奥 山 豊 和 (おくやま とよかず)公式ブログ

培った経験と人脈を活かし、生まれ育った故郷を元気に。
対話重視、市民が主役の市政運営を取り戻します。

プレーバック2018・後編~復興、海と生きる気仙沼~

2018-12-31 23:47:45 | 日記

雪の大晦日。

今年の漢字は「災」だったことからも、豪雪にはじまり、西日本豪雨、大阪北部地震、度重なる台風、災害級と言われた猛暑、そして北海道胆振東部地震と、どこを被災地といったらいいのか戸惑う程、常に災害と隣り合わせの1年だった。

大阪では、資材と職人不足から屋根にブルーシートをかけたまま新しい年を迎える家庭も多いと聞く。

いつも述べていることではあるが、災害対応、防災減災への取り組みは新たなステージに入っているものと思う。
災害の平成から新たな時代への扉を開こうとしている今、震災の教訓をしっかりと共有しながら、次に繋げていかなければならない。

そこで、平成最後の大晦日、ブログの締めくくりとして、東日本大震災の被害が甚大であった、あの宮城県気仙沼市で学んできたことを振り返ってみることにしたい。

11月22日(木)~23日(金)、全国若手市議会議員の会東北ブロック臨時総会と合わせて行われた研修会。

全国屈指の水揚げ高を誇り、遠洋沖合漁業の基地でもある気仙沼。まずは魚市場の見学。





続いて、市場に隣接する「海の市」の中にある、人材育成のためのフリースペースと「気仙沼まち大学構想」についての研修。





プレゼンをしてくれたのは、地元出身で昨年Uターンし、現在は地域おこし協力隊員でもある青年。

3.11を境に、もともとあった港町の漁師気質とさまざまな地域の船や人を受け入れてきた「協働する文化」の上に新たな価値観が加わったのだという。

災害ボランティアをきっかけに定住移住に繋がり、復興に向かうまちづくりのプレーヤーにっているというのは、隣の陸前高田市でも起こっている事例で、移住者という外的な要因が加わることで新たな人の掛け合わせが生まれており、これは、「震災がなければ起きなかったこと」なんだそうだ。

このフリースペースは「□ship(スクエア・シップ)」と呼ばれていて、□には、リーダーシップであったりオーナーシップであったりフレンドシップであったり、この場所に集う人たちの様々な想いと、みんなで一つの船(シップ)に乗って前に進んでいこうという意味も込められている。ワクワク感をもって気仙沼で新たなことにチャレンジしていくためのサポートをする場所となっていて、運営は「気仙沼まち大学運営協議会」だが、「人がいなければ復興は進まない」、そのための「リーダーを育成する場所」として、市の政策判断としての直営施設となっている。


そして、菅原茂気仙沼市長のご講演。

地元の代議士である小野寺前防衛大臣の筆頭秘書を長年お務めになられていたこともあり、国や県との間には強固なパイプをお持ちで、私たちに対しても親身になって語り掛けてくれるその温かいお人柄にすっかり引き込まれてしまった。

素晴らしいリーダーの下で、世界の水産都市・気仙沼は、市民とともに力強く復興に向けて歩みを進めているように感じた。



テレビ画面に映し出された、海が燃えているあの映像が目に焼き付いている…

1246名の尊い命が失われ、数字には表すことのできない「失ったものの大きさ以上に得たものも大きく」、絆を超えた人の「縁が復興を支えている」という。

「津波死ゼロ」を掲げた復興計画の副題には、「海と生きる」という「理念を超えた観念」がメッセージとして込められていて、先人たちは何度も津波に襲われてきたが、海の恵みというものを信じてその度に再起してきたというのが、気仙沼の歴史であり気仙沼の人々のアイデンティティ。

復興事業とは「地域の社会的課題の解決を伴うべき」で、復興とは言うものの「既存の制度では復旧止まり」で、「その突破こそがこの7年8か月の歩み」だった。たとえ国や県にNoと言われたとしても、そんな「理不尽なものを突破していくことが政治の役割」だと力をこめる菅原市長。

