雪の大晦日。
今年の漢字は「災」だったことからも、豪雪にはじまり、西日本豪雨、大阪北部地震、度重なる台風、災害級と言われた猛暑、そして北海道胆振東部地震と、どこを被災地といったらいいのか戸惑う程、常に災害と隣り合わせの1年だった。
大阪では、資材と職人不足から屋根にブルーシートをかけたまま新しい年を迎える家庭も多いと聞く。
いつも述べていることではあるが、災害対応、防災減災への取り組みは新たなステージに入っているものと思う。
災害の平成から新たな時代への扉を開こうとしている今、震災の教訓をしっかりと共有しながら、次に繋げていかなければならない。
そこで、平成最後の大晦日、ブログの締めくくりとして、東日本大震災の被害が甚大であった、あの宮城県気仙沼市で学んできたことを振り返ってみることにしたい。
11月22日(木)~23日(金)、全国若手市議会議員の会東北ブロック臨時総会と合わせて行われた研修会。
全国屈指の水揚げ高を誇り、遠洋沖合漁業の基地でもある気仙沼。まずは魚市場の見学。
続いて、市場に隣接する「海の市」の中にある、人材育成のためのフリースペースと「気仙沼まち大学構想」についての研修。
プレゼンをしてくれたのは、地元出身で昨年Uターンし、現在は地域おこし協力隊員でもある青年。
3.11を境に、もともとあった港町の漁師気質とさまざまな地域の船や人を受け入れてきた「協働する文化」の上に新たな価値観が加わったのだという。
災害ボランティアをきっかけに定住移住に繋がり、復興に向かうまちづくりのプレーヤーにっているというのは、隣の陸前高田市でも起こっている事例で、移住者という外的な要因が加わることで新たな人の掛け合わせが生まれており、これは、「震災がなければ起きなかったこと」なんだそうだ。
このフリースペースは「□ship(スクエア・シップ)」と呼ばれていて、□には、リーダーシップであったりオーナーシップであったりフレンドシップであったり、この場所に集う人たちの様々な想いと、みんなで一つの船(シップ)に乗って前に進んでいこうという意味も込められている。ワクワク感をもって気仙沼で新たなことにチャレンジしていくためのサポートをする場所となっていて、運営は「気仙沼まち大学運営協議会」だが、「人がいなければ復興は進まない」、そのための「リーダーを育成する場所」として、市の政策判断としての直営施設となっている。
そして、菅原茂気仙沼市長のご講演。
地元の代議士である小野寺前防衛大臣の筆頭秘書を長年お務めになられていたこともあり、国や県との間には強固なパイプをお持ちで、私たちに対しても親身になって語り掛けてくれるその温かいお人柄にすっかり引き込まれてしまった。
素晴らしいリーダーの下で、世界の水産都市・気仙沼は、市民とともに力強く復興に向けて歩みを進めているように感じた。
テレビ画面に映し出された、海が燃えているあの映像が目に焼き付いている…
1246名の尊い命が失われ、数字には表すことのできない「失ったものの大きさ以上に得たものも大きく」、絆を超えた人の「縁が復興を支えている」という。
「津波死ゼロ」を掲げた復興計画の副題には、「海と生きる」という「理念を超えた観念」がメッセージとして込められていて、先人たちは何度も津波に襲われてきたが、海の恵みというものを信じてその度に再起してきたというのが、気仙沼の歴史であり気仙沼の人々のアイデンティティ。
復興事業とは「地域の社会的課題の解決を伴うべき」で、復興とは言うものの「既存の制度では復旧止まり」で、「その突破こそがこの7年8か月の歩み」だった。たとえ国や県にNoと言われたとしても、そんな「理不尽なものを突破していくことが政治の役割」だと力をこめる菅原市長。
復旧と復興は違う。重い言葉だと思う…
産業復興としては、水産加工の工場が分散していたというのが「これまでの課題」であり、住宅を建てられない沿岸部の土地を市が買い取ることにより2か所に集約され、そのことによって生産の合理化と生産性の向上に結び付くという、まさに「社会的課題の解決」に繋がる展開が見られている。
国では、発災から5年間を「集中復興機関」、その後の5年間を「復興創生期間」に定めており、総額32兆円にのぼるいわゆる復興予算は2020年度までとしており、果たしてそれで「復興完遂」と言えるのだろうかという課題がある。
三陸沿岸道や防潮堤の整備など、インフラ復興のハード事業は繰り越しをかけることで「終了」させることはできるが、心の復興に資するソフト事業というのは、10年間を区切りに終了できる性質のものではない。
復興庁に代わる組織体制が予算措置を含めて今後どうなっていくのかしっかりと注視していきたいし、世論の後押しも必要だと感じている。
