荻野洋一 映画等覚書ブログ

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スーザン・ソンタグ 著『イン・アメリカ』

2017-01-01 01:43:31 | 
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、全米の劇壇で活躍したシェイクスピア悲劇の伝説的な女優ヘレナ・モジェスカ(1840-1909)の生涯にインスピレーションを受け、モジェスカと同じポーランドに一族の出自をもつスーザン・ソンタグが小説にしている(邦訳 河出書房新社)。
 1861年、ポーランドで劇壇デビューして以来、母国ポーランドの劇作家による戯曲はもちろん、ドイツ語、フランス語、英語を駆使し、あっという間に地元のクラクフとワルシャワでトップ女優に上りつめたが、ワルシャワ帝国劇場の終身契約をあっさり破棄し、1876年、アメリカへの移民を決意する。当初は、天候のいいカリフォルニア州アナハイムで、夫のフワポフスキ伯爵と共にワイン農場の経営にがんばるが、貴族経営の限界で、すぐに失敗。翌1877年、みずからの宿命にもはや観念したのか、西部第一との誉れ高いサンフランシスコのカリフォルニア劇場で、エルネスト・ルグヴェのフランス悲劇『アドリエンヌ・ルクヴレール』で主演デビュー。たちまち全米一の女優となり、シェイクスピア、イプセンなどを演じつづける。
 ソンタグは彼女の生涯を換骨奪胎し、一篇の大ロマネスクに仕上げることに成功している。史実とフィクションを上手に混ぜ合わせ、と同時に、のちに『クォ・ヴァディス』(1895年刊)で世界的文豪に上りつめ、その10年後にノーベル文学賞を受賞することになるヘンリク・シェンキェヴィチを、リシャルト(米国名ではリチャード)の仮名で捏造的に登場させ、ヒロインに恋する年下のツバメをやらせている。このロマネスク的捏造によって生み出されるパッションを、元来は批評家肌のソンタグが体得しているというのは、驚くべきことだ。ユージーン・オニールによってアメリカ近代演劇が始動する前夜の、まどろみのような劇壇における生き生きとした、一女優の冒険と苦闘が、まさに小説そのものとして浮かび上がる。

『リトル・メン』 アイラ・サックス @東京国際映画祭

2016-12-10 11:42:01 | 映画
 『人生は小説よりも奇なり』のアイラ・サックスの新作『リトル・メン』が、東京国際映画祭の新設部門〈ユース〉で上映され、それから一ヶ月以上寝かせておいたのだけれど、やはりあれは素晴らしい作品だという意見は変わらない。こういう言い方は選別的で気が引けるが、映画をある程度数をこなして、きちんとした筋目に沿って見てきた人間だけに分かる良さなのである。
 パパ-ママ-ボクの一家が、パパの父、つまり祖父の死をきっかけに、マンハッタンの狭いアパートから、ブルックリンの商店街に転居する。そこで店子に入っている婦人服ブティックの母子と出会う。子ども同士は馬が合って親友となるが、親同士は家賃の値上げ問題がネックになって対立していく。
 イギリスの左派高級紙「ザ・ガーディアン」9月20日付けに掲載されたアイラ・サックスの独占インタビュー記事では堂々と「私はマルクス主義のパースペクティヴによって映画を撮る」と宣言し、その文言が見出しにまでなっている。同紙のレビューアー、ピーター・ブラッドショウは『リトル・メン』に5つ星だ。
 痛ましさと祝福がない交ぜとなった傑作『人生は小説よりも奇なり』の最も痛ましいシーンは、ゲイの主人公が恋人との生活を切り上げざるを得なくなり、親類の家に厄介になるなかで、甥の問題を、結果的にはちくったような格好となってしまう一連である。高邁な精神をもつはずの彼は、自分が密告者の不名誉をもってこの世を歩くことはできない。反故にされた約束、会おうという掛け声ばかりの空約束、約束もない冷たい状態、約束そのものを拒む厳しい状態。映画のリズムと人生の上昇・下降をたくみに同調させるアイラ・サックスの、アメリカ的としか言い様がない手綱さばきに舌を巻く。
 逆に『人生は小説よりも奇なり』の最も美しいシーンについて、ある年上の女性とたっぷりと話し合ったことがある。マンハッタンでオペラを見たゲイカップルの二人が、行きつけでないバーで店の者から少し不愉快な扱いを受けつつ、今見た演者の過剰さについてたがいに慣れた感じで討論し、でもそれはギスギスした口論とはならず、あの感動的な、あまりにも愛おしい地下鉄へ降りていく階段前で「おやすみ」を言うシーンへと繋がっていく。『リトル・メン』には、あれに匹敵するシーンはないかもしれない。いや、これ見よがしに良いシーンを設置するのではなく、アイラ・サックスは自分や仲間にこう諭したのかもしれない。「もっと沈潜してみよう、もっと深くに埋めてみよう」と。


