日本の教育のガンである日教組を解体しなきゃいかん、と発言した中山国交相が、辞任の意向との報道。
新内閣が発足し、さてこれからというところで、野党や左翼マスコミが当然突っついてくるだろう発言をしたことは、時局を見ることができない人だと思う。
けれど、日本の教育を本当に憂いている心ある人は「よくぞ本当のことを言ってくれた」と感じてると思う。
坂井は子供の頃から歴史が好きだった。日本史が中心だったけど、中国古典の豪傑モノや冒険譚も好きだったこともあって、「項羽と劉邦」や三国志の時代に魅力を感じていた。(コーエーの三国志がファミコンで出るよりずっと前の話です)
ところが中学のときの世界史の担当が、絵に描いたような日教組教師だった。この先生、世界史の授業を反原発教育につぎこみ続け、定期試験にまで「原発について述べよ」という問題を出す始末。しかもその挙げ句に授業時間が足りなくなり、年度の終わりの方(坂井が一番楽しみにしていた中国史のあたり)はプリントを配って終了ばかりになった。あんな授業でその科目が身につくはずがないし、その科目に興味関心すら持てるはずがない。もともと歴史好きだった私がうんざりするくらいだったのだから、歴史にそれほど興味がなかった人が興味関心を持てるようになるはずがない。世界史の教師が「世界史嫌い」を育てていたわけ。
だいたい、たかが労働組合が教育を牛耳れるというのが異常なんじゃないだろうか。少なくとも、私たちが選挙で選んだ国会で決められる法律や、その国会で選ばれた内閣による行政に、私たちが選んだわけではない教師が反対することが正しいというのは、民主主義の否定じゃないのか? しかもその手段もしばしば非民主的だ。(ここで私が民主主義と言っているのは、問題があるというなら国会に出て戦えと言いいたいのであり、非民主的と言っているのは、声が大きいほうが正義とばかりに叫んだり、教師の権威において子供たちを洗脳したり、授業をサボタージュしてデモや日教組の活動をしておきながら勤務時間に付けるなどという不正をしたりなどという、「目的のためなら手段は正当化される」という姿勢のことを言いたいのです)
ガンという中山発言は、至極妥当だと思う。
ただ、発言するべき時と場所を選びきれなかったのは、言っていることが正しいだけに残念だと思う。
新内閣が発足し、さてこれからというところで、野党や左翼マスコミが当然突っついてくるだろう発言をしたことは、時局を見ることができない人だと思う。
けれど、日本の教育を本当に憂いている心ある人は「よくぞ本当のことを言ってくれた」と感じてると思う。
坂井は子供の頃から歴史が好きだった。日本史が中心だったけど、中国古典の豪傑モノや冒険譚も好きだったこともあって、「項羽と劉邦」や三国志の時代に魅力を感じていた。(コーエーの三国志がファミコンで出るよりずっと前の話です)
ところが中学のときの世界史の担当が、絵に描いたような日教組教師だった。この先生、世界史の授業を反原発教育につぎこみ続け、定期試験にまで「原発について述べよ」という問題を出す始末。しかもその挙げ句に授業時間が足りなくなり、年度の終わりの方(坂井が一番楽しみにしていた中国史のあたり)はプリントを配って終了ばかりになった。あんな授業でその科目が身につくはずがないし、その科目に興味関心すら持てるはずがない。もともと歴史好きだった私がうんざりするくらいだったのだから、歴史にそれほど興味がなかった人が興味関心を持てるようになるはずがない。世界史の教師が「世界史嫌い」を育てていたわけ。
だいたい、たかが労働組合が教育を牛耳れるというのが異常なんじゃないだろうか。少なくとも、私たちが選挙で選んだ国会で決められる法律や、その国会で選ばれた内閣による行政に、私たちが選んだわけではない教師が反対することが正しいというのは、民主主義の否定じゃないのか? しかもその手段もしばしば非民主的だ。(ここで私が民主主義と言っているのは、問題があるというなら国会に出て戦えと言いいたいのであり、非民主的と言っているのは、声が大きいほうが正義とばかりに叫んだり、教師の権威において子供たちを洗脳したり、授業をサボタージュしてデモや日教組の活動をしておきながら勤務時間に付けるなどという不正をしたりなどという、「目的のためなら手段は正当化される」という姿勢のことを言いたいのです)
ガンという中山発言は、至極妥当だと思う。
ただ、発言するべき時と場所を選びきれなかったのは、言っていることが正しいだけに残念だと思う。