという姿勢は潔くもなんでもなく、この4年間何度も繰り返されてきたことに何も学んでいない、信頼関係を修復しようという気も、議会を敬う気持ちもないということではないか。

石にかじりついてでも「何のためか」ということを説明し尽くすという根性が全く伝わってこない。所詮は綺麗な言葉を連ねているだけだ。

過去の議事録や説明資料をしっかりと読み込んで、何をどう「精査」したのかを見極めなければならないと思っている。

それから、4月に発足したDMOについて、ようやく補正予算が提案されてきた。

地域全体の稼ぐ力を高めるために、広く市民を巻き込んで、横手市の総力を結集し地域ぐるみで展開していかなければならない事業であるのにも関わらず、たった3行の説明で予算を認めろというのはあまりにも傲慢ではないか?

実はこの2つの案件、議会との平場での議論が一切ないままに今日を迎えているのだ。所管委員会のしかも一部の人だけに伝えておけばいいいなどという姑息な逃げの姿勢は、「部局横断」でも何でもありませんよ。

1回生の私ですら、条例なり予算なり、政策を仕上げるためのプロセスや手法があまりにも未熟でその場しのぎに映る。これが、この4年間繰り返されてきた今の横手市役所の実態である。

軸がないし、将来の横手市を見据えた時に、本来は市政のど真中に掲げるべきことであるのにも関わらず、それが浸透していないせいで、好き勝手にバラバラに動いているような印象を受けている。それが益々ひどくなっているようにも思う。

そういう視点で、私自身の任期の締めくくりをしなければならないのかなとも、感じ始めているところだ。

追伸・昨日の「マンガは文化」トークセッションでは、いいお話を聴くことができましたし、「ふくしまから始めよう」完結編と、全国若手市議会議員の会総会など、書きたいことは山ほどあるのだが、前段が思いのほか長くなってしまったので、今日はこの辺で。

秋に向けての活動も、ようやく本格化しています(汗)


ふくしまからはじめよう。Part2

2017-08-15 22:24:29 | 日記

郡山市は福島県の中央部に位置し、東北新幹線などの鉄道網や東北自動車道、磐越自動車道が交わる交通の要衝として栄えてきた人口33万4000人の中核市である。

平成23年3月11日、午後2時46分。

東日本大震災の発生当時、私は東京の議員会館にいて立っていられないほどの物凄い揺れに遭遇し、まわりからは悲鳴が聞こえてきたことを記憶している。首都直下がいよいよきたのかとさえ思った。

テレビをつけると、東北から東日本にかけて大変な状況になっており、あの大津波の様子がテレビでライブ中継で放送され続けていたにも関わらず、停電だったこともあり、現地にいた多くの方々はそのことを知らなかったというのは、情報の発信と受け取り方について、大きな教訓として今もなお我々につきつけられているのである。

横手市議会では各常任委員会での審査中で、すぐさま審査を打ち切り対応にあたったそうであるが、郡山市議会では、ちょうど事務整理日ということで休会中で、当初の日程通り3日後の閉会日に議案等を議決し予算を成立させたようだ。

3月29日、議決によらない任意の組織として「郡山市議会3.11震災市民生活復興対策本部」を立ち上げ、市の災害対策本部と連携協力しながら、市民生活の早期復興を図ることを目的としているが、そもそもの発端としては、発災直後から議員個々の立場で市対策本部に対して要望を行っていたが、議会として市民の意見を集約して対応すべきだとの声が上がり、議会の組織を立ち上げることとなった。

当時の議員定数40名から各会派ごとの14名が選出され、市民生活復興部会、農業復興部会、商工業復興部会をそれぞれ組織し、現地調査や団体等への聞き取りを実施したほか、市当局に対する提言・申入書、東京電力に対しては原発事故についての要請書を、わずか2か月の間に議会として提出している。

特例法により議員の任期が4か月ほど延長されての改選後、9月には特別委員会が設置され、平成25年からは復興対策の特別委員会として様々な提言、議会としての決議や意見書を提出しながら、平成27年6月までの期間、災害に強いまちづくりについての調査研究も合わせて行ってきたようだ。

