布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

がんばれ朝山下 秋場所の番付って

2008-07-31 07:21:26 | 相撲
番付編成会議が行われ、秋場所の新十両が発表された、という報道を見て「序ノ口の朝山下はどうなったんだろう」といろいろググッてみたけど、情報がない?

wikiなど見てみてようやくわかったのは。。。
翌場所の番付編成会議は今場所終了後三日以内(通例、千秋楽の臭の水曜)に開かれること。
その発表は原則、翌場所初日の13日前の月曜であること(初場所はもっと早まる)。
ただし新十両の場合は、十両以上と幕下では待遇がまったく違うことや、化粧廻しを新調しなきゃならないことなどから、決まり次第に発表されるということ。(他に横綱・大関には昇進伝達式が行われる)

これくらいのこと、相撲ファンなら知ってるんだろうなぁ。私がどれだけにわかファンかってことか。

とにかく、序ノ口の朝山下に関しては、秋場所初日が9月14日だから9月1日に番付が発表されると。
「一枚違えば家来同然」と言われる番付表、一枚でも上に行ってほしいなぁ

がんばれ朝山下(名古屋場所)

2008-07-29 07:26:59 | 相撲
10日目は、大島部屋の旭真桜(西序32)に掬い投げで破れ、2連敗で2勝3敗と黒星先行。

11日目は番付が一つだけ下の、芝田山部屋の勇斗山(東序38)。両者とも2勝3敗、勝ったほうが星を五分に戻す一番。朝山下としては縁起よく、序ノ口最初の取組に西方からの登場。が!寄り切られて3連敗。

千秋楽は玉ノ井部屋の岩淵(東序33)。ともに2勝4敗、ともに中3日で心身充実。番付表では相手が少し上だけど、勝ったのは朝山下でした。上手投げで掴んだ3勝目。負け越したとはいえ、最後に連敗を止めて、はじめて名前が番付表にのった場所を白星で締めくくった。

名古屋場所の朝山下の成績:3勝4敗。
自分(西序38)より上位の相手との戦績:1勝4敗、
自分より下位の相手との戦績:2勝0敗
東から土俵にあがった場合の成績:1勝2敗
西から土俵にあがった場合の成績:2勝2敗

対戦相手7人の今場所の成績合計:23勝27敗
うち、朝山下が勝った相手(3人):5勝16敗
うち、朝山下が負けた相手(4人):18勝11敗
つまり、朝山下が勝った相手は他の人にも負けている、朝山下が負けた相手は他の人にも勝っている、という状況。特に先場所も今場所も最初に当たって黒星を喫した大木下は、今場所は6勝1敗だもの。

序ノ口での通算成績:3勝4敗
今年の通算成績:4勝7敗
初土俵からの通算成績:4勝7敗


ちなみに朝山下と同門同期の朝高橋は、今場所は1勝6敗でした。
(私は少なくとも今のところは、高砂部屋を応援しているというわけではなくて、マスコミが一瞬だけ(しかも相撲本来のことではない話題性で)注目した朝山下を追いかけてみたいという関心なのだけど(そのわりには早くも朝山下に入れ込み始めているけどね)、朝山下を見ているとやはり対戦相手の序ノ口下位の力士たちも気になるし、同期の朝高橋だって気になるのさ。)


さて、朝山下。来場所の番付はどうなるのだろう。とにかく素人なもので、「勝ち越せば番付上がるんだろうな、負け越したら下がるんだろうな」くらいの認識しかないのだけど。何しろ今場所が番付表の一番下の方だし、朝山下よりも星勘定のよくない力士が何人かいるし、負け越したとはいってもこれ以上は下がらないんじゃないかな、むしろ少し上がるんじゃないかしらん?

「皇太子」って、呼び捨て?

2008-07-22 01:44:33 | ニュース
最近、あまりニュースを見ないので、今頃知ったのだけど。
東京五輪誘致に関して石原都知事が皇太子を担ぎ出そうとして、「皇太子」と呼び捨てにしたのが問題になったとか。

「皇太子」はこれだけでも尊称だから、呼び捨てではないと思うのですが。「皇太子殿下」「皇太子様」が定着してるから、「社長様」「先生様」ほど違和感ないだけで。
「天皇」もそうですよね。「天皇陛下」で間違ってはいないけど、「天皇」だけでも尊称のはず。
「皇太子」が呼び捨てだと思ってる人は、「皇太子」が名前だと思ってるんじゃないのかな。「皇太子だなんて呼び捨てだ」という人に、皇太子の名前を知ってるか聞いてみたい。