東京国際映画祭2016〈ユース〉部門にて上映
http://2016.tiff-jp.net/
*写真は映画祭事務局に掲載許諾を得て使用しています

『アメリカから来たモーリス』 チャド・ハーティガン @東京国際映画祭

2016-11-26 10:45:11 | 映画
 ドイツ在住のアメリカ人父子(アフリカ系)の生活をぼつりぼつりと語る。ドイツにおける黒人というと、ファスビンダー映画の初期を飾った黒人俳優ギュンター・カウフマンを即座に思い出してしまう。しかしそれもあながち的外れでもなく、21世紀になった現在にあっても人種差別の根は張っており、本作の舞台となる大学都市ハイデルベルクではそれが顕著であることが窺われる。どこまでリアルな描写かはいざ知らず、本作における中学生たちの蒙昧な黒人差別はヘドが出るほど無邪気なレベルである。ヨーロッパでさえ、まだこんな蒙昧さに留まっているのだ。マックス・ヴェーバー、ルカーチ、エーリッヒ・フロム、ハンナ・アーレントが若き日に学びを得たこの大学都市であってさえそうなのかと、暗澹とせざるを得ない。
 しかし、この映画の主人公である13才の黒人少年モーリス(マーキーズ・クリスマス)がひたすら鬱屈し、内向していくのは、町の人の差別によってではない。誰かと仲良くしなければいけないことへの鬱屈であり、アメリカ黒人ならバスケットボールが上手いはずだという紋切り型の期待への嫌悪であり、レイヴパーティの脳天気なEDMでぴょんぴょん跳ねて浮かれるドイツの若者に対する、ラッパーとしての圧倒的な優越意識ゆえなのである。実のところモーリスは人種差別に対し、美的感性レベルの差別で復讐している。本作の原題は「Morris from America」という、アルバムタイトルのようなフレーズだが、じっさいにはそんなクールなものではない。モーリスのラッパーとしての道は、結局この映画の中では成功までは達せず、その端緒についたにすぎないように思える。
 見知らぬ土地であるフランクフルトで迷子になったモーリスを、父親(クレイグ・ロビンソン)が車で迎えに行くラストが、じつに素晴らしい。父親が留守にしていたのは、保守的なハイデルベルクを出て、より自由なベルリンに職を求めるためである。父はモーリスに対し、お前が少年時代にハイデルベルクで孤立し、侮辱されているという経験は、将来お前がアーティストとして身を立てるための重要なアドバンテージになるだろうと慰める。そして、父がなぜアメリカからドイツに来たのかを説明しはじめる。ドイツ美術史を学ぶため留学中のミュンヘン大学から夏休みにアメリカへ里帰りしたお前の母さんに私は恋をし、彼女にまた会いたい一心で、お金もないのにドイツに渡ったのだという説明である。
 若くして逝き、今はもうこの世の人ではない、おそらく素晴らしい優しさと知性と美貌の持ち主だったらしい黒人女性への思慕を吐露する孤独な中年男と、迷子になった息子の、車中におけるカットバック。その慎ましく簡素なカットバックのあまりの美しさによって、独米合作であるこの映画が、やはりアメリカ映画の側に属するということに、思いを致さずにいられない。


東京国際映画祭2016〈ユース〉部門にて上映
http://2016.tiff-jp.net/
*写真は映画祭事務局に掲載許諾を得て使用しています

『戦火の馬』 ナショナル・シアター・ライヴ2016

2016-11-15 01:52:24 | 演劇
 ロンドン・サウスバンクのロイヤル・ナショナル・シアターが2007年に初演し、ロングランとなった舞台『戦火の馬(War Horse)』が、イギリス演劇の上演ライヴを世界中の映画館で紹介するシリーズ〈National Theatre Live 2016〉に含まれて、TOHOシネマズ8会場で上映中である。公演に感銘を受けたスティーヴン・スピルバーグが2011年に映画化したことは周知。今回上映されたのは、2014年にロンドン・ウェストエンドのニュー・ロンドン・シアターで上演された際の実況録画である。
 なんといっても本公演の最も大きな特長は、南ア・ケープタウンを本拠とするあやつり人形劇団ハンドスプリング・パペット・カンパニーによる等身大の馬のパペットである。スピルバーグによる映画版は本物の馬とCGの組み合わせで乗りきっていて、その判断も当然のことではある。しかしながら、こうして元となった演劇版のパペットによる見事としか言いようのない形態模写、擬声によるいななきや息遣いなどが、この作品の太い生命線であることに気づかざるを得ず、スピルバーグ版もいい映画ではあったけれども、パペットによる独創性とたぐいまれな詩情を捨ててリアリティの追求に引っ張られたのはしかたのないことだ。
 あらゆる動き、音の醸す馬の生命感。ギャロップするときは、3人のパペット遣いも馬と一体化してギャロップしている。首、前足、後ろ足の3人の係が主人公の馬ジョーイを担当する。その他、ジョーイを手塩にかけて育てる農家の飼うアヒルもパペットでコミカルさを出し、後半にはなんと戦車さえもがパペット化されていた。
 ジョーイの首(かしら)を担当したパペット遣いは、厩舎の調教師のような衣裳に身を包み、姿が観客にさらされている。それは決して透明な存在ではなく、あたかもジョーイの意志と一体化し、命を吹き込む守護神のごとく振るまい続ける。まるで日本の文楽における「主遣い(おもづかい)」のようだった。