復旧と復興は違う。重い言葉だと思う…

産業復興としては、水産加工の工場が分散していたというのが「これまでの課題」であり、住宅を建てられない沿岸部の土地を市が買い取ることにより2か所に集約され、そのことによって生産の合理化と生産性の向上に結び付くという、まさに「社会的課題の解決」に繋がる展開が見られている。

国では、発災から5年間を「集中復興機関」、その後の5年間を「復興創生期間」に定めており、総額32兆円にのぼるいわゆる復興予算は2020年度までとしており、果たしてそれで「復興完遂」と言えるのだろうかという課題がある。

三陸沿岸道や防潮堤の整備など、インフラ復興のハード事業は繰り越しをかけることで「終了」させることはできるが、心の復興に資するソフト事業というのは、10年間を区切りに終了できる性質のものではない。

復興庁に代わる組織体制が予算措置を含めて今後どうなっていくのかしっかりと注視していきたいし、世論の後押しも必要だと感じている。


続いて、「人からはじまる地方創生」について。

夕張にも通じている部分はあるが、被災地においては、地方が抱えている問題が「加速し顕在化」している一方で、まちの中に「リーダーが芽生え」、「よそ者が大きな刺激」となり、さまざまな「学びと支援の手」が広がってきていることを「またとないチャンス」と捉えている。

先述した□shipの取り組みしかり、まちづくりセミナー「ぬま塾」やまちづくり実践塾「ぬま大学」、女性のための自分力養成講座、将来的に自治会長のなり手を要請するアクティブコミュニティ塾など、経済同友会や各大学との連携を深めつつ、学びと人づくりを基礎として、市民と行政、民間が同じ方向に向かってまちの課題に挑戦する「気仙沼まち大学」づくり。

学びとチャレンジの場を提供し、地域のために何か具体的な行動を起こそうとしている人たちの出会いの場を創出しながら、互いが互いを「応援しあう機運を醸成」していくという、徹底して「人」に光を当てており、まちを歩いていると、個人経営のショップやカフェがとても多いように感じた。

地方創生とは何か。

決して、「ハコモノが先」にあるのではない。

少子高齢化人口減少のトレンドは加速し一極集中はむしろ加速している中で、気仙沼市においても、いわゆる「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を3年前に策定しており、「自然との共生」、「都会の真似はしない」、「産業は国際的に」を柱に、「地方にある世界の港町」を掲げている。

それを受けて今年3月に策定された第2次総合計画では、子どもからお年寄りまで幅広い年代の市民114名が参加したワークショップでの意見を反映させており、「総合計画とは行政計画ではなく、公共計画であるべきだ」という菅原市長の言葉がとても印象的で、J・F・ケネディのあまりにも有名な言葉に通ずる、市民が何を為すべきかがうたわれているという。

これも、悲しみを乗り越えて共に故郷の未来を創っていこうとする市民協働のかたちであるように感じた。

「世界とつながる豊かなローカル」を掲げ、産業に関しては「外貨獲得と地域経済循環」を強調しており、政府肝いりのビックデータであるRESASを徹底活用するための専門部署を庁内に設置し、まさに「ローカルファースト」の取り組みが徹底して行われているようだ。商工団体や金融機関とのディスカッションも密に行われている印象を受けた。

DMOへの挑戦も、「観光で稼げる地域経営」の手段とした明確なビジョンがあり、詳細は伏せるが、市の観光予算・事業をいかにして戦略的に展開していくのかという強い意志を感じることができた。

これまでやっていたのは「単なるセールスで、マーケティングが抜け落ちていた」という分析は、グサッと突き刺さる言葉であった。


最後に、地元議員から被害が甚大であった階上(はしかみ)地区をご案内頂いた様子を。



高さ17mにも達したという津波の第一波が直撃した場所。慰霊碑を前にして、何も言葉は出てこなかった…



防潮堤の工事が進んでいる。市は「津波死ゼロ」を掲げていることから、居住が叶わなくなった場所には地元農業法人が立ち上がりネギの栽培に取り組んでいるという。



校舎の4階まで浸水したという気仙沼向洋高校。保存工事が進められていて、震災遺構として来年3月から一般公開される。





津波に耐えた「龍の松」として残されている。


「全てを失ったからこそ生まれてきた新たな動き」

「私たちは今、1000年先のまちづくりに携わっている」

外野の人間が軽はずみに引用することははばかられる程、当事者たちの言葉にはとてつもない重みを感じる。

たった1泊2日の滞在で目にしたもの、学んだことというのはごくごく一部のことだろうし、きっと筆舌に尽くしがたい困難を受け入れて、乗り越えて、今の「笑顔」があるのだろうと思う。

