矢崎仁司の前作『太陽の坐る場所』(2014)は、私が最大限に偏愛する映画である。一人の女性(水川あさみ)が十代の最後に被った精神的な禍殃、およびそこから立ち直っていない様にまったく目をそらすことをせず、一篇のすぐれたサイコサスペンス作品に仕上げていた。また、甲府というすり鉢状の盆地空間が視覚の限界をつねに意識させつつ、そのサスペンスを否応にも盛り上げてもいたのが素晴らしかった。
新作『××× KISS KISS KISS』は若手脚本家グループの持ちこみ企画だそうで、彼らの書いた5本の短編シナリオを矢崎が全部映画化し、単独作家によるオムニバスとなっている。単独監督によるオムニバスというと、昨年の安藤サクラ主演の『0.5ミリ』、古くは黒澤明『夢』を思い出す。『×××』のいずれのエピソードも粗削りながらよく熟考されたシナリオで、容易な納得を許さない。矢崎仁司がこれらをブラックホールのように飲みこんでいってしまうのだが、画面がすごくて、とくに第4話「いつかの果て果て」の全編ナイトオープンによる撮影と照明はあまりにも素晴らしい。路上売春婦を演じる青年団所属の荻野友里が、はかなくも無頼のフェティシズムを搔きたてた。(同姓のよしみもあるけれど)この女優さんの今後も注目していこう。
老夫婦の最後の日々を写した第3話「さよならのはじめかた」には涙を禁じ得ず。遠慮なくネタバラしさせてもらうと、もちろんこの物語の最後には夫婦のうちのどちらかが病を得て逝くわけだが、挿話タイトルの「さよならのはじめかた」というのは一見ネタバレの無粋なタイトルと思えて、よくよく考えてみると、私たち生き物は、生まれた瞬間から「さよならのはじめかた」を学習しつつ実践している存在にすぎない。明滅する光に写りこむ一群の登場人物を眺め、この3時間近いオムニバス作品を見ながら、この映画も終わりむかってランしているという当たり前すぎる現実、そしてその上映時間のあいだも確実にそれを見る私たち観客が死に接近しているという現実、これらをあからさまに突きつけてくる。
タイトルの『×××』とは出逢いと愛のサインであり、同時に別れのキスでもある。つまり生と死の交換サインであって、その自覚を本作は促してやまない。
新宿K’s cinemaにて上映終了
http://filmbandits.net/xxx
新作『××× KISS KISS KISS』は若手脚本家グループの持ちこみ企画だそうで、彼らの書いた5本の短編シナリオを矢崎が全部映画化し、単独作家によるオムニバスとなっている。単独監督によるオムニバスというと、昨年の安藤サクラ主演の『0.5ミリ』、古くは黒澤明『夢』を思い出す。『×××』のいずれのエピソードも粗削りながらよく熟考されたシナリオで、容易な納得を許さない。矢崎仁司がこれらをブラックホールのように飲みこんでいってしまうのだが、画面がすごくて、とくに第4話「いつかの果て果て」の全編ナイトオープンによる撮影と照明はあまりにも素晴らしい。路上売春婦を演じる青年団所属の荻野友里が、はかなくも無頼のフェティシズムを搔きたてた。(同姓のよしみもあるけれど)この女優さんの今後も注目していこう。
老夫婦の最後の日々を写した第3話「さよならのはじめかた」には涙を禁じ得ず。遠慮なくネタバラしさせてもらうと、もちろんこの物語の最後には夫婦のうちのどちらかが病を得て逝くわけだが、挿話タイトルの「さよならのはじめかた」というのは一見ネタバレの無粋なタイトルと思えて、よくよく考えてみると、私たち生き物は、生まれた瞬間から「さよならのはじめかた」を学習しつつ実践している存在にすぎない。明滅する光に写りこむ一群の登場人物を眺め、この3時間近いオムニバス作品を見ながら、この映画も終わりむかってランしているという当たり前すぎる現実、そしてその上映時間のあいだも確実にそれを見る私たち観客が死に接近しているという現実、これらをあからさまに突きつけてくる。
タイトルの『×××』とは出逢いと愛のサインであり、同時に別れのキスでもある。つまり生と死の交換サインであって、その自覚を本作は促してやまない。
新宿K’s cinemaにて上映終了
http://filmbandits.net/xxx