TOHOシネマズ日本橋ほか、全国8箇所のTOHOシネマズで限定公開
http://www.ntlive.jp/warhorse.html

『あなた自身とあなたのこと』 ホン・サンス @東京国際映画祭

2016-10-31 01:38:35 | 映画
 本作が先月のサン・セバスティアン映画祭(スペイン)に出品されて監督賞を受賞したちょうど同時期に、私はサン・セバスティアンにいて、でもそれは仕事のためだったので映画なんて見る時間はなく、会場にできたシネフィルどもの行列を指をくわえて眺めるばかりであったが、幸いこうして東京でホン・サンスの新作『あなた自身とあなたのこと』を見ることができた。
 ちょっとコケティッシュな女性主人公ミンジョン(イ・ユヨン)が、飲酒の制限うんぬんをめぐって彼氏(キム・ジュヒョク)とつまらないけんかをし、あえなく別居となる。画家らしい彼氏はひたすら未練の彷徨に酔い、ミンジョンは中年男たちとの飲酒に酔う。意識的にか無意識的にかは知らないが、ミンジョンは酒を飲むたびに他人になっていき、旧知の人物からの呼びかけや問いかけに別人として応答する。どこからどう見ても本人なのに(スネのアザはおそらくホン・サンスが付けさせたものだろう)、シラジラしく次から次へと他人になりすます。
 解離性同一性障害ということもありうる。多量のアルコール摂取によって、本当に彼女の脳をそうさせているのかもしれない。しかし映画は、そうした臨床的な黒い穴を回避して、飲酒滑稽譚にどうしても留まろうとしている。ミンジョンは、ゴダールの『ヌーヴェルヴァーグ』(1990)における「lui(彼)」つまりアラン・ドロンのようなものだろう。この映画を見終えたあと、陶淵明でも李白でもいいが、飲酒を人生の最上のものと位置づけた詩人たちとの精神の交わりを無手勝流に抱きながら、飲みたいところである(じっさいには仕事場に急いで戻っただけですが)。ホン・サンスの心身の健康が続いてほしいと思う(本作を見て、ちょっとばかり気がかりとなったが、それは杞憂だろう)。記念として陶淵明(紀元365-427)の飲酒詩でもコピペしておこう。

秋菊有佳色 by 陶淵明

秋菊有佳色   秋菊 佳色あり
衷露採其英   露をあびて そのはなぶさを採り
汎此忘憂物   この忘憂のものになべて
遠我遺世情   わが世にのこるる情を 遠くす
一觴雖獨進   一觴(いっしょう)ひとり 進むといえども
杯盡壺自傾   杯つきて 壺みずから傾く
日入群動息   日入りて 群動やみ
歸鳥趨林鳴   帰鳥 林におもむきて 鳴く
嘯傲東軒下   嘯傲(しょうごう)す 東軒の下
聊復得此生   いささかまた この生を得たり

【意味】秋の菊がきれいに色づいているので、露にぬれながら花びらをつみ、この忘憂の物に汎べて、世の中のことなど忘れてしまう。ひとりで杯を重ねるうちに、壺は空になってしまった。日が沈んであたりが静かになり、鳥どもは鳴きながらねぐらに向かう。自分も軒下にたって放吟すれば、すっかり生き返った気持ちになるのだ。
(注)下から2行目の「嘯傲(しょうごう)」とは、「うそぶいて自由な気持ちになること、世間を超越したさま」を意味する。



東京国際映画祭 ワールドフォーカス部門にて上映
http://2016.tiff-jp.net/ja/
*写真は映画祭事務局に掲載許諾を得て使用しています

『ジャクソン・ハイツ』 フレデリック・ワイズマン @ラテンビート映画祭

2016-10-26 01:56:17 | 映画
 フレデリック・ワイズマンは、場所を主語にしてカメラを向けてきた映画作家である。学校、病院、軍隊、動物園など、彼の出身地であるアメリカのありとあらゆる場所が被写体となったが、映画作家としての名声を得るにしたがい(依頼のバリエーションが増えるにしたがい)、ヨーロッパの名所をもその被写体に加えた。パリのコメディ・フランセーズ、クレイジー・ホース、ロンドンのナショナル・ギャラリーなどといった、世界を代表する名所が彼によって写された。
 最新作『ジャクソン・ハイツ』(2015)は再びアメリカ、それもニューヨークの一街区だけに被写体を絞っている。マンハッタン、ブロンクス、ズデーテン島、ブルックリン、クイーンズと5区しかないニューヨーク市の行政区(パリは20区、東京は23区、上海は16区、ロンドンは33区に区分されているから、NYの行政区分がいかに少ないか、1区の範囲が大きいかというのが分かるだろう)のうち、今作は、かつて治安の悪い地域の代名詞だったクイーンズにフォーカスを絞っている。「人種のるつぼ」と昔から称されてきたニューヨークにおいて最も移民の数多く住む地区である。私のような世代にとってはフィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』で「チリとゴミの谷」と称されていた、そんな冴えないイメージの土地である。
 ワイズマンのカメラはかたくなに個人へのまなざしを拒否する。もちろん、発言する誰かのアップショットこそたくさん撮られている。だからといって、その人の主語には絶対にならない。ニューヨーク市 クイーンズ区のジャクソン・ハイツという地区の「場所」のみを撮っているという姿勢を維持する。ここにはさまざまな住人がおのれの存在を主張している。コロンビアをはじめとするラテンアメリカ諸国の人々、インドやチベットなど南アジアの人々、中国系の人々、ユダヤ系もいればイスラム教徒もいる。そしてごくごく少数のようだが、おそらく入植時代の最も古いオランダ系住民も写りこんでいる。LGBTの「パレード」、あるいはNPO邦人「MAKE THE ROAD」のNY支部といった勢力が活発化している様子が、じつに生々しく写される。コロンビアやインドの民族音楽も屋外や店頭で演奏される。ブクブクと膨らんでいくかのような被写体の数と表情、声。と同時に、カメラはひたすらルーズヴェルト・ストリートとその周辺への停滞をみずからに義務づけていく。
 「場所」というものの重要性が、口酸っぱく述べられ、このごちゃごちゃとしてホコリっぽい、騒音と排気ガスに満ちたこの地区がいかに住民にとって居心地のいい場なのか、そのことのみが撮影され、録音されているのだ。マンハッタンから地下鉄で30分という交通の便の良さが注目され、ビジネスマンのための新しい居住区として再開発されることが匂わされている。映画で写された住民集会では再開発への反対意見が多数を占めていた。しかし、数年後あるいは十数年後、この映画で語られた無数のこまぎれの物語、ごちゃごちゃとした街区やショッピングモールが、歴史的資料になってしまわないという保証は、どこにもありはしない。


