布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

みどりの日

2005-04-29 20:00:07 | 日本
昔は「(昭和)天皇誕生日」
現在は「みどりの日」
平成19年からは「昭和の日」?

4/29を「昭和の日」とする法案が4/5に衆院を通過している。この法案の提出はこれで3回目で、過去2回は衆院解散により廃案となっている。
ことに平成12年の1回目の提出の際は、森喜朗首相(当時)のいわゆる「神の国」発言問題で衆院解散となっての廃案だった。


何しろ生まれてから大学の途中まで昭和時代を生きたので、昭和に愛着はあるのだけど、正直言って今さら「昭和の日」とする必要性がわからない。
昭和天皇が亡くなった時点で、「みどりの日」ではなく「昭和の日」となっていたら、何の抵抗も感じなかったと思うんだけどね。

「昭和の日」推進ネットのサイトでは
趣旨としてはおよそ「昭和天皇を偲ぶとともに、昭和の苦難とともに、昭和の苦難と復興をかへりみ、国の将来に思いをいたす」といった内容を提案します。
としている。

まず万世一系の歴代天皇のうち昭和天皇についてだけ「偲ぶ」日を作る理由がわからない。(ちなみに2月11日は神武天皇を偲ぶ日ではありません)
日本の近代化は明治天皇の御稜威のもとに進められたのだし、大正デモクラシーという言葉を学校で習うくらいだから日本の民主主義は大正天皇の御世にその萌芽がある。
明治、大正、昭和の時代を経て今の近代日本があるわけで、今上陛下の天皇誕生日をお祝いする12月23日に、三陛下の遺徳を偲びつつ今上陛下の御世が「平らかに成る」ようにと思いをいたすのが一番いいんじゃないだろうか。でなければ、4/29を昭和の日にすると同時に、8月31日を大正の日にして、11月3日を明治の日に変更してほしい。

「昭和の苦難と復興」といって、大変な時代だった、そこから私たちはがんばってきたんだ、これからもがんばっていこう、というのは悪くないけど、「がんばってきた」の結果が現在の破綻直前(経済的にも人道的にも)な日本なわけで。
そんな現状では「国の将来に思いをいたす」というのも付け足しっぽいというか、正直に書くなら「国の将来を憂う」と言うべきなんじゃないだろうか。(「国」「憂」の字を使うとなんか右翼の街宣車に書かれたコピーみたいだけど)

昭和を偲ぶのも、昭和から未来を思うのも、昭和の時代の人間だけでいいと思う。まもなく平成生まれも有権者になろうというこの時、ただでさえ昭和世代を背負っていかなきゃいけない平成世代に、さらに「昭和の苦難と復興」まで背負わせなくてもいいんじゃないかなぁ。

というわけで、「昭和の日」に対しては積極的に反対もしないけれど、積極的に賛成する意義も今のところ見つけられない。
昭和の日ができたら、左翼団体がデモをやれる日が増えて喜びそうだというところだけ、ちょっと引っかかるかも。

木下弘人牧師

2005-04-26 23:50:00 | 聖書
きのした、ではなく、きしたひろと。
職業:牧師。社会福祉家でもあった。福祉施設の充実では全国屈指と言えるだろう千葉県富津市のその福祉は、ドイツから来た「ミッドナイト・ミッション」の宣教師たちと木下先生によって拓かれたものだったと言っていいと思う。

1911年生まれ。2005年4月24日、94歳で天に召される。
今日、前夜式(いわゆるお通夜)に列席させていただきました。

木下先生は日本同盟キリスト教団中野教会の、今から数えて先々々代の牧師。中野教会の主任牧師は、教会付属の上ノ原幼稚園の園長を兼任するので、布忠が幼稚園のときの園長先生でもありした。

といっても、当時の木下先生のことはあまり覚えてないかなぁ。
中野教会の牧師を退かれたあとも名誉牧師として時々は説教に来られたのですが、そのときのことのほうが覚えているかも。
とにかく、「説教するのがとにかく喜び」という感じの説教でした。
身振り手振りが大きく、講壇の左右に歩き回るので、マイクが声を拾えなくて聞こえなくなったりすることもしばしば。

木下師を含めて中野教会の牧師を4代知っているのだけど、この4人の中で一番、子供に聖書のお話しをすることに喜びを感じていると見えたのも木下先生でした。

中野教会の牧師は園長として、上ノ原幼稚園の子供たちにも聖書のお話しをしなければならないわけだけど、小さい子にお話しするというのはかなり難しいものです。
布忠も教会学校で奉仕して、中学高校生のクラス、小学生のクラス、幼稚園児のクラスと経験しましたが、年齢が下がるほど難しかったですね。