郡山市と言えば、福島第一原発事故が深刻化し情報も錯綜する中で避難指示区域が徐々に拡大していった時、富岡町と川内村の独自の判断による避難要請を受け入れ、郡山のビックパレットふくしまを解放したのである。

全町避難を余儀なくされ、ピーク時には2500人もの住民が先の見えない避難生活を送り、見えない放射能に対峙しながら復興に向かうための拠点とすべく、敷地内には富岡町役場郡山出張所も開設。

仮設住宅や町立の養護老人ホーム開設のための用地提供や、原発避難者の特例法に基づいた、教育・医療・福祉の一部事務代行や、ごみ処理や健康相談などの身近な支援も行ってこられたようである。

このように、大規模な災害が発生した際には、自治体の枠を超えた結びつきや広域的な連携が欠かせない。

いわき市と同様郡山市は、長期避難をされている被災者に常に寄り添い、市民と同じように生活できるように様々な配慮をなされていることには本当に頭が下がる思いだ。

そういう意味でも、日常の付き合いや情報交換の仕方、一緒にできることは一緒にやるというスタンスが大切であるということを再認識している。


その後、新幹線で宮城県くりこま高原駅へ移動。平成17年4月、栗原郡10町村の合併により誕生した栗原市へ。面積805㎢は宮城県内最大で、栗駒山を背に湯沢市と隣接している緑に囲まれた美しいまちである。

平成20年岩手・宮城内陸地震でM7.2、市内最大震度6強、平成23年東日本大震災でM9、市内最大震度7という2度の大きな災害の経験から、迅速かつ適切な災害復旧のためには正確な情報収集が必要で、各議員が各々市当局に情報収集や要望を行うと、個別の対応が必要となり情報も錯綜することが考えられることから、災害時における議員の行動指針としての「災害対策会議設置要領」が平成27年3月に策定されたようだ。

発災時の議員の行動も詳しくマニュアル化されており、地震の際は震度によって、正副議長、災害対策会議委員、全議員が登庁する基準が記されていることで、通信手段の遮断時にもいかなる行動をとればいいのか明確になっている。

平成27年9月11日の関東東北豪雨災害の際には、この規定に則ったかたちで対応したことによって、議員間での情報共有が図られ、窓口が一本化されたことによって当局の対応が円滑に進行でき、的確な情報収集と速やかな復旧の一助になったようである。

昨年、全若の研修で熊本地震に被災した地元議員のお話を伺った際にも、発災直後にそこの市では、自己完結できるのであればいざ知らず、議員がバラバラに動き自分の地元だからとありえないような要求をしたばかりか、真っ先に対応せよなどと言うものだから、大変な混乱が起こったという痛いお話があった。

だからこそ、災害時に議会としてどう行動すべきなのかという基本方針があらかじめ策定されていなければならず、議員としてもそれをきちんと心にとめておかなければならないのだろう。

横手市議会でも、平成25年8月1日より施行されている、「横手市議会における災害発生時の対応要領」と、「災害発生時の初動マニュアル」に基づき、災害時は議員としての自覚をもって「個人の判断」により行動することとなっており、内容としては概ね郡山市議会や栗原市議会と同様で、本部の設置、構成、任務が記されており、議員の対応としては、「各地域における情報収集と報告」、「各地域における活動に協力すること」が明記されている。

この度の豪雨災害では、私たちにタブレット端末が貸与されていたお蔭で、市対策本部からのタイムリーな情報提供と、現地に出向いた議員からそれぞれ土砂崩れの様子などの画像が提供され、共有することができた。

栗原市議会では議員に対しFAXによる伝達を行っているようで、タブレット端末の運用について私たちの取り組みを参考にしたいとのお話があったが、タブレット端末はパーパーレスによる経費削減に留まらず、タイムリーな情報共有と、必要な情報を瞬時に取り出せるという部分において、費用対効果を越えた使い方ができるのだ。

