荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『あの夏の子供たち』 ミア・ハンセン=ラブ

2010-06-18 00:53:39 | 映画
 この『あの夏の子供たち』を見る前に、梅本洋一の批評を読んだ。そこでは、「事件以後のそれぞれの人々の人生を等価に、そして同じ重さで見せてくれる様はまるでチェーホフのようだ」と書かれていた。こうした評価によって、ミア・ハンセン=ラブという、デンマークに出自を持つであろう響きの名を名乗るこの映画作家が、どのような方向を向きながら作品を提示しようとしているかが、おおむね判断できるであろう。
 オリヴィエ・アサイヤスの『八月の終わり、九月の初め』(1999)、『感傷的な運命』(2000)に女優として出演しつつ、「カイエ・デュ・シネマ」誌に批評も書いていた、というキャリアはそれだけで、ある種の色がまず見えてしまう。しかし、もっとも重要なのは、デビュー作として上々の出来だった前作『すべてが許される』(2007)から、本作が大きく飛躍しているという事実──チェーホフであり、またジャン・ルノワールでもあるような、生へのまなざしをカメラに置換するタイプの映画作家として飛躍しているという事実──だろう。本作では、映画製作プロダクションの社長をつとめる一家の父親が自殺してしまうことで、残された家族や同僚たちがどのような状況に置かれてゆくか、という悲劇的な物語を語っているにもかかわらず、全体としては、ひとつの人間喜劇として開かれている。
 そしてそれだからこそ、結論じみたものを描くことはいっさいなく、人生讃歌にも映画讃歌にもならない。たとえば、ジョージ・キューカーの『スタア誕生』(1954)のラストでは、やはり自死をえらんだ夫(ジェームズ・メイソン)の生に対して、妻(ジュディ・ガーランド)の舞台上の姿を通じてオマージュが捧げられていた。しかし、『あの夏の子供たち』では、そのような情動へと見る者を誘いこみうる箇所が何度もありながら、そういう地雷を周到に回避してみせている。
 資料やPCなどが夫の生前のまま放置されている製作プロダクションの事務所。妻の故郷イタリアへ移住するために空港に向かう直前、最後に訪問した妻と娘たちが、あるじ不在の事務所でしばしの時を過ごす。ノスタルジアに耽りつつもそこから離反していく、そういう不可逆的な移りゆきを、カメラは静かにとらえようとしている。


5/29(土)より、恵比寿ガーデンシネマにて上映中
http://www.anonatsu.jp/