荻野洋一 映画等覚書ブログ

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サミュエル・ベケット作『プレイ』

2010-06-07 00:58:52 | 演劇
 東京・杉並のワークショップスタジオ「ミュージアム東京」で、鴎座 beckett café vol.3『プレイ』が上演された。かつての安堂信也、高橋康也の訳では『芝居』という邦題で知られた短篇戯曲だ。上演時間わずか40分のあいだ、演者たちはずっと1人分の細長い壺の中に、頭だけ突き出した状態で幽閉されており、その顔にスポットライトが浴びせられると同時に、モノローグをしゃべりだす。これは本の指示どおり。
 27歳の川口智子という、女優のように可憐な姿の演出家が、ずいぶんと陽気かつ活発に司会進行をつとめ、なにやら健康的なベケットであることが自然と強調される形となって、場内はすっかりリラックスしたムードである。こういう「カフェ演劇」は、主宰者である佐藤信が抱く現在の理想が具現化されたものであろう。前々日では、佐々木敦の後説つきだったらしい。
 演じる3人の男女は、それぞれの壺の中で、戯曲では指示されていない奇妙な震えを続けている。まるで、壺の中で茹でられるトンポーローかなにかの肉片であるかのように。壺の中、つまりこれは私などにはつい、「壺中居」などという語が思い出され、これは広田不孤斎がはじめた日本橋高島屋裏の美術店の名でもある。
 中国の故事によると、《骨董屋で、店が閉まると、その主人が展示の壺の中へ入っていく。それを見ていた人が真似して入ってみると、壺の中は桃源郷。酒を酌み交わし、いい気持ちで壺から出てきた》というのである。
 ベケットはこの壺の中を、不倫の三角関係に嵌ったループ地獄で埋め尽くした(劇中、「地獄みたいな薄明かり…」という女のセリフがあるが、他の作品でもこれと類似したセリフがある)。しかしながら、私としては〈壺中居=桃源郷〉と〈地獄みたいな薄明かり〉がどこかで通底しているのではないかと、きょうの上演中にぼんやりと考えてしまったのである。