サイトのほうにも書いたことですが。
最近は毎年、個人的な年間聖句をかかげて心掛けるようにしているのだけど、今年は
「慰めよ、慰めよ、わが民を」とあなたがたの神である主は言われる。
(イザヤ書40章1)
を選びました。
左上の画像をダブルクリックすると、ヘブライ語で表示されます。
心掛けというよりも、年間の祈祷課題としてイスラエルのために祈ろうと思っています。
近年、特に教会で「日本の過ち」「日本がアジアと世界にしでかしたこと」が言われるたびに、「キリスト教徒の過ち」「キリスト教徒が世界とくに『神の民』イスラエルにしでかしたこと」はどうなんだ?と思ってきました。ただそれは、「私たち日本人」を三人称で、つまり自分も日本人でありながら「汝ら日本人」という態度でいる人たち、しかも自分たちキリスト教徒のことを棚に上げた話ししかしない人たちへの反発でしかありませんでした。
けれど実際にイスラエルのために祈り、活動している人たちもいる。少数だけど日本にもそういうクリスチャンがいる。そう知ったとき、「俺は何をしてるんだろ」と。「汝ら日本人」と言ってる日本人と同様に「汝らクリスチャン」と言ってるだけじゃないかと。
まず、イスラエルのために祈ろう。ユダヤ人の救いのために祈ろう。
彼らアブラハムの子孫によって諸国民が祝福に入るのだから、これは日本のためにとりなすことと同じでもあるし。
そして、ユダヤ人の王として来られる方が「王の王」となられるのだから、再臨の日のためにも彼らの回復を祈るべきと思うし。
しかもイスラエルを祝福する者は主から祝福されるという約束がついてくるし。
というわけで、今年はこれを意識していこうと思います。
ところで「選んだ」というのは、よりクリスチャン的にいうと「この御言葉が与えられた」なんだろうけど、この感覚はよくわからないので。
まあ、上に書いたようになんだかんだ考えてた時に目の前にこの聖句が書かれていたので、「示された」くらいは感じてるかも。