第13回ラテンビート映画祭(東京・新宿バルト9)にて上映
http://lbff.jp/

『彼方から』 ロレンソ・ビガス @ラテンビート映画祭

2016-10-22 04:36:21 | 映画
 今秋、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭およびラテンビート映画祭で上映された、ベネズエラの映画作家ロレンソ・ビガスの『彼方から』は、現在の中南米映画界の勢いをまざまざと映し出している。アレハンドロ・G・イニャリトゥ組のメキシコ人ギジェルモ・アリアガが原案と製作を、さらにアサイヤス『カルロス』、ソダーバーグ『チェ 28歳の革命』に出演したベネズエラ人俳優エドガル・ラミレスや、今年『ある終焉』が日本公開されたメキシコ人監督のミチェル・フランコらがプロデュースをつとめた本作は、チリのパブロ・ラライン監督の傑作にして、『チリの闘い』のよろこばしき後日譚と言っていい『NO』のカメラを担当したチリ人セルヒオ・アームストロングが撮影している。さらに、『ある終焉』に主演したティム・ロスと、ブラジル映画のヒット作『セントラル・ステーション』の監督ワウテル・サレスに「Thanks」のスペシャルクレジットが捧げられ、この人脈の渦は中南米映画の超エリートムービーと言っても過言ではない。
 まさか、いきなりヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲ってしまったのは、さすがに出来すぎの感もなくはない。しかし、ロレンソ・ビガスという映画作家が今後、どんなふうに化けていくのか、それはヴェネツィアの審査委員ならずとも期待をかけずにいられない。
 ベネズエラの首都カラカスの、油断ならぬ不穏な空気が、画面をたえず不透明にボケアシを作っていく。主人公の孤独な、何かを誰かを待ち続けているようなたゆたいが、街の不良グループのリーダー少年に近づいていくのあたりの、武骨な進展がいい。分かり合ったような、それでいて分かり合うことそれじたいに背を向けたような一進一退をくり返すこの年の離れた同性愛カップルが、こそばゆいまでにいい。
 ただ、最後の、『ある終焉』でも感じたことだが、衝撃のラストを用意しました、という画面の連鎖はいかがなものか。ミチェル・フランコしかり、ロレンソ・ビガスしかり、このラストの展開から浮かび上がるのは、逆説的に物語性への過度の信頼である。心理的な葛藤を扱うのはいいが、心理で終わるのはよくない。信じる者を裏切る、密告者として自分を規定しなおしてしまう主人公の不治の病は痛いほど分かるが、それをシナリオ的な処理、役者の表情づくりではなく、映画そのものの苦味として、痛みとして画面に定着できなかったものか?


9月に東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(スパイラルホール)、10月に東京ラテンビート映画祭(新宿バルト9)にて上映
http://rainbowreeltokyo.com/2016/schedule_program/from_afar

原田マハ 著『暗幕のゲルニカ』

2016-10-13 01:44:23 | 
 原田マハの新作『暗幕のゲルニカ』(新潮社)は帯文に「圧巻の国際謀略アートサスペンス」とある。たしかに、ピカソを専門領域とするキュレーターとしてMoMA(ニューヨーク近代美術館)に勤務する日本人女性の主人公・瑤子を中心に、MoMA、レイナ・ソフィア芸術センター(マドリード)、グッゲンハイム・ビルバオ美術館、国連、ETA(バスク過激派)などが地球規模でからんで権謀術数をめぐらすばかりか、スペイン内戦期の1937年から第二次世界大戦終戦直後の1945年にいたるパリ、オーギュスタン通りのアパルトマン4階(そう、ピカソのアトリエがあった場所であり、ここで大作『ゲルニカ』が描かれた)およびカフェ・ドゥ・マゴ、パリ万博会場といった過去の時空がパラレルに織り込まれていく。そして、大戦期のもうひとりの主人公はピカソの愛人ドラ・マールで、ドラと瑤子が合わせ鏡のような時間構造のなかで気丈に立ち回る。
 まるで映画を見るようなシークエンス処理——「映画を見るような」という紋切り型表現を使ってしまったが、これは2001年の9.11テロの時にさんざ使われた表現だ——は、主人公・瑤子がアメリカ人の夫をワールド・トレード・センターで喪ったことを契機として始動する。そして、著者がWebサイト「shincho LIVE!」のインタビューで語っているように、この小説を書いたきっかけは、次のようなものだという。

「〈ゲルニカ〉には、油彩と同じモチーフ、同じ大きさのタペストリーが世界に3点だけ存在します。ピカソ本人が指示して作らせたもので、このうち1点はもともとニューヨークの国連本部の会見場に飾られていました(ちなみに1点はフランスの美術館に、もう1点は高崎の群馬県立近代美術館に入っています)。しかし事件は二〇〇三年二月に起こります。イラク空爆前夜、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルが記者会見を行った際、そこにあるはずのタペストリーが暗幕で隠されていたのです。私はそれを、テレビのニュースで知りました。」