木下先生の次の牧師も、幼稚園でお話しする日の前後には毎回「難しい」と言っていました。

その次の牧師も、幼稚園でのメッセージが近づくと、祈祷会で必ず祈祷課題に上げられていました。この方は論理を緻密に積み重ねるタイプだったから、その分、子供相手は苦心されたんじゃないかなぁ。私はこの先生の説教は波長が合ったんだけど。

今の牧師は、教員資格を持っているそうだから、前の二人ほどではないかもしれない(苦心しなかったということもないかもしれないけど)。
けれど木下先生はかなわないと思う。それくらい木下先生は、まるで「私は子供たちにイエス様を伝えるために牧師になったんだ」とでもいうかのように、ニッコニコしながら夢中になって話していた。

そう、いつもニコニコしている先生だったんだ。それも、子供たちに負けないくらい元気なおじいさんのニコニコだから、見てるだけでもパワーをくれる人だった。
元気ということでは、福祉施設「望みの門」の責任者として活躍していたときも「ここの特別養護老人ホームの入居者には、私より若い人がたくさんいる」と言っていた。
まさに八面六臂のパワフルさ。で、その八面ともがニコニコというわけ。

笑顔というのは案外クセモノで、常に笑顔の人だと逆に「腹が見えない」なんて思わされたりもする。でも木下先生のニコニコにはまったくそういうところがなかった。

さすがにお年を召されてからは、体も少しずつ弱くなっていたようで、富津教会でお会いするたびに(富津教会には先代牧師の頃までは、ときどき礼拝に出席させていただいていた)、「さすがに昔のような元気はないかなぁ」と思ったりしたけど、今年2月で94歳だったっていうから、それにしてはやっぱり元気な人だったのだろう。

今は天国で、イエス様のそばであのこぼれるような笑顔(本当にこの表現が似合う人だった)でイエス様を賛美しているだろうと思う。

ポール牧さん、自殺?

2005-04-22 12:31:43 | ニュース
ポール牧さんが亡くなった。マンションから飛び降りたらしい。
元X JAPANのhideの時以来の「この人だけは自殺はあり得ないと思っていた」な衝撃。

ポールさんの著書「指パッチン人生論」(世界文化社、2000年)を読んで、「このお坊さんはすごい」「この人の『布施の心』を、すべてのクリスチャンに知ってほしい」と思わされた。とおり一変の「下積み」という言葉では言い表せないところを通ってきて人だとも思った。(その時の感想はこちら

もっとも、あの本の後、いろいろなことがあったらしい。マスコミでは「週刊誌にセクハラ事件が載って以来、仕事が減っていた」だの「長い芸人生活を支えてきた奥さんとこの年齢になって離婚して、相当落ち込んでいた」だのと騒いでいる。「お寺を建立したときの出資者とのトラブル」とまで言うのがいる。

遺書が見つかっていないので、この結末を選んだ本当の理由はわからない。思い余って衝動的にマンションから、ということのようだ。
他人だから言えるのかもしれないけど、「ここまでがんばってきたのに」と思う。今どんなにつらい時期だったかわからないけれど、それを突破すればまた「人生論」に深みが増したことだろうに。

だからキリスト教はやめられない

2005-04-13 23:46:08 | 教会
東京チャペルの水曜集会に出席。牧師が渡米中(アルファコースのカンファレンスのためだそうだ)ということもあり、坂井も含めて4人だけの出席。
だけどかえって、よい時間になったような。

いつもだと、教会用語でいう「わかちあい」の時間がどうしても短くなってしまう。
ことにアルファコースだと、ニッキーのトークのあとにディスカッションの時間はあってそれはそれで有益なのだけど、限られた時間の中ではそれぞれの個人的な事柄のわかちあいは、あまりできない。
それが今日はほとんどフルに、わかちあいの時間になった。牧師のメッセージ(録音による)の時間もあったけど、賛美もせずに、「主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか」をわかちあうことができた。(MAR5:15)


特にIさんの近況には感動した。

Iさんはこの冬から東京チャペルに来ている、少し年配のホームレスの方。(今となっては「元ホームレス」と言わなければいけないが)
仕事を探していたのだけど、年齢の問題に加えて住所不定というのはなかなか雇ってもらえないとか、血圧が200を超える健康のこととか、たいへんな状況にあることは以前から聞いていて、Iさんのためにとりなす祈りがずっと捧げられてきた。

