どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

清潔なんて真っ平

2021年04月22日 | 創作(外国)

     コルチャック先生のユーモア短編小説集/伊藤栄蔵・訳/山本麟郎/1993年

 

 ある晩新聞をみて、靴屋、仕立て屋、帽子屋、手袋屋、美容室と次々に訪ね、立派な服を身につけた男。

 それから男はがらりと変わりました。歩き方はゆっくりになり、動作もしっかりして全体に堂々としてきました。挨拶するのを待っていた多くの人々が、自分たちから先に挨拶するようになりました。

 男は、住居の外観や妻と子どもたちの服装も、男の服装にふさわしいものにしていきました。

 子どもたちには、不潔な彼らから病気を移されないように、近所の家具屋の子どもたちとは遊ばないように言い渡しました。

 うっかり挨拶を交わせば交友関係に障るかもしれないと思われるような相手には、一切答礼をしなくなりました。何度も帽子を脱げば帽子の格好が崩れ、何度もお辞儀をすればカラーやネクタイがしわになるからです。

 浮浪者に小銭を与えることも止めました、ポケットが痛むからです。子どもや妻にもできるだけ近づかないように努力しました。服を汚したり、完璧さを損なうような何かが出てくると気が狂いそうになりました。

 あるとき、喪服を着た婦人が援けを求めましたが、絨毯の上についた婦人の泥だらけの足跡が気になり、話を上の空で聞くだけ。あとで連絡をすると約束しながら、そのままにしてしまいます。

 劇場にいくのもすくなくなり、市電にも乗らないようになりました。どんな人間が側にやってくるかもしれないからです。

 衛生的な生活を続けていけば、さぞや血色がよくなり、仕事も精力的にこなし理想的な幸せが得られると思っていた男でしたが、事実は正反対。仕事がつらくなり、本気で自殺を考えはじめていたのです。医者の処方箋も効き目がありませんでした。

 自殺への誘惑は一瞬も去らず、祖父から譲り受けていたピストルを屋根裏部屋で探していると、古びて色あせたネクタイ、使い古したズボン、踵の擦り切れた古い長靴が目につきました。最初の瞬間には、どうしてこんな汚らしい物を身に着けるなどということがあり得たのかと怒りをおぼえます。しかし、しばらくすると、これらを身に着けたら自分がどんなふうに見えるのだろうかと考えはじめたです。そして二度と戻ってこない失った友を見たように感じたのです。ついにみつけたピストルを片手に鏡の前に立った時、過ぎ去った日々が、つぎつぎに映し出され、自分の行動を一つ一つ分析しはじめました。そして朝の太陽が部屋に差し込んだとき、古い服装を身にまとい、そのままとおりへと出ていきました。

 それから男はまた健康になり、妻は機嫌を直し、子どもたちも以前の楽しみをとりもどしました。

 

 ユーモアとありますが、人生の機微をうかがわせてくれます。エスペラント語から訳されたものですが、内容からすると”清潔”というのは、ニュアンスが違うようです。

 自費出版でしょうか。子どもの権利条約の父と言われ、ワルシャワのゲットーでなくなったコルチャックの作品は、もっと広く読まれていいと思いました。


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