日野日出志「ホラー自選集」の第10話「幻色の孤島」ですが、これも前回の第9話「七色の毒蜘蛛」と共通する要素があります。毒々しい色のイメージを持つタイトルも似ています。両者は共に1971年の作品であり、同様の精神状態のもとで描かれたのでしょうか。
扉のページをめくると、いきなり主人公が手紙を書いています。そこでは主人公が孤島にいることが記されています。そしてその孤島の様子が左ページに描写されていますが、この孤島は様々な気味の悪い生物達の弱肉強食の世界でした。そして主人公は記憶喪失であり、ここがどこかも自分が誰かも分からないというあんまりな状態。それにしても現実感の無い異様にマンガ的な風景ですが、これには理由があるのでした。
そしてジャングルの奥で「どんどろ どんどろ どろろん どろろん」と不気味な音が聞こえてきたかと思ったら…。
巨大な門、仮面をつけた遺体、人の姿と太鼓の音。何やら象徴的なものが現れてきました。ここで主人公は助けを求めて近寄りますが、言葉が通じないばかりか矢で左腕を射抜かれてしまいます。この際に日野日出志作品にしばしば出てくる「ペロペロ ナメナメ コチョバイバイ」のセリフが出てきて笑ってしまいますが。
主人公はこの門の近くで観察を続けます。すると病人や老人たちが門の外に捨てられ、彼らを狙って周辺から奇妙な生物たちが集まってきます。そして捨てられた人々は次々と食い殺されてしまい…。
門の向こう側の人達は太鼓を激しく叩いて興奮しているのでした。粗雑で無表情の仮面も気味が悪いですが、門の両側の巨像の顔のアップが繰り返し描かれているのが日野日出志作品的で印象深いです。
そして矢で射抜かれた左腕が腐って落ちる頃、門の中から捨てられた一人の男と会話を交わします。彼も漂流をしてこの島にたどり着いたけれど、島の風土が体に合わず弱ってしまって捨てられたそうです。その彼は以前秘密の通路を作って門の内側に入ったとのことで、主人公は仮面をつけて中に入ってみると…。
なんと普通?の街でした! この絵はいいですねぇ。グレーのかかった街並、隙間無く詰め込まれた図形のような建物、やけにリアルな外界側の塀と柵、どこで鳴っているかわからない「どろろん どろろん」の文字、空の巨大な胎児と目(太陽?)、主人公の異様な影。この作品はこのページのためにあると言っていいかもしれません。
無事向こう側にたどり着いた主人公は結局人々の中で暮らすことができず、さらに体も弱ってきます。そこで冒頭にあるように手紙を紙飛行機にして飛ばし、気流からこの島の位置を特定し助けにきてもらうことを考えます。そして毎日手紙を書いては外の世界に向かって紙飛行機にして飛ばし続けているのですが…。
ところがページをめくってみると、いままで描かれてきたのはなんだったのかという展開になり、読者は混乱します。主人公の妄想だったのでしょうか? その答えが語られることも無く、最後のページでは…。
主人公が飛ばした紙飛行機が不気味な太鼓の音とともに読者に迫ってくるのでした。この結末は得意の読者巻き込みの変形パターンであると考えられます。
この作品はホラーという感じはあまりありません。けれども読後感として非常にもやもやしたものが残ります。というのも、この作品が明らかに現実の世界を描いているからに他なりません。現代社会に適応しきれなかった人間の苦悩を描いているのは間違いなく、その点で前回の「七色の毒蜘蛛」と近いものがあると感じられました。自分とあなた(読者)とどちらが正常なのかという問いかけがあるように思われます。ホラー描写は控え目ですが、途中までの妙にマンガ的な描写もあいまって、社会に背を向けた人の頭の中を覗いたようなサイコスリラー的恐怖がある作品です。異色の日野日出志作品の筆頭ではないでしょうか。
余談ですが、ひばり書房から出ている単行本「幻色の孤島」と「ぼくらの先生」は同じ内容になっています。私が作品を集めていた時に混乱してしまったのですが、なぜそうなっているのでしょう。やはり内容のインパクトでしょうか?