災害の時代に生きるということはどういうことなのだろうか。

名もなき一人一人の物語の上に、復興のまちづくりとそこから先の未来に続く道があるということを、私たちは常に思いを寄せていかなければならない。

何のために政治をやるのか。

被災地に触れることによって、ビシビシと感じるものがある。

「海と生きる気仙沼」の復興に取り組む仲間たちの頑張りをこれからも応援していきたいし、新しい年も、日々に感謝し、日々新たに、与えられた立場で自分の使命を全うしていこうと思っている。

今年も残りあとわずかとなりました。

お世話になりました全ての皆さまに深く感謝申し上げながら、つたないブログにお付き合いいただいたことにもお礼を申し上げます。

ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


プレーバック2018・前編~夕張の挑戦から見えてくる近未来~

2018-12-29 23:58:21 | 日記

比較的穏やかな冬かなぁと思っていたところに、この年末寒波。横手もすっかり“いつもの冬”となりました。

さて、平成最後の〇〇という言われ方が常についてまわった平成30年、2018年も間もなく終わりを迎えようとしている。年末特番やら、「年内最後の放送です」というフレーズに、師走の慌ただしさを実感する。

年明けには風邪をこじらせてしまいスタートダッシュで躓いてしまったが、ありきたりではあるが、本当にあっという間の一年だった。

結局、ブログの更新は週一ペースにとどまっている。せっかく活動の幅が広がっているのにも関わらず、打数を増やすことができていないというのには、何を言っても言い訳にしかならない。

現場では、課題山積の市政。

そんな中で、新たな出会いもあり、知見を広げることができた刺激的な日々を振り返ってみたとき、少なくとも平成の最後をこのまま筆を置いたままではいられない。

プレーバック2018

まずは「夕張」から振り返ってみることにしよう。

11月8日、全国若手市議会議員の会北海道ブロック・中国ブロックの合同で、それに政策調査研究部会が共催をするかたちで行われた研修会。





北海道夕張市。

いわゆる「財政破綻」の街として知られており、政治行政に携わる者として、いつか機会があれば訪れてみたいなとずっと思っていた場所。今でも全国各地から視察が絶えることなく、有料で定例日にのみ受け入れているという。

常日頃私たちは、自治体の財政が悪化していく様を「第二の夕張」という安易な例えをしてはいないだろうか?実態をよく知りもせずに。

お忙しい中をご対応下さった厚谷議長、議会事務局長のお話によれば、破綻当初には、「不適正な会計処理を見抜けなかった議会のチェック機能」に対する質問が大半だったものの、近頃は少子高齢化人口減少社会におけるまちづくりの方向性に関する問いかけが多いという。

まさに、夕張の姿は、近未来の日本…

炭鉱の街として国のエネルギー政策に翻弄され基幹産業である大きな柱を失っていく中で、石炭産業に代わる新たな産業として観光振興に舵を切り、次々に身の丈以上のハコモノを抱えていった。

昭和30年代以降平成2年までの間に、炭鉱の閉山が続く中で当時の政策判断としては、職を失った多くの市民の雇用の場を何とかして確保しなければならないという切実が思いがあったのかもしれないが、地方債に頼ったハコモノ建設を短期間で進めたことから財政の硬直化を招いたというのが財政破綻を招く要因となったようだ。

昭和35年のピーク時には108,000人いた人口は、現在8,300人ほど。横手市よりも広い763㎢の内森林面積は91%で、谷あいに集落が点在しており、高齢化率51%は全国一。