もっとも、石原都知事がそこまでわかって言ってるかはしらないけど。「五輪は国事」だとか言ってるらしいけど、そうだとしても少なくとも「五輪招致」は国事じゃないし。
だいたいが、北京でやってすぐまた東アジアに招致できる可能性は低い。ハンドボールの件でアラブのボスが敵に回ってるから中東の票が期待できないこともあって、勝ち目は限りなく薄い。万端整えた上でお出まし願うっていうならともかく、皇室に営業マンやってもらおうなんて考えは、いまどき不敬なんて言葉は使いたくないけど、不遜もはなはだしいと思う(誘致に失敗したら皇太子のせいにでもするつもりか、少なくとも「皇室が前面に出てもダメだったから」と言い訳するためにしか思えないのだけど)。

話を戻すけど、あれだね、マスコミも「様」をつけりゃ済むとしか思ってないで、もうちょっと言葉を勉強したほうがいいね。
愛子殿下がお生まれの時は滑稽だったもんね。私が当時書いたものがこちらの一番下に残ってるけど、商店街に「内親王殿下ご誕生」とか張り出してあるのに、それを伝えるレポーターは「女のお子様」とかいってた。マスコミの語彙は市井の商売人に劣るんだなと思ったものだ。
秋篠宮家に親王が生まれたときも「親王」じゃなくて「男のお子様」。「子」に「お」をつけて「様」までつけるくらいなら「親王」って言葉を使えるようになりなよ。

ついでに言うと、「雅子妃殿下」というのはおかしいと思う。「皇太子妃雅子殿下」なら「皇太子の妃である雅子」に「殿下」と敬称をつけてるのだろうけれど、「雅子妃殿下」だと「雅子の妃である殿下」になってしまう???
「雅子」に敬称として「妃殿下」としているつもりかもしれないけど、少なくとも日本の皇室には「妃殿下」という敬称はありません(国語辞典には載っているけど)。現行法では天皇,皇后,太皇太后,皇太后の敬称は「陛下」で、そのほかの皇族は「殿下」となっています(皇室典範第23条)。
だから敬称をお付けするなら「皇太子妃殿下」あるいは「雅子殿下」が正しいはず。

電車内での化粧

2008-07-22 01:17:16 | ニュース
前々から「電車内で化粧するのはマナー違反」という話しを聞くたびに、そんなのマナー違反でもなんでもないだろ、と思ってました。

マナーというなら、電車内でガムをクッチャクッチャやってるヤツのほうがよっぽどマナー違反だと思う。「物をかむときは唇を閉じなさい」ってママにしつけてもらえなかったのかい?などとイヤミの一つでも言ってやりたい。はっきりいって、気分が悪くなる。それに比べたら電車内で化粧なんて、実害はないし。

たぶん、電車内で化粧するくらいの若い女性は知らないだろうけど、私が子供の頃は、電車内でオッパイ出して授乳しているお母さんが普通にいたものですよ。子供心にも、目のやり場に困ったものです。それに比べたら、電車内で化粧なんて迷惑でもなんでもない。

隣の席でゴソゴソやられて、肘で小突かれるのはイヤですよ。でもそれだったら、新聞や雑誌を読んでる人(たいてい男性)からの被害の方が機会は多いんですけど。(これに比べると、腋を締めてポータブルゲームやってる若い人には好感さえ感じます。)

「口紅とか付けられたら」って心配もあるけど、それ言ったら、座ってる時に隣で口紅を持ってる女性より、立ってる時に背後にいる女性の顔面のほうが危険(ノーメイクの人を除く)。
それ以上に、席に座ってビール缶を片手に眠りこけてる人(たいていオジサン)の方が怖い。いつ落として、こっちにハネを飛ばすかって。

他にも、かなり混んでる車内で「どうしてそこまでして新聞読みたい?」と言いたくなる人(たいてい男性)とか、子供も乗るような電車内でスポーツ新聞のエロページを広げてるヤツのほうがよっぽどマナー違反なんじゃないか?

…と、思ってたんですけどね。

YOMIURI ONLINEによると、地下鉄丸ノ内線で「車内でシンナーのようなにおいがする」と車掌に通報があり、計700人の乗客が非難する騒ぎになって、原因は不明だけど地下鉄の車内でマニキュアを塗っていた女性客が目撃されていたとのこと。
マニキュアで異臭!?地下鉄丸ノ内線の乗客700人下車