 主人公・瑤子がMoMAの前にレイナ・ソフィア芸術センターに勤務していたという設定のせいか、それとも『ゲルニカ』が、40年間にもおよぶフランコ総統によるファシスト独裁時代はアメリカのMoMAに避難していた、その「亡命」に寄与したスペイン青年貴族パルド・イグナシオ(架空の人物)に作者が肩入れし過ぎたためなのかは分からないが、本全体として、完全にではないにせよ、ややマドリード寄りに描かれているように思えた。現在ではカタルーニャ語表記が一般化しているジョアン・ミロを「ホアン・ミロ」と古色蒼然たる表記で登場させるあたり、作者の心情を物語っているように思う。だたし、ピカソの『鳩』の絵の真筆がなぜバスクの女テロリストの手元にあるのか、そのからくりは見事と言うほかはなかった。

『過激派オペラ』 江本純子

2016-10-10 12:15:03 | 映画
 「毛皮族」主宰の江本純子が、「毛布教」なる新劇団の旗揚げ公演その他もろもろを映画にする。自伝的なものなのだろうが、とにかくこの祝祭感、刹那感が素晴らしい。
 劇団主宰・作・演出をつとめる重信ナオコ(早織)が臆することなく垂れ流す、演劇という名を借りた下心の数々、恥も外聞もない、懇願とともにレズビアンセックスを完遂させる、そうした重信ナオコの情熱が演劇の台本と演出に直結していく、その公私混同の恥ずかしさ、みっともなさを、集まった団員たち(全員が可愛らしい女性たちによって構成されている)が、曲がりなりにもある期間は「才能」と断じ、ついていく。ベルトの下からベルトの上へと波及していく。これは貴重なこととしか言いようがない。
 ホースで水をかける重信ナオコに煽られて、団員たちが外に出て裸になって、シャッターの前でホース水を浴びる。このシーンが醸す解放感(しかし同時に「お約束」の醒めも感じられる)は、今年の映画界における一大クライマックスではないか。
 現代のさまざまな演劇人が映画に進出している。監督をしたり、脚本を担当したり。この流れは近年の若手演劇が興隆している証拠である。ところが、私はそれらのだいたい全部を見ているが、この方たちが舞台で成し遂げたことの半分も行っていないと思う。特に三浦大輔。舞台ではあれほどすごいのに。いや、未見の新作『何者』を見てから再考すべきだろう。とにかく映画というものの難しさを痛感する。
 江本純子は一頭地を抜く存在となった。くやしかったら、他の演劇人も『過激派オペラ』を越える映画を提示してほしいと思う。


テアトル新宿でレイトショー公開
http://kagekihaopera.com

ザ・ダムドのドキュメンタリーを見たことについて、または、わがローティーンのパンク史について

2016-10-07 05:48:54 | 映画
 イギリスのバンクバンド、ザ・ダムドのドキュメンタリー『地獄に堕ちた野郎ども』を、渋谷HUAMXシネマのレイトショーで見る。地獄に堕ちた野郎ども、なんていかにも今どきの映画秘宝プロパー的だが、そうではない。このバンドのファースト・アルバムのタイトルがそもそも『地獄に堕ちた野郎ども』(1977)だったのである。
 格好をつけるわけじゃなくて、実際、小学生だった私ですらこの邦題は「ガキっぽくて」気に食わなかった(原題は単に『Damned Damned Damned』)ですね。ビートルズ、ストーンズといったオールド・ウェイヴを否定する以上、もっと上をやってくれよと。B級的ワルぶりかよと。とはいえザ・ダムドを聴かなかったわけじゃない。
 でもセックス・ピストルズがやはりすごかったし……いやそれ以上に解散後にはじめたパブリック・イメージ・リミテッドが圧倒的だった。そしてザ・クラッシュは放っておけない何かを放射していた。今回の映画の当時のフッテージの中で、メンバーの誰かが「中産階級のザ・ジャムなんてクソ食らえ」みたいなことを言っていた。ザ・ダムドはサウンド志向のパンクを売りにしていたけれども、サウンドから生み出されるエモーションという点では、ザ・ジャムはピカイチだった。当時の私たちはそんなロンドン市内における階級の差異まで気にして音を聴いてはいなかった。ザ・ジャムもザ・クラッシュも初来日ライブは行って感動したけれども、どちらもたぶんこの1回しか来日していないのでは? ザ・ジャムはすぐに解散してスタイル・カウンシルを新結成して、ブラックに行っちゃうのだけど。ブラックに行くと、誰も文句つけられなくなるんです。最初の2枚の12㌅シングルとファースト・アルバムだけ聴いて、スーと離れた。だって、スタカンにしろ、イアン・デューリーにしろ、いい音は出してはいたけれども、だったら本場アメリカの黒人音楽を聴けばいいじゃん、て普通はなる。例外はニューヨーク派のトーキング・ヘッズ。アフリカンのコピーかもしれないが、コピーであることに重大な意味をもって音を鳴らしていた。『リメイン・イン・ライト』は偉大なアルバムだったし、このアルバムのツアーも素晴らしかった。「ミュージックマガジン」誌の中村とうようの批判はもちろん読んではいたが、とにかくトーキング・ヘッズについては「ロッキング・オン」誌の論調に賛成だった。「ミュージックマガジン」誌の「植民地主義的」っていう批判はたしかにそうだろうとは内心賛同しつつ、音それじたいとしての充実があったから。