隣県であるということからも、今回の視察をご縁に、引き続き様々な情報交換ができればと思っている。

災害時、議会としての対応要領があることによって個々の動きが制約されるのではなく、「個人の判断」でどんどん動かれることは否定されるものではない。あくまでも情報の集約と提供、入口と出口を一本化するというルールを議会自らが設けることによって、市の災害対策本部では、トップの責任において、全体を俯瞰した判断と迅速な対応ができるのだろう。

その部分の意思統一が大切である。

今回、両市議会の視察では、これまで私たちの議会改革の議論の中で課題として上がっていた、議長の常任委員会の所属や一般会計予算の審議方法についてなど、議会運営に関わることについても調査をさせて頂いた。

一般会計予算を、歳出歳入ともにそれぞれの所管する常任委員会に分割付託しているケースや、全議員で予算決算の審査をする際、項目を各常任委員会ごとに区分し、4日間でスケジュールを組んで、各議員には、決められた持ち時間の範囲内で質疑を行うというやり方もあり大変興味深かった。

(超、議会用語連発ですみません。)

ともすれば、思考が固まってしまい、私たちの議会で行っている今のやり方に疑問を抱かなくなってしまうことも往往にしてあり得るんだろうと思う。

議会改革にゴールはないのと同様に、形式を重んじる議会運営の手法に、必ずしも「これで正解」ということはないと教えられたような気がしている。

私たちの残された任期もわずかであるが、これまでに議論してきた議会改革の歩みを次の4年間に繋げていくために、きちんとした足跡を残すことが我々の責務である。

災害対応についても、タブレットの活用方法も含めて、議会としての在り方を改めて考えさせられた、ためになり今後に繋がる研修であったことをここに報告させて頂きます。






追伸・今日は横手市成人式に出席して参りました。



横手の未来を切り拓くのは君たちだ。

今頑張っているステージがどこであれ、ふるさとに対する気持ちは持ち続けていてほしい。
そして、縁あって、同じ時代のこの瞬間、同じ地域で生まれた奇跡を共有するかけがえのない仲間を、これからも大切にしてほしい。

全ての人に、感謝。


ふくしまからはじめよう。Part1

2017-08-14 21:57:43 | 日記

かつての私にとって福島という場所は、大学時代に福島市のあづま総合運動公園陸上競技場に2回ほど大会で行ったくらいで、宿舎と競技場の往復だけでは正直思い出らしい思い出もないように記憶している。

同じ東北地方にありながら、距離的な遠さもあってか正直あまり馴染みのない場所だったのである。

そして、6年半前の東日本大震災発災。

経験したことのない未曽有の災害は、私たちにとって様々な価値観、意識を180度転換させるに余りある衝撃的な出来事であり、福島という場所を改めて見つめ直すきっかけとなったのである。

「がんばろう東北」というスローガンの下に、今この瞬間ここにいる自分自身に何ができるのだろうかということを考えさせられると同時に、大きな岐路に立たされているようにも思う。

全国若手市議会議員の会では、発災以降4年連続で福島の被災地に出向き現場の声を聴かせて頂いており、私自身も3度足を運ばせて頂いている。

富岡町でみた光景というのは、生涯忘れることはないだろう。
その富岡に人が戻りつつあるというニュースには、半ば複雑な気持ちで受け止めている・・・

そういえば、私にとっての東京の親父は、福島は会津の出身であったし、東京で出会った友人は、地元福島で自分の店を開いて頑張っている・・・私にとって、もはや馴染みのない場所ではない。むしろ想い入れのある場所になっている。

「ひとりひとりが復興に向けて歩みはじめよう。そして、ふくしまから新たな流れを創っていこう。

福島県は、大震災そして原子力災害から必ず立ち直ります。福島県の復興は、新たな社会の可能性を示していくということでもあります。」

「ふくしまからはじめよう。」とは、そうした未来への強い意思を込めたスローガンなのである。


ということで、この1か月の間に3度福島に出張し学んできたことをシリーズ化してお伝えしていこうと思います。

まずは日程から。7月18日は、全国若手市議会議員の会災害対策研究部会主催による研修会でいわき市へ。7月28日は、横手市議会・議会改革推進会議の行政視察で郡山市へ。そして、8月9~10日は、全国若手市議会議員の会東北ブロック総会・研修会で伊達市へ。