破産した炭鉱会社が抱えていた住宅が放置された名残から、今でも3306戸もの公営住宅を抱えており、どれも老朽化が著しく、入居戸数は1675戸に留まっている。

このように、炭鉱閉山による人口減少を背景に、
・社会基盤の整備
・観光施設への過大投資
・行政体制の効率化の遅れ
・産炭地域臨時交付金の廃止や地方交付税等の減少
という歳出増と歳入減の要因が財政圧迫を招き、年度をまたいだ貸付償還を行うなど赤字表面化を回避する「不適正な財務会計処理」が常態化していたことから、実に標準財政規模の801%(市の1年間の予算の8倍)、353億円という巨額の財政赤字を抱え、平成18年に財政再建団体となった夕張市。

国が肩代わりした借金を20年間で返済する「財政再生計画」になっていて、1年間の市の予算の4割は借金返済に充てられるという想像もつかない超緊縮財政。「財政再建計画」にのっていない予算については、その都度計画を変更し国の同意を得なければならない。

つまり、新たな投資、投資的な事業は基本的にできないということに他ならない。

総人件費の大幅な削減を行い、半分以下に減った職員の仕事量は、実に破綻前の3倍になっているという。
小学校は6校を1校に、中学校は3校を1校に統合。市民会館や図書館は廃止され、その事業は「住民の生死に関わるか否か」という視点から、補助金は全額カットされている。

不採算の観光事業は取りやめ、市所有の観光施設は売却ないし指定管理。市立病院は公設民営の診療所となり、公共施設の大幅な統廃合が進められ、集会施設や体育施設も必要なもの以外廃止となった。住民税も最高税率となっている。

このように、血の滲むような努力の副作用によって、人口の流出と高齢化も進行している。

しかし、借金を返し終わった後、財政再建の先にこの街になにが残るのだろうか?将来世代に故郷を残すためにやらなければならない投資とは何か?

「財政再生計画」では、「人口減少が進む中で財政の健全化を確実なもの」としながら、「市民生活の安全安心」や「地域の活力」を維持するための取り組みや将来的なまちづくりに繋がる事業を進めていくことがうたわれている。

職員の給与水準は戻りつつあるものの、マンパワー不足を補うためには「市民や企業との協働」は欠かせない。
「理解と協力」を得るには、民間活力を導入し市民参加を促していくためには、「情報公開」を進め「透明性の高い行財政運営」が必須だという。

かわいたタオルを絞りながらも、それに適度な潤いを保っていくという難しい作業を進めていかなければならない時に、隠蔽してきた歴史を反省しつつ、正確な情報を市民に伝え、本音で語り合い、一緒になって未来をつくっていくという気概が、政治行政に必要なんだろうと思う。

冒頭触れたように、集落が点在し「行政的には非効率」である都市構造をいかにして改善していくのかという課題に対し、「将来的には公共施設を市中心部へ集約」していかなければならないと、順次立て替えの進む市営住宅の現場を見させていただいたが、炭鉱の街という歴史的な課題である「住宅再編事業を進めることでコンパクトで効率的なまちづくり」を進めていくことを真正面から市民に対し語りかけているのだ。

同時に、「お年寄りが暮らしやすい住環境の整備や医療福祉の確保」。未来を担う「子どもたちが健やかに育ち、学べる環境づくり」への取り組みも標ぼうしている。

漢方薬で有名な某企業の協力により、手つかずの市有林を再生する「日本一の薬木産地」プロジェクトや、市内に60も点在しているという、石炭をとった捨て石を積み上げたズリ山という名のゴミの山を再生するプロジェクトによって、新たな雇用が生まれ、希望の光が見えてきているようだ。

街には、破綻後に移り住んできたという方たちの力によって新たな盛り上がり、にぎわいが生まれているようだし、来年4月に廃線となるJR北海道の石勝線夕張支線の終着駅「ゆうばり駅」には、多くの鉄道ファンがカメラを片手に訪れていた。



「炭鉱」から「観光」へ。

閉山により全てを失い、それを乗り越えようと新たな分野にチャレンジをしたのには、それなりの理由があった。

そして、「財政破綻」により失ったものを取り戻そうとする動きが、一歩一歩前に進んでいるように感じた。

「まちのつくりかえ」をせずに、夢よもう一度と身の丈以上の投資に舵をきってしまった結果が、大きな教訓としてあるように感じている。

私たちは、何をやめて、何を残し、何を新しく始めるのかということを、説明し尽くす胆力が求められているのだろう。

なぜ?何のために?