これは、車内での化粧がマナー違反かどうかという以前に、想像力のカケラもない阿呆としか。。。

これも若い人は知らないだろうし、想像もつかないのではと思うけど。
昔はJR(当時は国鉄)の駅では、ホームの柱ごとに灰皿があって、ホームのどこにでも煙草を吸ってる人がいるってのが、普通の光景でした。
それだけ灰皿があっても、ホームから見おろすと、線路の間は投げ捨てられた吸殻でいっぱいだったものです。今ではホームの片隅の喫煙コーナーに追いやられ、喫煙コーナーさえ撤去が進んでいますが、嫌煙権のために運動した人たちの熱心もあるけど、喫煙者自身の傍若無人さが、自分たちを片隅に追いやることになったんじゃないかという気がすごくします。
迷惑をかけないなら何をしてもいいとは思いませんが、実害がなきゃ化粧くらい(他に実害があることを平気でやってる人たちに比べたら)いいじゃないかと思います。でもシンナー臭は実害ですよ。そしてそういう人がごく少数でもいると、「化粧はマナー問題以前に実害の問題」ってことになっていくのではと思う。

名古屋場所の朝山下

2008-07-22 00:44:07 | 相撲
6日目から朝青龍が休場となり、少々さびしい高砂部屋。
それはそれとして、当ブログ注目の「元ホスト力士高砂部屋の朝山下は、この名古屋場所から番付表に名前が載ってがんばっています。
序ノ口の西38枚目だから下から4番目だけど(今場所は東が40まで、西が39まで)、名古屋場所は中日までで4度登場し、2勝2敗とねばっています。

初登場となった2日目は、最初の取組に東方から登場。相手は九重部屋の大木下(西序37)。先場所の前相撲、朝山下のプロ初土俵で、秒殺で黒星をくらった相手です。しかしリベンジはならず、寄り切られて黒星スタート。

4日目も最初の取組で、西方から土俵入り。相手は芝田山の田島あらため大誠心(東序40)。先場所の前相撲で朝山下がプロ初白星をあげた相手ですが、叩き込みで序ノ口初白星です。

続く5日目も最初の取組で西方。相手は八角部屋の佐久間(西序39)。寄り切って連勝し白星先行

中2日の8日目、西方から3番手の登場で九重部屋の長倉(東序37)の下手投げに黒星を喫し2勝2敗の五分

あくまでも今のところですが、
九重部屋は苦手。(0勝2敗)
「その日最初の土俵」に西方から上がると勝率100%。(2勝0敗)
番付通りの成績(序ノ口で東37枚目と西37枚目に負け、西39枚目と東40枚目に勝ち)。

ところで上述のとおり、vs大木下、vs大誠心(田島)とも、先場所の前相撲と同じ結果になりました。(前相撲では1勝3敗でしたが、あとの2人が誰だったのかわかりません。)
まだプロ人生は始まったばかり、発展の緒についたばかりですから、相性をうんぬん言うのは早すぎでしょうか。

死んだペットと天国で会えるの?

2008-07-11 07:11:18 | 聖書
かなり前のことだけど、教会学校に来ていた中学生に、死んだペットに天国で会えるのかと質問されたことがあります。
今朝、身内が長く飼っていた犬が死んだとの連絡があって、上の問いともう一度むきあわなきゃと思いました。
このテーマにはたぶん神学的な議論がある程度なされていると思うのですが、ここではあくまで「私の聖書理解」として書きます。

まず、聖書は「生きている人が、生きているうちに、イエスをキリストであると信じるためのもの」であるということなのか、動物が死んだあとのことはぜんぜん書いてない(少なくとも私は見つけていない)です。だいたい、人間が死んだあとのことも、ほとんど書かれていません。
ただしこれは、「動物は天国に行けない」とも明確には書かれてはいない、ということでもあります。

で、じゃあどっちなの?ということですが。
今の時点での私の結論としては、どっちだかわかりません。わからないということは、「愛するペットと天国で再会できるように」と祈るのは、神様の心に反する祈りとはいえない、ということだと思います。だったら、そう祈っていいはずだし、「祈ってよいこと」というのは「積極的に祈るべきこと」です。そして聖書には、イエスの名で祈ったことはすでにかなえられたと信じなさい、とも書かれています。

動物は天国には入れないと考えるとしたら、その根拠はなんでしょうか。
これは坂井がかってに推測することですが、動物が天国に入れないと考えるならその理由の一つは次のようなものでしょうか。
「天国に入るためには、罪をゆるされなければならない」
→「罪をゆるされるただ一つの方法は、『イエス様の十字架は、私を罪から救うためだった』ということを、心で信じ、口で言いあらわすこと」
→「動物はイエスを信じることも、信仰を言い表すこともできないから、罪をゆるされて天国に入ることはない」

でもよく考えると、動物は罪を犯してはいないですよね。肉食動物が生きるために草食動物の命を奪うのは、殺人とは違います。
ノアの洪水のときには動物たちも(箱舟に乗ったオスメスのペア以外は)しに増したけど、それだって動物が人間と一緒になって罪を犯したわけではなくて、人間が罪を犯したので、人間とともに、人間の支配下にある動物たちも死ぬことになったわけです。(経営陣の違法行為が裁かれて倒産し、違法行為を犯してもいない末端の社員も失業した、というようなものでしょうか。ちょっと無理があるたとえかな。)