 私が最も愛したのは、現在では馬鹿にされてしまうのかどうか気にもならないけれども、ジョイ・ディヴィジョンやベースメント5、ア・サートゥン・レイシオのようなファクトリー系レーベル全体がマルグリット・デュラス『インディア・ソング』のサウンドトラック盤を出したクレプスキュールに合流した流れだった。自分を怖い人に見せる「真正パンク」を気取るには、私はまだ子ども過ぎた。それより音の一音一音にシビれていただけで。ライブ会場に行っても、「ここは子どもが来るトコじゃねえぞ」って後ろから言われてるみたいで、小さくなっていた。
 スージー&ザ・バンシーズの渋公ライブに感動し、スージー&バッジーも、あとストラングラーズもアルバムだけでなく、7インチのシングルもいちいち買っていた。ザ・ポップ・グループらのラフ・トレード、スロッビング・グリッスルらインダストリアルの動向からも目が離せず、私の中学高校時代は過ぎていった。U2の初来日に行ったけど、青臭くて失笑ものだった。ライブ前日にフジテレビの歌番組に出演したことを私たち観客にエクスキューズしたりして、白けた。ボノが客席に降りてきて、紙コップとアイリッシュ・ウイスキーを配って歩いた。かなり前の席にいた私は見た目からして子どもに見えたはずだが、それでもボノは酒をくれましたよ。そうしたくなってしまう何かを彼らは抱えていたのでしょうね。私はその情緒はいらないと思った。ウィスキーはありがたく飲み干しましたが。
 そもそも新大久保の私立高校を受験しようと思ったのも、輸入盤屋が日本一集中する西新宿へ放課後に歩いてパトロールできるだろう、というアドバンテージゆえ。ただし、高校入学後はロックより映画の方がすごいと思えるようになってしまい。ゴダールを見れば見るほど、これに匹敵する音楽なんてないじゃんと思ってしまい。
 パンク=ニューウェイヴのすぐあとに、グラムロックの復権みたいなものがあって(スパンドー・バレエ、ウルトラヴォックスetc.)、ザ・ダムドはそういうものの流れを作った元祖なのかなと当時勝手に思っていた。第一、マーク・ボランはとっくにこの世の人ではなかったけれど、デイヴィッド・ボウイーはベルリン時代の最後のアルバム『ロジャー 間借人』やら『スケアリー・モンスターズ』やら宝焼酎「純」のCMやらで健在だったし、ブライアン・イーノ脱退後のロキシー・ミュージックが意気軒昂だったから(どういうわけか、ピーター・ガブリエル脱退後のジェネシスしかり、絶対的リーダーが抜けると急にブレイクするグループって多いなと、というのが当時の疑問でした)。
 本作中、2カットだけ出てくるストラングラーズのJ.J.バーネルが、佇まいといい、発言のしかたといい、一番しっくりきた。パンクムーヴメント当時はストラングラーズが一番いいと思っていたから(後楽園ホールは行っていない)、その意味では趣向は成長していない。
 なお、本作の監督はウェス・オーショスキーで吉祥寺バウスシアター最後の「爆音映画祭」で上映された『極悪レミー』(2010)の監督である。


『地獄に堕ちた野郎ども』は9/17より渋谷HUMAXにてレイトショー中
http://damneddoc.jp

クロード・レヴィ=ストロース著『大山猫の物語』

2016-10-05 02:19:23 | 
 「昔から気づかれていたことだが、マイレ=ポチーの物語は、ブラジル南部から何千キロも離れた北アメリカで、三、四世紀も後に採集された諸神話をきわめて正確に先取りしているのである。」

 上の文は、今年やっと邦訳が刊行されたクロード・レヴィ=ストロース著『大山猫の物語』(みすず書房 刊/渡辺公三監訳、福田素子・泉克典共訳)のなかの一節(本書70ページ)で、これまで著者がくり返し主張してきたことを、最後の最後に念を押した格好となっている。社会学、民俗研究、文化人類学にとどまることなく、著者がしかけた思想への爆弾は、とにかくクリシェというクリシェをしらみつぶしに叩き壊していく、という執拗さに尽きている。
 かかる一文に続いて、次のような文が書かれていく。「オオヤマネコの物語を語るセイリッシの諸ヴァージョンは、その印象的な例となっている。そこにはすべてが見られるのだ。プロットの冒頭ないし途中において「醜く、不恰好」だった主人公は、中間部ないし最終部で美しい若者に変身する。」
 1964年から71年まで、7年をかけたライフワークである4巻の大著『神話論理』(邦訳 みすず書房)のあとに、ほんの「付け足し」として『仮面の道』(1975)、『やきもち焼きの土器づくり』(1985)、そして本書の『大山猫の物語』(1991)の3冊が書き継がれた。レヴィ=ストロース自身は生前、大著4巻を「大神話論理」と呼び、そのあとの3冊を「小神話論理」と呼んでいたという。ヘーゲルの『大論理学』と『小論理学』をもじったものだ。
 「ブラジルから何千キロも離れた北アメリカで、三、四世紀も後に採集された諸神話」、そしてそのオリジナルとおぼしき「マイレ=ポチーの物語」がたがいに等号で結びついてしまうという嘘のような光景は、私のような映画を見続けている人間には、親しみのある荒唐無稽な感覚である。あり得ないはずの、無関係な複数のものが、時空間をぶしつけに跨ぐモンタージュによって、隣人同士の挨拶をふいに交わしてしまう。そのようにして芸術も文化も、いや社会全体が、喜ばしき進化をとげてきたのではなかっただろうか?
 さらに1961年に書かれたテクスト『社会経済的発展と文化的不連続性』からの引用を。
 「資本主義体制は、それに先だって西欧の人間が土着の人間を扱ったやり方で西欧の人間を扱うことにある、と結論される。」そしてさらに「マルクスにとって資本家と労働者の関係は植民者と被植民者の一特殊例にほかならない。この視点からすれば、マルクス主義の思想においては経済学と社会学は、民族誌学の一部として誕生したとほとんど言えそうである。」
 マルクス経済学も社会学も民族誌からの派生物である。ここに書きこまれた「一特殊例にほかならない」という文言こそ、すべてのクリシェに対してレヴィ=ストロースが下し続ける鉄槌なのだと思う。その一方で、オオヤマネコの物語を語るセイリッシの諸ヴァージョンには、「すべてが見られるのだ」と大見得を切ってみせる。このえこひいきもまた、レヴィ=ストロースを読み続けるための最大の魅力である。