予算がないことを「やめる理由」にする一方で、新しいことにはお金を使いたい???
市民に対し、不都合な真実に対する理解を求める努力をせずに、ただ「やりたい」だけですか?

「勇気と真心を持って真実を語る」とは、今やらなければならない「まちのつくりかえ」の在り方を、謙虚に語りかけていくことなんだろうと思う。

夕張は、そうやって市民とともに未来を創ろうとしているように感じる。

財政破綻後、総入れ替えになっている夕張市議会の定数は現在9名で、来春の統一選では1名減の8名で改選を迎えるそうだ。
議員として、一般質問などで「新たな予算が伴う提案ができないのがツライ」と言っていたのが印象的で、1名減らした分が、未来への投資の財源になるという。

財政破綻によって、「市役所や議員に何か頼んでも、新しいことはやってもらえない」という市民感情が蔓延している中にあって、いわゆるサイレントマジョリティー、表に出てこなくなった住民の声というものをいかにして引き出していくのか。

「どうせ、何を言ったって無理…」ではなく、議会として地域に出向き、まずは市民との意見交換を重ねていく必要性を強く説いておられた議長の姿勢に深く感銘を受けた。

補助金の全廃。観光は民間で。公の仕事として行う判断基準は、市民の生死に関わるか否か。行財政改革としては、究極と言えるのかもしれない。

なぜ財政破綻してしまったのかという振り返りは、確かに衝撃的だった。

それ以上に、確実に縮小していく近未来に向けて、「まちのつくりかえ」の議論を真正面から始めていくことが、夕張の教訓として私たちが果たさなければならない責任であるように思う。

改めて、貴重な研修をセットしていただいた関係の皆さまと、全国各地より参集の同志各位に深く感謝申し上げたい。


長文、失礼しました。プレーバック2018、次回は「気仙沼」に参ります。


汝、何のためにそこにありや。~全若研修で「マーケティング」を学ぶ~

2018-12-24 23:18:09 | 日記

あなたは、なぜそれに取り組むのか…あなたにとってのpurpose(目的)とは?

自分はなぜ政治家という道を選んだのか?

そもそも、なぜ政治をするのか?

そして、なぜ横手市議会議員なのか?


メリークリスマス!

忘年会真っ盛り、そして、世間はクリスマスムード一色の中、22日(土)と23日(日)は、東京都品川区・大田区某所にて行われた、私ども全国若手市議会議員の会組織拡大部会主催による研修会に参加して参りました。



「自治体マーケティング~市民の心を動かし、行動へと繋げ、課題を解決する戦略論~」というのが研修のメインテーマでして、冒頭の文言は、ある外資系企業の若きマーケティングマネージャーが語る、マーケティングの本質であったと理解している。

今年の大きなニュースの一つに、度重なる「スポーツ界の不祥事」が挙げられると思う。

あるテレビ番組の中で、同世代の尊敬する元アスリートの方がおっしゃっていた「世の中は大きく変わってきているのに、スポーツ界は旧態依然」で変われずにいるという分析がとても印象に残っている。

スポーツ界では今、慢性的に「組織のガバナンスにかける予算と人員が不足」していることから、一連の不祥事の背景には、「組織の構造上の問題」があることも指摘されている。

私自身体育会なもので、自分自身の努力によって人生を切り拓いてきたことからも、「精神論」を全否定するつもりは毛頭ない。

しかしながら、もはや「精神論」だけでどうにかなる世の中ではないことは明らかであって、「変わること」に躊躇していては、世に取り残されるだけではなく、誰からも必要とされなくなってしまうのだろう。

ともすれば、政治や選挙とは、基本的に「精神論」で在りはしなかっただろうか?