続いて、「人からはじまる地方創生」について。
夕張にも通じている部分はあるが、被災地においては、地方が抱えている問題が「加速し顕在化」している一方で、まちの中に「リーダーが芽生え」、「よそ者が大きな刺激」となり、さまざまな「学びと支援の手」が広がってきていることを「またとないチャンス」と捉えている。
先述した□shipの取り組みしかり、まちづくりセミナー「ぬま塾」やまちづくり実践塾「ぬま大学」、女性のための自分力養成講座、将来的に自治会長のなり手を要請するアクティブコミュニティ塾など、経済同友会や各大学との連携を深めつつ、学びと人づくりを基礎として、市民と行政、民間が同じ方向に向かってまちの課題に挑戦する「気仙沼まち大学」づくり。
学びとチャレンジの場を提供し、地域のために何か具体的な行動を起こそうとしている人たちの出会いの場を創出しながら、互いが互いを「応援しあう機運を醸成」していくという、徹底して「人」に光を当てており、まちを歩いていると、個人経営のショップやカフェがとても多いように感じた。
地方創生とは何か。
決して、「ハコモノが先」にあるのではない。
少子高齢化人口減少のトレンドは加速し一極集中はむしろ加速している中で、気仙沼市においても、いわゆる「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を3年前に策定しており、「自然との共生」、「都会の真似はしない」、「産業は国際的に」を柱に、「地方にある世界の港町」を掲げている。
それを受けて今年3月に策定された第2次総合計画では、子どもからお年寄りまで幅広い年代の市民114名が参加したワークショップでの意見を反映させており、「総合計画とは行政計画ではなく、公共計画であるべきだ」という菅原市長の言葉がとても印象的で、J・F・ケネディのあまりにも有名な言葉に通ずる、市民が何を為すべきかがうたわれているという。
これも、悲しみを乗り越えて共に故郷の未来を創っていこうとする市民協働のかたちであるように感じた。
「世界とつながる豊かなローカル」を掲げ、産業に関しては「外貨獲得と地域経済循環」を強調しており、政府肝いりのビックデータであるRESASを徹底活用するための専門部署を庁内に設置し、まさに「ローカルファースト」の取り組みが徹底して行われているようだ。商工団体や金融機関とのディスカッションも密に行われている印象を受けた。
DMOへの挑戦も、「観光で稼げる地域経営」の手段とした明確なビジョンがあり、詳細は伏せるが、市の観光予算・事業をいかにして戦略的に展開していくのかという強い意志を感じることができた。
これまでやっていたのは「単なるセールスで、マーケティングが抜け落ちていた」という分析は、グサッと突き刺さる言葉であった。
最後に、地元議員から被害が甚大であった階上(はしかみ)地区をご案内頂いた様子を。
高さ17mにも達したという津波の第一波が直撃した場所。慰霊碑を前にして、何も言葉は出てこなかった…
防潮堤の工事が進んでいる。市は「津波死ゼロ」を掲げていることから、居住が叶わなくなった場所には地元農業法人が立ち上がりネギの栽培に取り組んでいるという。
校舎の4階まで浸水したという気仙沼向洋高校。保存工事が進められていて、震災遺構として来年3月から一般公開される。
津波に耐えた「龍の松」として残されている。
「全てを失ったからこそ生まれてきた新たな動き」
「私たちは今、1000年先のまちづくりに携わっている」
外野の人間が軽はずみに引用することははばかられる程、当事者たちの言葉にはとてつもない重みを感じる。
たった1泊2日の滞在で目にしたもの、学んだことというのはごくごく一部のことだろうし、きっと筆舌に尽くしがたい困難を受け入れて、乗り越えて、今の「笑顔」があるのだろうと思う。
災害の時代に生きるということはどういうことなのだろうか。
名もなき一人一人の物語の上に、復興のまちづくりとそこから先の未来に続く道があるということを、私たちは常に思いを寄せていかなければならない。
何のために政治をやるのか。
被災地に触れることによって、ビシビシと感じるものがある。
「海と生きる気仙沼」の復興に取り組む仲間たちの頑張りをこれからも応援していきたいし、新しい年も、日々に感謝し、日々新たに、与えられた立場で自分の使命を全うしていこうと思っている。
今年も残りあとわずかとなりました。
お世話になりました全ての皆さまに深く感謝申し上げながら、つたないブログにお付き合いいただいたことにもお礼を申し上げます。
ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。