 余談だが、今年公開されたアレハンドロ・ゴンサレス=イニャリトゥの『レヴェナント 蘇えりし者』は素晴らしい映画だったけれど、メキシコ人が北米を描くとこうなるものかしらとも思ったものだが、南北アメリカと数世紀の時間を串刺しにしたレヴィ=ストロース的瞬間がかいま見えた作品でもあった。レヴィ=ストロースファンは食わず嫌いせず、一度ご覧いただきたし。

『トーンパーン』 ユッタナー・ムグダーサニット、スラチャイ・ジャンティマートン、ラッサミー・パオルアントー

2016-09-29 03:06:49 | 映画
 《爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン》でユッタナー・ムグダーサニット、スラチャイ・ジャンティマートン、ラッサミー・パオルアントー共同監督の『トーンパーン』(1976)が上映された。ユッタナーはむかし『蝶と花』(1985)を見ただけだが、今回は彼の初期作品を見る貴重な機会となった。
 タイ東北部イサーン地方。農夫トーンパーンの生活苦をドキュメンタリー・タッチで写し出す。あくまでドキュメンタリー・タッチであって、本当のドキュメンタリーではないのだが、画面からあふれ出す生々しく荒々しい情動は、ドキュメンタリーに勝るとも劣らない。
 タイで最も貧しいイサーン地方の出身者はバンコクなど都市部では差別されるが、タイの他地域とはまったく異なる文化を有するという。このローカルな違和感みたいなものが作品全体を覆い尽くしている。違和感によって映画自体が苛立ち、口をつぐみ、周囲を睨みつけ、声なき叫びを上げている。生活の苦しいトーンパーンは農作業だけでなく、人力車の車夫として働いたり、選手としてムエタイの試合に出場して殴られ蹴られたりしている。
 タイは1973年10月14日の学生蜂起に端を発する政変でタノーム軍事独裁政権が倒れ、民主化された。ちょうど今上映中の『チリの闘い』で見られるように、この1ヶ月とすこし前の1973年9月11日に、地球の裏側のチリでは、ピノチェット将軍による軍事クーデタが起こっている。これと入れ替わるように、タイでは逆に民主化されたのである。
 この『トーンパーン』では、文民政権の官僚が村にやって来て、イサーン地方のダム建設をめぐる討論会をおこなう。映画はトーンパーンの生きざま、芸能などイサーン地方の風物、そしてダム建設討論会を代わる代わるモンタージュし、それらの背反ぶりを強調する。とはいえ、民主政権が企画した討論会は決してまずいものではなく、誠実なものでさえある。しかし、それでも住民代表として出席を求められていたトーンパーンに発言を求められたとき、すでに空席となっている。彼の苦悩は深まり、やがて彼は画面からも消えていく。
 1976年、こんどは右翼による反動クーデタが起き、民主政権は短命に終わる。作者サイドのナレーションによれば、この映画を製作したグループも逮捕され入獄した。政治的混乱をへて、トーンパーンの足跡は摑めなくなったという。
https://www.youtube.com/watch?v=KggcuC8SQD4


WWW(東京・渋谷)にて《爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン》開催中
http://bakuonthai2016.com

『母の残像』 ヨアキム・トリアー

2016-09-22 00:56:25 | 映画
 この9日間ほど、仕事でスペインに行っていた。行き帰りのエール・フランス機のなかでは例によって未見・既見の映画を見まくったのだけれども、予備知識のまったくない状態で見た作品のなかに拾いものがあった。日本語字幕なしだったので、あくまで私の拙い語学力による理解の範囲ではあるが、これはちょっとお薦めしたい。タイトルは『Louder Than Bombs』(2015)。きょう帰国して調べてみたら、『母の残像』という邦題で11月に日本公開されることを知った。しかしまだあまりホームページもちゃんとしていない。

 私たち人間は、死別した人間と、死別という「境」によって、新しい関係を築く。築くことができる。私はみずからの経験——親の死、友の死、血縁者の死、そしてリスペクトする先達の死——を通して、その新しい関係性を知ることができつつある。私とその人は、その人が生きていた時とは別の対話をすることができる。その新たな対話の可能性を模索したすばらしい作品として、最近ではオリヴィエ・アサイヤスの『アクトレス 女たちの舞台』(2014)があった。

 『母の残像』は、3年前に事故死をとげた戦争写真家の母親イザベル(イザベル・ユペール)の不在をめぐって、そして事故死の謎、あるいは生前の母の別の顔をめぐって、残された夫(ガブリエル・バーン)と2人の息子がとまどい、揺れ続ける、そんな憂鬱さに沈潜していく映画である。監督はヨアキム・トリアー。ラース・フォン・トリアーの血縁かしら? ——図星。ただしデンマークの鬼才の甥なのに、なぜノルウェー人なのかは今のところわからない。ノルウェーで撮った2作はすでに渋谷のノーザンライツ映画祭で上映済みとのこと。今作が初の英語作品だそう。共同脚本にエスキル・フォクトがクレジットされている。この人の『ブラインド 視線のエロス』という未公開作がWOWOWで放送されたのを見たが、失明した女性の空想をおもしろく描いていた。
 『母の残像』の最初のほうで、長男(ジェシー・アイゼンバーグ)が母の回顧展の準備のために、久しぶりに実家に帰ってくる。月並みな感想だが、この長男の微妙にダメなありよう、不実さが、どこか戦前の小津映画の息子を思わせる。『ソーシャル・ネットワーク』のイメージに引っ張られた感想かもしれないが、長男役のジェシー・アイゼンバーグがすばらしい。もちろんイザベル・ユペール、ガブリエル・バーンもいいし、終盤でアメリカン・スリープオーバー(!)の帰り道、次男がひそかに恋する女子生徒と歩いて帰るシーンが絶品である。夜の闇が白んでいき、尿意をもよおした少女は、他人の家の陰で用を足す。液体の細長いスジが道路をつたい、向こうを向いていた次男の靴にぶつかって、液体は進路を変えていく。次男の目に涙があふれる。
 この涙はもちろん憧れていた少女への幻滅ではない。万感せまる涙である。