今回の研修は、「モノが売れるのには理由があり、人の行動にも理由がある」ということを突き付けられ、そのことを客観的に学び理解を深めることができた。

情報通信技術の進展により「情報が氾濫」している世にあって、何が印象に残っているかと言われれば、溢れ出る情報にいつの間にか人は「無意識」になっているのだという。

確かにそうだ。

この1週間で、印象に残ったCMや広告はありますか?と問われて、すぐ答えられる方はどれだけいるのだろうか…

伝えたいことが、実は何も「届いていない」ことを前提にしなければならないということを、政治行政に置き換えた時、我々がやっていることは所詮一方通行であったということを、まずは認めることから始めなければならないのだと思う。

例えば、公共施設の総量を4割削減しなければならない切実な理由など「誰も知らない」のであって、もっと言えば、「自分たちには関係のない事」なのだ。

ところが、「誰も知らない」ところで一極集中の体制になり、いつの間にか、コンパクトをうたう一極集中の都市計画がつくられようとしている事実…

では、その「無意識」の扉をいかにして開いていったらいいのだろうか?

「精神論」ではなく、冷静に己のpurposeを突き詰めていかなければならない。


それにしても、我々全若は、とてつもない組織であることを痛感する。こういう研修ができること、全国津々浦々のネットワークで、それを共有することができること。

せっかく与えて頂いている立場の意味を、今一度もっと深く考え直さなければならないと思っている。

大げさではない、政治に携わり幾年月、こんなにも衝撃を受けたことは数少ないように思う。

改めて、有意義な時間をつくってくれた組織拡大部会をはじめ、会場設営にお骨折りいただいた東京選出の同志各位、講師の先生方と、全国の仲間たちに深く感謝申し上げたい。

心を入れ替えて、年末年始は自分にとっての「政治」に向き合ってみようと思っている。



追伸・表題の「汝、何のためにそこにありや」は、政治の父から繰り返し教えられた言葉。その言葉の本当の意味が今、改めて分かったような気がする。


締めくくりの12月議会。

2018-12-21 23:45:34 | 日記

加速度的に時計の針が進んでいく。これぞ師走。

平成30年締めくくりの横手市議会12月定例会は、先週12日(水)に閉会。
議会だよりの編集作業をしている私たち広報委員の活動はまだ続いており、昨日は横手かまくらFMの番組「もっと教えて横手市議会」の収録でも、12月議会の振り返りをさせて頂いた。

今議会、一般質問には11名の議員が登壇し、新年度の組織機構再編方針や横手駅東口再開発事業など、市が抱える様々な課題について議論が繰り広げられたほか、総務文教常任委員会で否決となった「横手スキー場廃止条例」は、本会議において賛成5、反対19という大差での否決となった。

関係するスポーツ団体等とは意見交換を行ったそうだが、利用者や地域の方々に対し「廃止せざるを得ない」理由を丁寧に説明し理解をいただく努力というものがなされていないという点。

再開にかかる費用と、同スキー場は都市公園の一部であることから、土地を返却するための原状復旧費用についてのコスト比較。

そして、市内のスキー場は増田の天下森スキー場に集約されることとなるが、混雑緩和のための具体的対策と、そり遊び等で雪に親しむことのできる(仮称)スノーパーク構想の中身について。

というのが、主な議論のポイントとなったわけであるが、一言でいえば、「議論が尽くされていない」ということだと思う。

そして、もう1件。

「よこて農業創生大学事業」として、母校でもある旧大雄中学校跡地に整備中の「横手市園芸振興拠点センター設置条例」については、全会一致で可決されたものの、産業建設常任委員会から附帯決議が提案される結果となった。

この「附帯決議」とは、議案を可決する際に審査をした委員会の意思を表明するものとして行う決議のことで、法的な拘束力はないものの、当局に対し議会の意思を示す上で、大変重い権利であると理解している。

この、よこて農業創生大学事業。

国からの地方創生交付金などを活用しながら、約12億円もの巨額の公費を投じて行われてきた一大プロジェクトであって、議会においても制度設計の段階から、場所の問題であったり、中学校のグラウンドだった土を農地に転用できるのかといったような様々な議論が行われてきたし、予算案が修正された時もあった。

このように、これまで紆余曲折を経ていよいよ来年4月から「農業者の所得向上と担い手の確保と育成を目的」とする農業創生大学事業が動き出すこととなる。

私たちは委員会審査を通じて、様々な角度から丁寧な議論をこれまでも数多く重ねてきたわけであるが、施設稼働後の運営方法について、準備不足の懸念を払しょくするには至らなかった。