いわき市の清水市長は、平成6年に設立した全若の初代会長であり、全国ネットワークをつくろうと奔走された当時のエピソードが紹介された。



そういうこともあって、今回は全若の卒業生で組織するOB会との合同研修会となり、先輩方の築いて下さった礎のおかげで、今日の我々の有意義な活動があるということを感謝しなければならない。

奇しくも清水市長が仰った言葉・・・

「未だ消えることのない原発事故の風評被害。自分の目で見て感じ取ったことを、それぞれのふるさとで発信してもらうことが一番だ。」

年に1回、全国の同志が福島に集うという活動は、今後も継続していかなければならないと思う。それぞれの自治体での防災減災活動や災害復旧に活かしていくためにも。

昨年市政施行50周年を迎え、総面積1232㎢という全国12番目の広さに人口35万人を抱える中核市・いわき市。そして、この秋には改選を控えている清水市長。

復興を力強く前に進めながら、太平洋島サミットを誘致し大成功に導き、まち・ひと・しごとそれぞれの観点から、いわき創生に向けた官民連携のさらなる強化を図るために、今年の3月にはまちづくり基本条例を制定し、行政主導型から一歩進んだ「共創」を目指している。

また、こちらも清水市長の強い思い入れによって制定された「地域医療を守り育てる基本条例」は、市と市民、医療機関の果たすべき役割をそれぞれ定めている。

ひとづくりについては、官民一体による小学生から大学生までの一貫した人材育成プログラムである「いわきアカデミア」の推進を進めるほか、いわきの高校を卒業すると、その多くが東京方面に進学しUターンも少ないことから、企業版ふるさと納税制度を活用した奨学金返還支援事業を行い、地域全体で若者を還流する仕組みを構築している。

このように、市長の強力なリーダーシップの下わずか4年間で数々の実績を残されている一方で、「ワクワクする夢プロジェクト」ということで、平城の再興計画や、いわきFCスタジアムタウン構想などを公約として掲げている。

秋田でもスタジアム建設の機運の高まりを受けて、行政の対応に注目が集まっているし、横手市においてもアリーナ構想は頓挫したものの、老朽化した体育館をいかに更新していくのかという課題を抱えているが、いわき市のやり方というのは、まさに「スポーツによるまちづくり」を体現するものである。なんでもかんでも税金で借金をして建てようとする発想は、もはや時代遅れである。

「想えばやれる・・・」

それが「市長と議員の違いで、重い責任が伴うのだ」と熱く語る清水市長。

創生系の事業展開をとってみても、市長の熱い想いが組織や政策に具現化し、広く市民をまきこんで展開しようとしている。明確な指示が出されているからなのだろう、担当職員の意識も物凄く高いし迷いがない。「営業が私の仕事だ」とはっきり言い切れるあたりが素晴らしいではないか。

全若の活動では、議員経験のある青年市長の皆さんとの交流を深めることができるのも魅力の一つである。

共通していることは、「若いだけ」でいい仕事ができるのではないということ。哲学と信念があるリーダーの言葉というのは具体的で分かりやすく、何よりも人の心を打つのである。

そんなとてつもない首長、センスあるリーダーを選べるかどうかが、自治体間競争を生き残っていくための術である。「誰がやっても同じだ」などということは決してないのだから。


次回紹介する、郡山市と宮城県栗原市での研修のテーマは、「災害時における、議会・議員がとるべき行動について」。

現場に出向かなければ聞くことのできない、東日本大震災などの大きな災害を経験している議会の話というのは大いに参考になった。議会として、この部分をきちんと整理してルール化しておくことがまったなしに必須であり、危機管理そのものなのだ。今後に繋がる案件でもある。