中身は全く同じ。他に「ぼくらの先生」「おーいナマズくん」「かわいい少女」「つめたい汗」「猟人」「人魚」を収録。
日野日出志作品紹介のインデックス
扉のページをめくると、いきなり主人公が手紙を書いています。そこでは主人公が孤島にいることが記されています。そしてその孤島の様子が左ページに描写されていますが、この孤島は様々な気味の悪い生物達の弱肉強食の世界でした。そして主人公は記憶喪失であり、ここがどこかも自分が誰かも分からないというあんまりな状態。それにしても現実感の無い異様にマンガ的な風景ですが、これには理由があるのでした。
そしてジャングルの奥で「どんどろ どんどろ どろろん どろろん」と不気味な音が聞こえてきたかと思ったら…。
巨大な門、仮面をつけた遺体、人の姿と太鼓の音。何やら象徴的なものが現れてきました。ここで主人公は助けを求めて近寄りますが、言葉が通じないばかりか矢で左腕を射抜かれてしまいます。この際に日野日出志作品にしばしば出てくる「ペロペロ ナメナメ コチョバイバイ」のセリフが出てきて笑ってしまいますが。
主人公はこの門の近くで観察を続けます。すると病人や老人たちが門の外に捨てられ、彼らを狙って周辺から奇妙な生物たちが集まってきます。そして捨てられた人々は次々と食い殺されてしまい…。
門の向こう側の人達は太鼓を激しく叩いて興奮しているのでした。粗雑で無表情の仮面も気味が悪いですが、門の両側の巨像の顔のアップが繰り返し描かれているのが日野日出志作品的で印象深いです。
そして矢で射抜かれた左腕が腐って落ちる頃、門の中から捨てられた一人の男と会話を交わします。彼も漂流をしてこの島にたどり着いたけれど、島の風土が体に合わず弱ってしまって捨てられたそうです。その彼は以前秘密の通路を作って門の内側に入ったとのことで、主人公は仮面をつけて中に入ってみると…。
なんと普通?の街でした! この絵はいいですねぇ。グレーのかかった街並、隙間無く詰め込まれた図形のような建物、やけにリアルな外界側の塀と柵、どこで鳴っているかわからない「どろろん どろろん」の文字、空の巨大な胎児と目(太陽?)、主人公の異様な影。この作品はこのページのためにあると言っていいかもしれません。
無事向こう側にたどり着いた主人公は結局人々の中で暮らすことができず、さらに体も弱ってきます。そこで冒頭にあるように手紙を紙飛行機にして飛ばし、気流からこの島の位置を特定し助けにきてもらうことを考えます。そして毎日手紙を書いては外の世界に向かって紙飛行機にして飛ばし続けているのですが…。
ところがページをめくってみると、いままで描かれてきたのはなんだったのかという展開になり、読者は混乱します。主人公の妄想だったのでしょうか? その答えが語られることも無く、最後のページでは…。
主人公が飛ばした紙飛行機が不気味な太鼓の音とともに読者に迫ってくるのでした。この結末は得意の読者巻き込みの変形パターンであると考えられます。
この作品はホラーという感じはあまりありません。けれども読後感として非常にもやもやしたものが残ります。というのも、この作品が明らかに現実の世界を描いているからに他なりません。現代社会に適応しきれなかった人間の苦悩を描いているのは間違いなく、その点で前回の「七色の毒蜘蛛」と近いものがあると感じられました。自分とあなた(読者)とどちらが正常なのかという問いかけがあるように思われます。ホラー描写は控え目ですが、途中までの妙にマンガ的な描写もあいまって、社会に背を向けた人の頭の中を覗いたようなサイコスリラー的恐怖がある作品です。異色の日野日出志作品の筆頭ではないでしょうか。
余談ですが、ひばり書房から出ている単行本「幻色の孤島」と「ぼくらの先生」は同じ内容になっています。私が作品を集めていた時に混乱してしまったのですが、なぜそうなっているのでしょう。やはり内容のインパクトでしょうか?