それとも「人に罪が入ったために、この世そのものが罪に定められたので、動物も救われる必要がある」ということでしょうか。
だとしても、動物たちがイエスを信じていないとか、動物たちが信仰を告白していないなどとは、言えないと思います。
たとえば、イエスは「人が賛美の声を黙らされるなら、代わりに道ばたの石が(賛美を)叫ぶ」と言っています。無生物である石が神を賛美できるのなら、まして動物が信仰を告白できないはずがありません。石も動物も、今は人間の言葉を使わないというだけでしょう。聖書には、神がロバの口を開かせるとロバが人間語をしゃべったという記録が実際にあるのです(民数記22章22)。

「動物は天国に行けない」という考えの理由になりそうな聖書箇所は、他にもあります。
パウロは、人間は霊と魂と体から成ると書いています(第一テサロニケ5章23)。坂井は、霊と魂がどうちがうのか(何度教えてもらってもいまだに)よくわかっていないのですが、とりあえず霊については、創造の時に他の動物と違って人間(アダム)だけが、鼻に「命の息(霊と同じ言葉)」を吹き入れられて「生きるものとなった」と書かれています(創世記2章7)。
たぶん、「霊を持っているのは人間だけだ」
→「復活とは、死んで体から離れた霊が、新しい体を与えられてよみがえることだ」
→「霊を持っていない動物は復活することはなく、死んで体が朽ちることで全存在が無になる」
ということでしょうか。

しかし本当に動物には霊がないのでしょうか。
実は今「命の息」を聖書ソフトで検索してはじめて気づいたのですが、創世記7章22に「乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるもの」とあります。前後(7章21~23)で見ると、これは人間だけでなくすべての生き物(少なくとも陸上生物)についてのことと理解できる文章です。
それに、「生きている人間」と「人間の死体」の違いが「霊と魂と体が一つになっているか、離れてしまったか」にあるなら、動物には霊がないとしたら「生きている動物」と「動物の死体」の違いは何もないということになってしまいますものね。つまり「生きている動物」というのは「動物の死体が動き回っている」というのと同じということになってしまう。
あるいは、「人間は霊と魂と体(物質)だけど、動物は体(物質)だけ」というのであれば、動物を愛するというのは、命のないモノ(宝石とか家屋敷とか)を愛するのと変わらないことになってしまう。

何かおかしいですよね。
仮説を立て、その仮説にそって論説を組み立てた結果がおかしくなったとしたら、話の組み立て方がおかしいか、仮説自体がおかしいか、どちらかでしょう。「動物には霊がない」「死とは、体と霊が離れたことをいう」のどちらか、あるいは両方が間違っているのではないでしょうか。

もう一度、なぜ人は死ぬのか、なぜ救われたら「永遠の命」に入れるのか、このあたりを考えて見ます。
一人の人(アダム)によって世に罪が入り、そのために人は死ぬことになり、人の支配下にある動物も死ぬことになったのだとすると。
一人の人(キリスト)によって救いが世にあらわされ、そのために人が永遠の命に与るようになった時、人の支配下にある動物も永遠の命に与るようになったはずではないでしょうか。
(このあたり、ローマの信徒への手紙5章12,15,19あたりを参照。)

最初に書いたとおり、以上のことは坂井の聖書理解でしかありません。
「動物は天国に行けない」の根拠についても「こういう解釈をしてそういう結論を出しているんじゃないかなぁ」と想像で言っているだけなので、いずれちゃんとそうした意見(「動物は天国に行けない」の神学的根拠)について勉強した上でもう一度この問題に取り組みたいと思います。

2か月ぶりでメルマガを配信

2008-07-04 09:51:55 | 日記
メルマガ「聖書を読んでみよう」、前回の配信から2か月ぶりで士師記の第10回を配信。

何事に対しても前向きな気持ちになれない精神状態がこのところ続いてるなと思う。
もともとグウタラな性格だけど、好きだったことや、やりたくてやってたことまでそんな調子。
春から通勤が片道2時間overになったせいだろうか。(2時間を1分でも切るのと1分でも超えるのとでは、気持ち的に何かが違う気がする。)

ま、とにかく、メルマガについては現在約1900人の読者がいるわけで(読者アドレス数なので、実際にはもう少し少ないかも)、私の拙文駄文をじゃなくて聖書の話を待ってくれてる人がこれだけいるわけで。士師記なんて長くはないのだし、頑張っていこう。