それが、今日聞いたら就職できたのだそうだ。しかもなんと住み込みで、職と住が一度に与えられてしまった。
Iさん自身も以前から「住み込みの仕事が一番なんだけどな」と言っていたのだけど、本当にそうなってしまった。
さらに、病院(わりあい名の知れた大きな病院)に行ってみたら、血圧が150前後まで下がっていたとのこと。

人によっては、「偶然」とか「たまたま」というかもしれない。だけどその偶然が、必要なときに適切におきることが奇跡なんだ。
こういうことが本当にあるから、キリスト教はやめられない。


ところで、Iさんを診察したえらい医者は、彼の健康状態の劇的な好転に「何かあったんですか」と聞いてきたそうだ。
それでIさんは、教会に行くようになったことと、祈りのこととを答えたそうだ。
そしたら医者は「それを続けなさい」と言ったとのこと。

たぶんその医者は「キリストの名による力」というものは理解できなかったのだろう。あるいは偽薬効果のようなものと思ったかも。
だけど、よい結果が出ているという『事実』だけはありのままに受け止め、そして「このまま教会を続けなさい」というもっとも適切な指示を与えたわけだ。

実際のところ、人間にとってこれ以上に適切な指示はない。しかもその指示は宗教的見地からではなく、科学的見地からのものだった。
まったく、これだからキリスト教はやめられない。

前略、伊良部秀輝さま。

2005-04-13 13:04:40 | ニュース
ホームページを拝見しましたが、とうとう引退を表明されたとのこと。陰ながら見守ってきた私も寂しさを感じています。

思えば、野球にまったく興味のなかった私をこの世界に注目させたのは、あなたでした。
同僚に連れて行かれた川崎劇場。あなたが一球投げるごとに周囲の観客がスコアボードを振り返るのが不思議でしたが、それが球速表示を見るためだと聞かされて、いつの間にか私もあなたの一球から目を離せなくなりました。

あれからいろいろなことがありましたね。ロッテは千葉に移転し、チーム名も「オリオンズ」ではなくなりました。
失礼ながらあなたにはあまり似合わなかったピンクのユニフォームを着せられていましたね。もしやあれで、ヤンキースの縦ストのユニフォームへの思いをさらに強くされたのではないでしょうか。

あなたの渡米後、日本ではあなたの成績よりも、あなたのまつわるトラブルばかりがおもしろおかしく報道されました。
確かに一時期は、少し体重が増えすぎていましたね。それも膝への負担を増した原因かと今では思いますが、でもパワー勝負の世界にはあなたの堂々たる体躯こそが映えていたと思います。

帰国後、阪神でのご活躍も見守っていました。私はあいかわらずロッテファンでしたが、私と同じ東北福祉大学出身の矢野に加えて金本も入団し、注目し始めていたところにあなたの入団。俄然、セについては阪神を応援するようになりました。
考えてみるほど、私の野球応援歴におけるあなたの存在は大きいものがあります。
この年、後半は調子を落とされたようですが、序盤から前半にかけてのあなたの勝ち星は、チームを勢いづかせ優勝を意識させるに十分なものだったと思います。

本当にありがとうございました。今はただ、疲れ傷ついた身心を休ませてあげてください。

床下の小人たち

2005-04-12 12:31:06 | 読書
ずっと昔、中学生のときにクラスメートがこの本を読んでいたのを思い出して、図書館で探してみた。
大人になってから児童書を読むというのも当たりはずれがあるけれど、これは「冒険者たち」以来の当たりでした。

おばあちゃんが、弟から聞いた話として物語る、弟が住んでいた家の床下にいた、「借り暮らし」する小人たちの話し。
弟と小人たちの交流。しかし小人たちがおとなに見つかってしまって…。
これだけだと、今では「ファンタジーものにありがち」ということになるけれど、小人の少女が書いていた日記についておばあちゃんが語るオチで「やられたぁ。と思ったけど、え?」なのです。

これで完結していい、真相は読者に好きに想像させてほしい、と思ったけどシリーズとして何冊かでているとのこと。次も読まねば。

原題:The Borrowers(借りる者たち)
原著出版:1953年
カーネギー賞、ルイス・キャロル・シェルフ賞、アメリカ図書館協会賞を受賞

マタイ28章9節

2005-04-10 20:29:59 | 聖書
千葉バプテスト教会に出席。
説教は調牧師。最近、説教が短めなんだけど、なんかけっこうグッとくるところがあって、先週の「ダメな者から救われるんです」というひとことにもなんかすごく感動した。それはすでに知っているはずのことだったのだけど、あらためてグッと来た。