11/26よりヒューマントラストシネマ渋谷で公開予定
http://www.ttcg.jp/topics/master-selection/

『火|Hee』 桃井かおり

2016-09-07 23:31:58 | 映画
 『SAYURI』(2005)以降ロサンジェルスに拠点を移した桃井かおりだが、1本か2本アメリカ映画に出ていたようだけど、岩井俊二のロス生活と同じく、もうひとつ活動実態がよく分からない。ところがロスの自宅だけで撮りあげたという監督作がひょっこり公開されている。上映時間わずか72分の自作自演、ロケ地は自宅、衣裳も本人、劇中の段ボールもシーツもお皿も、すき焼きの肉や鍋まで自前らしい。
 「この私を見よ」。Ecce homo. ニーチェが発狂寸前に書いた著作と同じことを、桃井かおりは言っている。幼いころにみずからの過失によるカーテンへの引火で火事をおこして両親を焼き殺し、学校ではいじめられ、結婚してもあえなく離婚、現在はアメリカに渡って売春婦に身をやつした女。借金にまみれ、ろくでもない白人男とつき合っている。
 殺人事件の担当刑事の要請にもとづき、精神科医の診察を受けることになった日本人女性は、精神科医を相手に洪水のごとく自己吐露をはじめる。この売春婦の絶望と狂気を見る。それは60歳を超えてもなお「をんな」を演じつづける桃井かおりその人の、女優としての凄味と業の深さを、改めて目の当たりにすることでもある。
 この女優さんはほんとうに映画が好きなんだな、というのが随所に理解できる作品である。ここで見せる彼女の演技は、舞台で見せるものからかけ離れた、カメラが目と鼻の先にあるからこそ感知しうるレベルのもので、舞台では再現不能の種類のものだ。映画にしか感知し得ない女の絶望なのである。そして、音の使い方。選曲がよくて、この人は音楽を聴きこんでいるなと思う(選曲担当エンジニアがいたのかもしれないが)。それからゴダール顔負けの音(楽曲と現場ノイズ)の出し入れ、差し引き。これが、単純なシーン割りに終始せざるを得ない本作から、不可思議な活力を導き出している。


シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷金王坂上)にて公開中
http://hee-movie.com

サイ・トゥオンブリーの写真について

2016-09-02 00:22:22 | アート
 過激なまでにざっくばらんな筆運びでならしたサイ・トゥオンブリーの絵画作品やドローイング作品は、一滴の絵の具の垂れぐあいが、一本の鉛筆の線が、子どもにさえ不可能なほどのたどたどしさを誇示している。ほとんど稚戯、落書きにも思えるその筆致を、しかしロラン・バルトは全面肯定した。「《子どもっぽい》だろうか、TWの筆跡は。もちろん、そうだ。しかし、また、何かが余計にある。あるいは、何かが足りない。あるいは、何かが一緒にある。」
 子どもの稚拙さは、大人に達しようと力んだり勉強したり、母親に愛されたかったりした結果だ。トゥオンブリーの筆跡にはもっとノンビリとだらしない余剰がある。「軽やかな蜜蜂の飛翔の跡」と呼ばれるその筆跡は、シュポルテ(支持体)の鉱物性を際立たせ、ジャンル間の差異を縮ませる。
 絵画、ドローイング、彫刻。そして最後に遅れて、写真が彼の表現方法に追加された。ボワボワとピントの合っていない静物や花弁、絵画や遺跡の部分写真は、ディテールの鉱物性がクロースアップされ、見る者の感覚を攪拌し、一緒くたにする。そのときトゥオンブリーは「古代ローマ」などとつぶやいて、私たちを戯れに幻惑する。では、この古代との連関を強弁する姿勢は、擬態にすぎないのか? おそらく彼は、本気で古代ローマ文明の正統的嫡子だと自認していたのだと思う。
 今回のDIC川村記念美術館(千葉県・佐倉)の《サイ・トゥオンブリーの写真——変奏のリリシズム》(2016年4月23日〜8月28日)によって、初めてトゥオンブリーの写真作品の全貌を楽しむことができた。前回、彼の写真を見られたのはいつだったか? ——それは六本木のワコウ・ワークス・オブ・アートのゲルハルト・リヒターとトゥオンブリーの二人展で、確かあれはトゥオンブリーが亡くなる1ヶ月ほど前のことだったはずだ。ヒマワリの花びらをピンぼけで撮ったドライプリントが数点出ていた。
 今回では、トゥオンブリーが亡くなる年の2011年に撮影した最晩年の作品も展示された。それは、サン・バルテルミー島の墓地を写した数点である。墓石、十字架、朝鮮アサガオの花びら、そして見上げた際にさっとシャッターを押したのだろう青空に雲の写真一葉である。


DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)
http://kawamura-museum.dic.co.jp