フランスの有名な映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」の創刊者アンドレ・バザンの、これまで邦訳されていなかった『オーソン・ウェルズ』(1950)が、原書の刊行からなんと65年後にしてようやく陽の目を見た(堀潤之訳 インスクリプト 刊)。
ただ、今回の邦訳刊行が遅きに失しているかというと、その熟慮の上の編集方針にかんがみて、この遅延は賢明なものだったとさえ思える。これまで世界各国語に翻訳されてきた同書は、彼の弟子にあたる映画作家フランソワ・トリュフォーの監修による1972年版が出回っている。しかし、今回の邦訳は改訂前の1950年版。どんな違いがあるかというと、まるで違うのだと本書巻末の訳者解説に詳述されている。
1950年版は当然、それ以前のウェルズの作品──『市民ケーン』『偉大なるアンバーソン家の人々』『恐怖への旅』『ザ・ストレンジャー ナチス追跡』『上海から来た女』『マクベス』──までしか言及の対象となっていない。いっぽう、その後にアメリカで刊行されたウェルズの評伝を参照し、部分的には筆写した上で、それ以後の作品に対する言及もまじえつつ増補改訂したものが、1972年版として現在、フランス本国をふくめて流布している。しかし訳者解説によれば、1972年版は内容的にかなり薄められたものであり、バザンの批評的な実力が必ずしも発揮されておらず、ウェルズ作品に対する洞察という点では1950年版の方がはるかに内容が濃いという。もしその通りなのだとすれば、遅延された受け手であるわれわれは一発逆転、世界でも数少ない幸運な真のバザンの読み手たり得るわけである。
それだけではない。同時代に世に問われた、ウェルズをめぐるフランスにおける重要な批評が本書には収められており、それによってスリルが増した。1950年版にもあったジャン・コクトーによる序文はもちろん、ウェルズ映画を、生意気な若造による使い古された奇抜な手法の品評会だと手厳しく非難したジャン=ポール・サルトルの「レクラン・フランセ」誌に掲載された記事、そしてジョルジュ・サドゥールによる「ラ・レットル・フランセーズ」誌の記事が追加され、ついでロジェ・レーナルトとバザンによるウェルズ擁護の記事が続く。
こんにち興味深く思われるのは、レーナルトとバザンの文体がどことなく、論敵のサルトルやサドゥールに似かよっている点である。レーナルトとバザンは、のちのヌーヴェルヴァーグの連中にとって兄貴筋にあたるはずであるが、戦中派のレーナルトとバザンとは違って、ゴダールやトリュフォーら「カイエ・デュ・シネマ」につどった血気盛んな若造どもは、いわばアプレゲールであって、バザンはヌーヴェルヴァーグの生みの親かもしれないが、そこには否定しようもない溝がある。しかしこの溝がおもしろくもあるのだ。ゴダール、トリュフォーの文章が攻撃的なら、バザンの文章は防御的である。呪われた映画に対する救命道具たろうとする悲愴な使命感が、バザンの文章をヌーヴェルヴァーグ的な痛快さから隔てる。
今から1年くらい前に「週刊読書人」紙上で蓮實重彦と伊藤洋司がバザン批判、ドゥルーズ批判の対談をおこなっていて、あれはあれでおもしろくはあったが、あの対談を鵜呑みにして、バザンなんてダメだなどと早合点することほど愚かなことはない。溝をおもしろがる方がいい。ウィリアム・ワイラーを顕揚するあまり、ジョン・フォードの偉大さについての理解が不十分だなどという指摘は、選択の倫理性を楯にした言いがかりで、いやむしろそういう言いがかりをつけて批評を活性化したいだけなのである。それに対するわれわれ受け手が取るべきリアクションは、単なる鵜呑みであってはならない。本書は、同時代の横糸を的確に提示したことにより、スリリングな読書体験、批評体験が約束される。そしてその体験が、現在と隔絶されているとはとうてい思えないのである。
ただ、今回の邦訳刊行が遅きに失しているかというと、その熟慮の上の編集方針にかんがみて、この遅延は賢明なものだったとさえ思える。これまで世界各国語に翻訳されてきた同書は、彼の弟子にあたる映画作家フランソワ・トリュフォーの監修による1972年版が出回っている。しかし、今回の邦訳は改訂前の1950年版。どんな違いがあるかというと、まるで違うのだと本書巻末の訳者解説に詳述されている。
1950年版は当然、それ以前のウェルズの作品──『市民ケーン』『偉大なるアンバーソン家の人々』『恐怖への旅』『ザ・ストレンジャー ナチス追跡』『上海から来た女』『マクベス』──までしか言及の対象となっていない。いっぽう、その後にアメリカで刊行されたウェルズの評伝を参照し、部分的には筆写した上で、それ以後の作品に対する言及もまじえつつ増補改訂したものが、1972年版として現在、フランス本国をふくめて流布している。しかし訳者解説によれば、1972年版は内容的にかなり薄められたものであり、バザンの批評的な実力が必ずしも発揮されておらず、ウェルズ作品に対する洞察という点では1950年版の方がはるかに内容が濃いという。もしその通りなのだとすれば、遅延された受け手であるわれわれは一発逆転、世界でも数少ない幸運な真のバザンの読み手たり得るわけである。
それだけではない。同時代に世に問われた、ウェルズをめぐるフランスにおける重要な批評が本書には収められており、それによってスリルが増した。1950年版にもあったジャン・コクトーによる序文はもちろん、ウェルズ映画を、生意気な若造による使い古された奇抜な手法の品評会だと手厳しく非難したジャン=ポール・サルトルの「レクラン・フランセ」誌に掲載された記事、そしてジョルジュ・サドゥールによる「ラ・レットル・フランセーズ」誌の記事が追加され、ついでロジェ・レーナルトとバザンによるウェルズ擁護の記事が続く。
こんにち興味深く思われるのは、レーナルトとバザンの文体がどことなく、論敵のサルトルやサドゥールに似かよっている点である。レーナルトとバザンは、のちのヌーヴェルヴァーグの連中にとって兄貴筋にあたるはずであるが、戦中派のレーナルトとバザンとは違って、ゴダールやトリュフォーら「カイエ・デュ・シネマ」につどった血気盛んな若造どもは、いわばアプレゲールであって、バザンはヌーヴェルヴァーグの生みの親かもしれないが、そこには否定しようもない溝がある。しかしこの溝がおもしろくもあるのだ。ゴダール、トリュフォーの文章が攻撃的なら、バザンの文章は防御的である。呪われた映画に対する救命道具たろうとする悲愴な使命感が、バザンの文章をヌーヴェルヴァーグ的な痛快さから隔てる。
今から1年くらい前に「週刊読書人」紙上で蓮實重彦と伊藤洋司がバザン批判、ドゥルーズ批判の対談をおこなっていて、あれはあれでおもしろくはあったが、あの対談を鵜呑みにして、バザンなんてダメだなどと早合点することほど愚かなことはない。溝をおもしろがる方がいい。ウィリアム・ワイラーを顕揚するあまり、ジョン・フォードの偉大さについての理解が不十分だなどという指摘は、選択の倫理性を楯にした言いがかりで、いやむしろそういう言いがかりをつけて批評を活性化したいだけなのである。それに対するわれわれ受け手が取るべきリアクションは、単なる鵜呑みであってはならない。本書は、同時代の横糸を的確に提示したことにより、スリリングな読書体験、批評体験が約束される。そしてその体験が、現在と隔絶されているとはとうてい思えないのである。