入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「冬」(7)

2022年01月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 山とくれば酒で、特に冬の山で長い夜を過ごすには欠かせない。酒を飲まない人には分からないかも知れないが、それが無ければマラソン選手に給水、いや、牧場に牛がいないようなものだろう。
 酒と煙草は同じころに始めた。煙草は大分前に止めてしまったが、酒の方は飲み続けている。止める気もないし、その必要もないと感じている。
 
 前にも独り言ちたが、これだけ長い間親しんできた酒でも、味に関しては今だによく分からない。例えば1千円のワインと1万円のワインとの差が分からない。ストラディバリウスと他のバイオリンの音色の違いなど分からなくても構わないが、しかし、2万円の日本酒と2千円の日本酒との違い、と言うよりその美味さの違いが分からないというのは、少々酒飲みの沽券に関わる。
 酒の値段が高いほど辛くなるのか、甘くなるのか、苦くなるのか、それほど単純な話ではないことは想像できるが、その深淵のとば口も分からないまま、飲酒歴は半世紀を通り過ぎてしまった。それでいて「山とくれば酒」と言っている。
 思うに、こういう謎のような酒のうま味、そういう酒を味わうことができる人々が、このあるかないかの微かな違いを喜び、尊び、その世界を守っているのだろう。結構なことだけれど、仮に大金が降ってきても、その金でロートシルト何とやらなぞ絶対に買わない。そんな酒を飲んだとて猫に小判、恐らく分からない。
 たまに頂戴した高級酒とその違いが分からず悩む者にも、酒は平等だと思う。酒の値段で酔いの色が変わるなどということはない。酔って開けた扉の向こうの朦朧には、時には雪女がいることもあれば、山姥が待っていることもある。
 それが酒の功妙というものであり、酔いであり、その外にさて何が必要だろうか。ある時には相手や料理も大事だろうが、それらが絶対用件であるわけではない。何よりも酒の力は人を酔わせる作用、値打ちなど敢えて求めなくとも、充分にその恩恵に浴せている。
 
 山の中で飲む酒の話に戻ろう。そのうちいつか、あそこのクヌギの林の中にテントを張り、小さな榾火を燃やし一夜を過ごそうと考えている。アルミの薬缶で湯を沸かし、そしてウイスキーのお湯割りを飲む。飲み続けるには上質なサラミでもあればそれで充分で、若かったころはそれと、豚ロースの味噌漬けを作ってもらったこともある。
 身体中に暖かさが拡がり、アルコールが浸みてきて、それから過ごす長い夜が苦ではなくなる。むしろ、それからの深い孤独が、日常にはない高級な時を与えてくれるはずだ。
 
 ところで、この呟きをしながらビール500㏄1本を飲んだけれど、そこまでアルコールの匂いが届いただろうか。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
コメント
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