で、今週はこのマタイ28章から。特に9節について「弱々しく力ない足取りの先に主が立っていてくださる」という一言で、ああ今日は本当に恵まれたなぁと。

今週はまた子供メッセージを担当。今までの反省も含めて自分なりに気合を入れなおして準備したのだけど、準備しすぎて話がふくらみすぎて、絞り込む段階でまたへろへろになってしまった。難しい。

入学式と日の丸

2005-04-06 20:45:28 | 日本
長男の入学式。東京でも桜が満開になったそうだけど、内房でも朝にはちらほら咲いていたのが、帰る頃にはほぼ満開。
しかし落ち着きがないと思っていた長男が、いつのまにかイッチョマエの小学生顔になっている。

入学式で、久しぶりに君が代を斉唱。講壇上の国旗を仰ぎながら国家を斉唱すると、「自分は日本人だなぁ」という思いが新たになって、ますます日本のリバイバルのために祈ろうという気になる。
うろおぼえだけど、小学生か中学生の時の教科書に、韓国の民主化を求めて国旗をかかげてデモ更新する写真が載っていて、「愛国」と「反政府」は対立する概念ではないというような説明がついていたのを見た記憶がある。当時は理解していなかったと思うけれど、今はまったく同意。
旗日に日の丸を揚げたいなぁ。嫁さんと相談しよ。

聖書の中の「太陽」

2005-04-04 20:04:08 | 聖書
マタイ5:45に「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」とある。
教会での子供メッセージ奉仕の都合でここを読んでいて、聖書の中で太陽がどのように扱われているかを調べてみようと思った。

新共同訳聖書(続編を除く)の場合、「太陽」は旧約に87回、新約に23回、計110回登場する。
そのほとんどは、太陽そのものの描写だ。一部、エジプトの太陽神についての記述もある。

そんな中で目に付くのは、太陽は、災いをもたらすもの、恐ろしいものとしている箇所だ。

ヨブ8:16「水があれば葦は太陽にも負けず」(つまり水がないと太陽は葦を枯らす)
詩篇121:6「昼、太陽はあなたを撃つことがなく」(でなければ太陽はあなたを撃つ)
イザヤ49:10「太陽も熱風も彼らを打つことはない。」(でなければ太陽と熱風が彼らを打つ)
ヨナ4:8「太陽もヨナの頭上に照りつけたので、」
その他、黙示録1:16、7:16、16:8。


使徒26:13など、太陽を「輝くもの」として比喩的に使っているところも多い。
コヘレト11:7のように、太陽そのものを「喜ばせるもの」としているところもある。
太陽を神との関係で語るところも多い。詩篇19:4,5、同84:11、マラキ4:2など。

しかし、太陽そのものの「作用」ということでは、前述の通り葦を負かそうとしたり、人を撃ったり、照りつけたりというネガティブな文脈が少なくない。
一方で、私が読んだ限りの話しだけど、ポジティブな文脈のものは、2サムエル23:4「太陽の輝き出る朝の光 雲もない朝の光 雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光。」という一箇所しか見つからない。

どうも、日本人の持つ太陽のイメージとはかなり異なるようで、太陽について思い込みを持って聖書を読むと、文脈を間違えるのではないだろうか。
2サムエル23:4は確かに、日本人のイメージにあうけど、多数決なら「その他の少数意見」ってところだ。

以前にどこかで聞いたか読んだかしたのだけど、イスラエルでは旅をする時には夜に移動するものだったという。昼間は太陽が「あなたを撃つ」ほどに照りつけてくるからというのだ。たとえば詩篇119:105は、昼間に移動する旅のことを言っているとは思えない。
けれど日本人の感覚では、夜中に旅をするのは「おてんと様の下は歩けない」という事情がある場合だけということになるだろう。

名越二荒之助が著書「新世紀の宝庫・日本」で指摘しているところでは、中東など乾燥した国には国旗に緑色を使うところが多いが、植物の緑があふれるのが彼らの理想だからだろうとのことだ。
そういう国の人には、太陽をシンボライズした日本の国旗に(反日諸国とは違う意味で)不快感を持つケースもあるそうで、それくらい太陽というのは「おびやかす存在」なのだと。
(ちなみに同著は、それに比べれば私たちの国土はなんと恵まれているか、という文脈だ。為念)