1点目は、この施設の目玉ともいえる「6次産業化支援施設」において、農産物の加工販売に取り組もうとする農家が、初めて6次産業化に挑戦するトライアル施設という位置づけであるとするならば、そこで作ったものが試作品として市場の評価をつかむためにも、販売できる許可、営業許可を持った施設であるべきだとの議会からの指摘に対し、営業許可がとれる見込みが立っていないということ。

2点目は、園芸振興拠点センターの稼働により期待できる具体的な戦略やその取り組みの構想が乏しいと感じたこと。

市役所の農林部と商工観光部の連携がきちんと見えるかたちで、アクションプランの素案を早期にお示しいただき、議会だけではなく関係機関との意見交換を密に行ってほしいという内容となっている。

実はこの議案、私たち産業建設常任委員会での審査中、かなり際どい空気になっていた。

こういう中で「なぜ今提案したのか」という、まさに横手スキー場と同じ状況…

私たちは議員間討議を経て、条例案としては認めざるを得ないけれども、附帯決議を付すことを委員全員の総意として決定をした。この辺りは、議会改革が大きく進んでいる部分であると思っている!

詳しくは、新年1月15日発行の議会だより「あなたと市議会」にご注目いただければ幸いです。皆さんのご協力のおかげで、今回も渾身の内容となっています。乞うご期待!

24日(月)10:45~の横手かまくらFMでも放送されます!

条例案を上程するのもそれを審査するのも、とてつもなく重い責任のある行為だと理解している。

否決され、附帯決議が付されたという事実。

根っこにあるのは、毎度おなじみの「説明不足」。

最終日に行われた当局側との懇親会の席上、議長のご挨拶はいつも以上に厳しい内容であった。

横手スキー場と農業創生大学事業に加え、来年4月からの組織機構再編案に関する提案の仕方。

具体的な協議がなされないままに、加速度的に進んでいる横手駅東口再開発事業。

そして、議会には何ら情報提供がないままに、学校へのエアコン設置に対する国の交付金申請に手を挙げなかったこと。(←政治センスが問われます)

それに対するアンサーは、「重く受け止める」といういつものスタンス…

一方、議会は議会で「政治倫理審査会」が設置されるという由々しき事態となっている。

新聞報道は内外に大きな反響を呼んでいるようで、議員である以上、今一度発言と行動には気を付けるよう通達が出されている事例もあるそうだ。

締めくくりの12月議会が、なんとも後味の悪い展開となってしまったことを、一議会人として率直に申し訳なく思っている。

今年も残すところあと10日となります。


追伸・気を取り直して…14日(金)、植田小学校にゲストティーチャーとして訪問。



12月3日の一般質問の傍聴に来てくれた6年生のクラスにおじゃまして、その時の感想を聞きながら、これからの横手市の未来について語り合うという内容だった。



今年度、総合的な学習の中で「横手市活性化プラン」を作成しているという。

子どもたちなりに調査研究をし、横手市民の一人として、地域社会の一員として自分たちにできることをやっていこうとする姿勢はとても頼もしいことだし、率直に頭の下がる思いだ。

一クラスわずか9名。

「小さい学校」には「小さいなり」の良さがある。

少子高齢化人口減少社会という現実が子どもたちの小さな肩に伸し掛かっているという場面に直面した時、改めて考えさせられることも多く、それと同時に、一緒になって未来をつくっていかなければならないということを、子どもたちの様々な提案から学ばせてもらった、貴重な時間だった。

この模様は、年明けに横手かまくらFMにて放送する予定です。お楽しみに。


若者の 一番身近な 全若に。~Niigata選挙カレッジ~

2018-12-11 22:43:33 | 日記

開会中の横手市議会12月定例会は明日が千秋楽。

横手スキー場廃止条例は、総務文教常任委員会にて「否決すべきもの」と決し、私たち産業建設常任委員会では、結果として全会一致で可決となった「よこて農業創生大学事業」の設置条例に議会の意思を示すこととしている。

