布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

靖国神社に行ってきました

2008-10-04 22:43:00 | 日本
これもバックログ消化ですが、それにしても9月2日のことだからもう1ヶ月前のことを今さらBLOGにあげています。タイムリーでなさすぎですが、その日、靖国神社に行ってきました。
ちなみに画像は、境内の売店で売っていたおみやげです。前夜に福田氏が首相を辞任する意向を表明したばかりというタイミングで、店先で写メしてると店のおばちゃんが「割引はじめたよ」と。思わず記念に買って帰ろうかと思いました。

閑話休題。

靖国には以前に二度来たことがあります。初めては、日本武道館で「皇室の伝統を守る一万人集会」に参加した帰りに、せっかく近くまで来たのだし一度のぞいてみようと境内をぶらぶらしました。ほとんど観光というか野次馬というか。二度目は日本バプテスト連盟が主催した見学会。昇殿こそしませんでしたが、詳しいクリスチャンに境内のあちこちと、遊就館を案内していただきました。
今回は、観光や見学という一歩距離を置いたアプローチではなく、「9月2日に靖国に行きたい」と思ってのことです。
8月15日は、ポツダム宣言を受諾する意思を日本政府がトルーマンに打電し、それを昭和天皇が玉音放送で国内向けに発表した日、つまり「敗戦を受け入れた日」ではあるけれど、終戦は昭和天皇が「降伏文書調印に関する詔書」を発して日本政府がミズーリ号上で降伏文書に調印した9月2日です。実際、国連(当時の訳では連合国)側では9月2日が対日戦勝記念日になってますし、だから「日本軍が矛を収めた8月15日」よりも「公式な終戦の日である9月2日」に靖国に行きたい、と思っていたのです。
政治にたずさわる人たちも、政治的に戦争が終結した9月2日に、参拝したいならすればいいと思うのだけど。「8月15日」は、死んでいった人たちに遺族が静かに語りかける日にできないがろうかなぁ。

ところで、私の祖父も靖国神社の霊璽簿に名前があります。でも、靖国神社で「戦死者である祖父個人」のことを思うという感覚はほとんどありません(墓参の時には、遺影でしか知らない祖父のことも思うけれど)。それに祖父が死んだのはわりと初期だし、銀行員だった祖父は軍で経理をしていて、戦闘員というより事務方だったのが戦闘にまきこまれて命を落としたと聞いています。だから、どこまで死を覚悟していたか、「靖国に会いに来い」と思っていたかはわからない。
しばらく前に亡くなった祖母も、生前に靖国に行ったという話しは聞いていない。幼い頃に一度、浅草寺の参道だったと思うけれど、軍服を着て片腕や片足のない人が物乞いをしていたのを見たとき、祖母が「あの人たちは生きているだけ幸せなんだよ」と行ったのが今も強烈な印象を残しているだけです。だから、私が靖国に行きたいと思うのは、戦死者の身内だからということではない。
それだから8月15日へのこだわりもないのかもしれない。そうでなくても8月15日の靖国神社周辺は静かに戦死者に思いをいたすという空気じゃなさそうだし。8月15日ではない日に靖国に行くなら、やっぱ9月2日だよなと。たまたまその日は茅場町で仕事をしていたので、少し早めに上がらせてもらって地下鉄東西線で九段下へ。そういえば「東京メトロ」は少し前まで「帝都高速度交通営団」だったっけ。

静かでした。静謐というのかな。いつかニュースで見た8月15日の喧騒とは別世界のような参道を歩きました。
本殿の前で、一礼。こういうときにいつも日本人にとっての「おじぎ」の意味を考えますが、クリスチャンの坂井はもちろん宗教行為としての「拝礼」ではなく、敬意を表す礼です。もし自分が、敬礼の所作を持つ職業であったならそうしたいところですが、そうではないので、戦死者への礼を表明するには一礼しかないわけ。
本殿の前を下手に折れて、鎮霊社へ。ここは本殿に合祀されていない日本人も含めて「諸外国の戦没者の御霊」が祭神とされている社(坂井にとってはすべての戦死者を記念する場)です。特にどうするつもりもなかったのですが来てみるとやっぱり、平和の主キリストの再臨のすみやかならんことを祈らずにいられなくなりました。(今にして思うと、二礼二拍手一礼もせずに黙祷していたのは、人が見たら奇異だったかも)。

私個人の思いとしては、坂井はヤハウェのみがGodであると信じる者であるから、靖国神社で英霊という神を拝もうとはしないし、だから「参拝」したいとも思わない。(これは「教理的にできない/するべきでない」という教条主義的な「考え」ではなく、信仰から来る「思い」です。)
けれどそれとは別に、戦死者への思いがあります。戦死者の慰霊。戦死者への感謝。戦死者の顕彰。戦死者を誇る誇り。戦死者に誓う平和。そういったものがまぜこぜになった感情からの、ただ戦死者に礼を尽くしたいという思い。
その思いをあえてまとめるなら、「英霊の言の葉」を読んだときに感じた二つのこと、「こんな思いまでして戦ってくれた、こんな思いまでして戦地に送り出した」ということと「二度と誰もこんな思いをしちゃいけない」ということに集約できると思います。靖国神社に反対する人たちの理由の一つに「戦死者を顕彰することは次の戦争の準備だ」との意見がありますが、戦死者を顕彰しても「次の戦争」の準備になんかなりません。靖国神社が戦死者やその遺族の書いたものを社頭に掲示する限り、そしてそれを「英霊の言の葉」として出版し続ける限り、それは反戦平和にこそ資するものだと考えています。(むしろ、もし靖国神社が社頭掲示をやめたりしたらその時こそ注意が必要でしょう。)

帰りに遊就館の売店で「英霊の言の葉」の第5集を購入。バプ連の見学会の時に第4集まで買っていたので。

ところで、カトリック信者である麻生太郎氏が内閣総理大臣に就任しましたが、氏は首相在任中に靖国神社に参拝してくれるでしょうか。氏の公式ホームページに2006年8月8日付けで公開している論文「靖国に弥栄(いやさか)あれ」では、戦死者追悼事業を国の責任で行うべきとしてそのための現実的かつ冷静な案を提示していて、ヒステリックで感情的な反対論や、反日勢力と妥協できれば筋などどうでもいいような解決策とは無縁な、冷静で現実的な考え方をしている人物に思えます(氏の論に私がもろ手を挙げて賛成という意味ではありません)。
これは私の漠然とした感覚ですが、日本のカトリックは、マッカーサーにビッター神父が「靖国神社を存続すべき」と答申したときから、少なくとも昭和天皇が崩御された頃まではまともだったのが、この20年で左傾化・反日化の傾向が出てきているように感じています。一方で三浦朱門氏のような方もいるのが救いですが、キリスト教が宣教地に乗り込んでいっては改宗しない王を殺したり国を滅ぼしたりしたのと同じ態度を、この現代に、しかも私の生まれ育った国に対してやるのは(同じキリストを信じる者としても)勘弁してほしいなあと。

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