こうなると、マタイ5:45はどう読むべきだろうか。
日本人の感覚では、神は悪人(正しくない者)にも善人(正しい者)にも等しく「太陽と雨の恵みを与える」と読んでしまう。
しかし上記を踏まえるならここは、神は悪人にも善人にも等しく「苦難を与える」し、正しい者にも正しくない者にも等しく「恵みを与える」と読むべきということにならないだろうか。
だとすれば、ヨブがいうところの「幸いを受けるのだから不幸も受けよう」というのが、マタイ5:45を読む上での適切ということになるのかもしれない。

ただし、雨についても、イザヤ18:4では「暑い刈り入れ時を脅かす雨雲のように。」という表現はあるのだけど。

(2005-4-8にちょっとUPDATE)

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が死去

2005-04-04 12:34:56 | 教会
プロテスタントでは「召天」(天に召される)と言いますが、カトリックでは「帰天」(天に帰る)と言うようです。
英語読みすれば「ジョン・ポール・セカンド」、教皇になる前の名前で「カロル・ヨゼフ・ヴォイティワ」さんが、お亡くなりになりました。

ちなみに以前は「法王」とも呼ばれましたが、ヨハネ・パウロ2世の来日(1981)を機に「ローマ教皇」で統一されたそうです。(知らんかった)

私などはカトリックに対しては批判せざるをえない部分もあるし(プロテスタント系に対しても批判せざるをえない部分もあるのだけど。むしろカトリックには敬意を表すべき部分も多い)、進化論を容認するなど首をかしげざるをえないこともあった。「万民祭司」派としてはそもそも教皇という位そのものに対して疑問を持つ。
だけど、「一人の、キリストにある者」として彼を見た場合、やはりその功績の大きさのほうに目をとめたい。

ことに、プロテスタントとのエキュメニカルのみならず、ユダヤ教との対話や、十字軍に関するイスラム教への反省表明などの、キリスト教の「イエスの御心ではないとしか言えない」歴史に対して真摯に取り組み行動してきた足跡、また「空飛ぶ教皇」と呼ばれるほどの精力的な諸国訪問などの実は決して小さくないのだろうと思う。

それ以上に、全カトリック教徒の信仰をささえ、それらを含むすべての人々や国々のためにとりなしを祈ってきた信仰者としてのあり方。

ある個人が救われたかどうか、天国に迎えられたかどうかは、主だけが言及できることで、人の身に過ぎない私などが「誰々は天国に行った」などと言っていいはずはない。
だけど、きっとヨハネ・パウロ2世は、今ごろ天において、主から「よくやった、よい忠実なしもべよ」とのおことばをいただいているだろうと思う。


ところで後継教皇について、投票権を持つ80歳未満の枢機卿(117人)で構成されるコンクラーベと呼ばれる教皇選挙会で互選されるそうだ。
この117人のうち、アジアからは11人、うち日本からは2人。そのうちの1人、濱尾文郎枢機卿は、元の東宮侍従だった濱尾実さんの実の兄弟なのだそうです。
もうひとりは前の東京大司教の白柳誠一枢機卿。

コンクラーベは教皇の帰天後、15~20日以内に、システィーナ礼拝堂で開かれるそうです。

校長が「がまの油売り」で不祥事

2005-04-01 13:02:39 | ニュース
東京都町田市の小学校で、校長先生が模造刀をふるって「がまの油売り」の演技を児童の前でやったことが、不祥事なのだそうだ。教職員や保護者から「模造刀とはいえ、刃物を使うのは好ましくない」などと批判の声が上がり、市教委が事実関係を調べていたとか。

どうしてこれが不祥事なのかわからない。どうして模造刀を使うのが好ましくなくて批判されるのかわからない。

同校では、長崎県佐世保市で小6女児が級友を殺して以来、児童のカッターナイフ持込を禁じていたそうだ。
模造刀さえだめということは、一切の刃物はダメなんだろうね。
きっと家庭科の調理実習でも刃物を使わせず、カット済み野菜のパックを手で開けるだけとか。包丁などは「お子様の手の届かないところ」に施錠管理していることだろうね。
まして技術科でノコギリやノミなんか持たせないんだろうな。

きっと他の教師も一切の刃物の持込を自粛しているんだろうなぁ。たいへんだね。