荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ソ連映画の思い出

2008-02-06 10:02:00 | 映画
 きょうは、極個人的なノスタルジアを1つ、はばかりながら。


 私はソ連映画を愛する少年だった。なぜか小学校卒業時に、まだ見ぬソ連映画に麻疹のように取り憑かれ、中学時代はソビエト連邦内の各共和国制度、各撮影所の名前(モスフィルムなど)といった事象に対する異常な関心で、他のことが手に付かなくなったりしたのだが、具体的な作品としては、タルコフスキー、ボンダルチュク、ミハルコフ、シェンゲラーヤなどの作品に興奮したことを憶えている。

 セルゲイ・ボンダルチュク監督『人間の運命』(1959)『戦争と平和』(1967)といった名作のリバイバルや、グルジア人ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督『ピロスマニ』(1969)のようなアート・フィルムにとめどなく感動し得たのは、成人後に瞠目することになるパラジャーノフやイオセリアーニ、カネフスキーやアレクセイ・ゲルマン、あるいはキーラ・ムラートワといった各共和国から輩出した才能の活動をまだ知らない子どもだったからだろうか? 現在の映画ファンは、ボンダルチュクやシェンゲラーヤなんて馬鹿にして見向きもしないだろうが。

 後年、ロベルト・ロッセリーニを見るようになり、『ローマで夜だった』(1960)に出演していたセルゲイ・ボンダルチュクをビデオ画面で見た時には、久しぶりに親戚に会ったような感慨を抱いたものである。
 また『惑星ソラリス』(1972)で、毛糸のショールを両肩に羽織って白樺並木に立ち、カメラに視線を投げかけるナターリャ・ボンダルチュク(セルゲイの娘であるが、彼女は女優として他に出演作はあったのだろうか?)こそ、私自身の理想的なヒロイン像の原型を成しているといって過言ではない。

 16歳の頃、ニキータ・ミハルコフ『愛の奴隷』(1976)を見、手塚治虫が『ストーカー』(1979)のパンフレットに寄せた批評を繰り返し読み、『モスクワは涙を信じない』(1979)の主題歌「アレクサンドラ、アレクサンドラ」をFM放送から録音して口ずさんだ時、私は「日本海映画」なる奇妙な名前の配給会社に将来就職しようなどとも考えるようになったが、皆様ご承知のように、その将来予想はその後あっさり外れた。単にソ連映画を少しばかり囓った少年だっただけであって、配給業務にも宣伝業務にもついぞ興味を持ったことはなかったからである。

 山田洋次の新作『母べえ』にはそれほど感心できなかったが、私に上のごとき回想を巡らせるきっかけを与えてくれた。