中身は全く同じ。他に「ぼくらの先生」「おーいナマズくん」「かわいい少女」「つめたい汗」「猟人」「人魚」を収録。
日野日出志作品紹介のインデックス
実の所当時はラストの部分が理解出来ず、漂流者の手紙を拾った人が、同じ内容の手紙を書いて(不幸の手紙宜しく)周りに撒き散らしているのだろうか?などと的外れな事を思ったりもしていたのですが、これはどう考えてもおかもろ(再)さんがおっしゃる通り、社会不適応者の苦悩、それ以外に解釈の仕様がありませんよね。
これと近いテーマを扱った作品に、藤子不二雄Aの「明日は日曜日 そしてまた明後日も…」という、やはり1971年に描かれた作品があります。主人公の青年が、初出勤の日に会社の入り口に居る警備員に怪しまれて逃げ帰ってしまい、以後家に引き籠ってしまうという内容で、別にホラーという訳ではないのですが、あの時代の社会不適応者というものは、現代のニートや引き籠りなど比べ物にならないぐらい、非常に恐ろしい立場だったのではないかと推測されます。「幻色の孤島」では、子供には実感として理解する事が難しいこの「恐ろしさ」を、気味の悪い孤島の風景に置き換えて描く事で、本来ならば子供にも解り易く伝わる筈だったと思うのですが、ちゃんと理解出来ていなかった自分が恥ずかしい…。
ところで、ひばり書房のホラーコミックスは、最初に発行された時と同内容でタイトルだけを変えて「初版」として再度発行するといった事を度々していた様なので、「幻色の孤島」と「ぼくらの先生」の場合も、多分それと同じ商法によるものだと思います。同じ本に収録されている別の作品をタイトルに持って来るケースは、ひばり商法の中でも珍しいケースだとは思うのですけどね。(他の例「恐怖列車」→「地獄から来た恐怖列車」、「毒虫小僧」→「怪奇!毒虫小僧」etc)
確かに「幻色の孤島」は途中まで怪獣や巨大昆虫など子供の好きそうな絵もありますが、あの終盤を子供時分の私が読んでも現在のような理解できなかったに違いありません。それでも「不幸の手紙」のように連鎖が続いているという解釈は面白いですね。そういう理解をしたとしても、前の「七色の毒蜘蛛」と非常に近い解釈になるわけで、作品の価値が落ちるとは思えません。正解はどこにも書かれていないし、そもそも何が現実かもわからないような描き方をあえてしているので、むしろ新たな謎解きも可能かもしれません。大変おもしろい視点をありがとうございます。
「明日は日曜日 そしてまた明後日も…」は面白そうですね。私にも引きこもりのケがあるので、青年の心情がわかるような気がします。警備員にさえまともに相対することができなかったという事実、それが「一事が万事」となって全ての心の支えをへし折ってしまう。1971年の日本は高度成長期の末期でしたね。イケイケのモーレツな時代に社会の流れに乗り損ねるのは大変な恐怖であったでしょう。日野日出志はもちろん藤子不二雄Aも屈折した作品がありますが、やはり共通の感性によるもののような気がします。
ひばり書房は変な商法をしていたのですね。確かもともと貸本マンガの出版社だったとか。何でもいいから数を出すことが必要だったのでしょうか。コレクター泣かせですね。
社会から捨てられる人々、仮面を付けて生活をしなければならない人々など、明らかに現代社会の風刺が効いていて、確かに高校生ぐらいの年頃にとって非常にセンシティブなテーマかもしれません。