気を引き締めて最終日の本会議に臨みたいと思う。


さて、この週末県外出張している間に、横手はすっかり銀世界。何となく暖冬の予感をしていたが、やはりいつもの冬がやってきましたね…

新庄駅から陸羽西線、余目駅から羽越線特急いなほを乗り継いで、一路新潟へ。

隣の隣の県へ移動するのに、東京行きの新幹線の倍も時間がかかるという現状。広域連携を進めていく上で、県境のアクセスをもっと向上させていかなければならないし、一部で「西海岸」という興味深い表現をされているようだが、日本海国土軸形成の重要性を痛感した長時間の移動であった。

車窓には、荒れる冬の日本海。まさに演歌の世界だ。





学生時代以来15年以上ぶりの新潟市。今回の研修はこれ。



新潟大学五十嵐キャンパスにて行われた、「平成30年度若者と若手議員による政治・選挙に関する意見交換会」。
新潟県明るい選挙推進協議会(新潟県選管)、新潟大学地域政策協働センター、全国若手市議会議員の会北信越ブロックとの共催にて行われており、今年で6回目。

「地域政策協働センター」とは、学生を地域に送り込むことを目的に2013年に新潟大学法学部内につくられたそうで、新大の学生を中心に組織されている「Niigata選挙カレッジ」の学生との意見交換は、北信越ブロックの研修として毎年行われているそうだ。

全国会長として、日程が許す限り各ブロックの研修にお邪魔したいなと考えており、会期中の強硬日程ではあったが、新たな出会いに今回も大いに刺激を受けてきたところだ。


第一部、「議員についてもっと知ろう!」をテーマにしたパネルディスカッションは学生がコーディネート役を務め、私たち若手議員は「議員という仕事を人に勧めたいか」といったような設問に〇×で答え、学生からの鋭い質問に答えるという、まさにぶっちゃけトーク。

政治に関心のある学生を前にきれいごとを並べたって仕方がないので、私たちは終始本音で向き合った。

自分の生まれ育った故郷に恩返しをする手段として政治の道を選ぶのであれば、信念を持って突き進んでほしい…

己を削ること。逃げも隠れもできない、自分自身がどんな道を歩いてきたのかが評価をされる世界でもある。

主権者教育というのは、こういう形があってもいいんだと思った。


第二部は、「街の未来をデザインしよう!」をテーマに学生と若手議員が交わってのワークショップ。

「若者が自分の住む街について見つめ直し、そこから課題解決等に向けた政策を考え出すことにより、政治や選挙について身近な問題として捉えること」を目的に、こちらも真っ直ぐに学生に向き合い、同じ若い世代としてどんな未来を描くのかという本音トークをすることができた。

私の班の学生は、地元新潟、山形、長野の出身ということで、公共交通の問題やら若者が集える場所など、少子高齢化人口減少という共通の課題に即した話題が出された。

色々なことが中途半端だよね…

税金をつかったPR動画はどれ程の効果があるの…

ともすれば、政策立案から意思決定に至るまで、偏った世代、偏った意見で物事が決められてはいなかっただろうか。

様々な世代、多様な人材が政治に参画することの意義はここにあるものと思う。
若者の視点、女性の視点がフィルターになることによって、この国の政治は変わっていくのかもしれない。

自分自身が常にHAPPYでなければ、周りの人を思いやったり、明日の社会を思いを抱くことなんてできない。
ささいなことでもいい。日々の生活に幸せを感じられる世の中にしていきたいものだ。

若者と政治や選挙について考えるとき、「学」だけでも「官」だけでもいけない。
Niigata選挙カレッジの取り組みというのは、深い連携によって「強い当事者意識」の醸成に繋がっているように感じた。

学生に向き合うことによって、政治家として、議会人としてどうあるべきなのかということを深く考えさせられたし、新たな気付きもあった。それ以上に、ただただ楽しかった!!!



我々全国若手市議会議員の会は、若者たちの一番身近な存在であり続けたいと思っている。

改めまして、新潟県選管の皆さま、新潟大学の先生方と選挙カレッジの学生のみんな。そして、北信越ブロックの同志の皆さんに深く感謝申し上げます。貴重な経験をさせて頂きました。

都合が許せば、来年も参加できればなと…


気持ち新たに、横手市議会議員としての責務を果たして参りたい。未来のために…