入笠牧場その日その時

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   ’18年「初夏」 (34)

2018年06月19日 | 入笠にまつわる歴史



 きょうの写真に写っている辺りも「御所平」の一部と伝えられている。この名前の由来だが、後醍醐天皇の皇子宗良親王がしばらくいたとする説が有力だが、1333年に鎌倉幕府が崩壊し、その後、諏訪氏の庇護を得た北条時行の一派がこの地に潜伏し、その際に宗良親王を騙った可能性も考えられる。
 時行が潜んだ場所はここ以外にもあったようだが、1年と有半ほど後の1335年、北条政権再興のため鎌倉奪還を目指し、足利尊氏の弟直義(ただよし)が守る同地を攻めた。世にいう「中先代の乱」である。
 以上のことはこれまでにも呟いた大雑把な話だが、「御所平」の名称についてはこうした背景が考慮され、今後に何らかの変化が起こるのか否か、注目したい。
 それにしても、あの人、あの人、そしてたくさんのあの人たちは、この問題をどう考えているのか・・・。
 
 今では集団離村してしまった芝平も、かつての住民には北原姓が多く、乱の前か後か、北条の残党の一部がこの山奥に住み着いたと信じる人もいて、歴史への郷愁を誘ってくれる。
 北原のお師匠もかつては芝平の住人だったが、師は法華道を歩いたり、御所平峠の自らが据えた地蔵様の前に額ずけば、その昔、日蓮宗の本山・身延山久遠寺を目指した信者の旅姿が見えると言った。なかなかその域には届きそうもないが、御所平の辺りを行けば不思議なくらい、動乱の世を過酷な運命に翻弄されながら生きた、若武者のことが思い浮かぶ。
 元熊本藩士にして、幕末から明治にかけて活躍した儒学者横井小楠は自らを、時行の末裔だと言っていたという。小楠は号で、名は平 時存(ときひら)、北条四郎時存と名乗ることもあったとか。

 牛は、ふたつの群れになっていたが、給塩の方法に苦慮している。塩鉢に置いても牛たちには分からず、鹿が待ってましたと来るだけだろう。呼び寄せ、来れば塩を貰えると教えるまでには、この頭数では簡単にはいかない。

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「同(2)」をご覧ください。
 
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