布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

アルファ・ウィークエンド

2005-06-19 20:55:17 | 聖書
東京チャペルでやっているアルファコースで、聖霊について集中して学ぶアルファウィークエンドに参加。

いろいろ収穫が大きかったけど、とくに大きかったのは、「『三位一体』というけど、どうも自分が思っていたよりかなり『一体』らしいぞ」ということだった。以下、コースで学んだことや、牧師や他の参加者とのやりとりなどから得られた、現在の自分の理解をメモしておく。

たとえばイエスが洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた場面も、父と子と聖霊が一堂に会したというふうにしか見ていなかった。聖霊がイエスにくだったというのも、いわば"on"であって"in"とは思っていなかった。けれどすぐあとで、イエスが聖霊に満たされたとあるじゃないか。これは明らかに"in"だ。

-第三位格と第二位格が"in"って、どういうことだ?
-それが「一体」ということなのだよ。

そうすると、万物は御子によって創造されたというのも、理解がかわってくる。
父が子とともに、つまり"with"で創造をおこなったと思っていたのだけど、これも"in"なんじゃないか?

-父と子が"in"って、どっちがどっちの「中に」なんだ?
-どっちがというのではなく、まったく対等で一体なのだよ。
-そこまで三位が一体だとすると、今までヤハウェ(ヤーウェ、エホバ)は「父」の名だと思っていたけど、あるいは「三位一体としての神の名」なんだろうか。
-どちらかというとそうだろう。ヤーウェが「父」の名なら、キリストに向かってハレルヤ(ヤハウェをたたえよ)というのはおかしくなる。
-確かに、イエスも「父」をヤーウェと呼んだことはなかったね。

聖書を読んでみようではヤハウェは「父」の名としていたけど、あちこち直したくなってきたな。


-たとえば「キリストの霊」って出てくるけど、これは受肉の状態を離れて霊の状態になったキリスト?それとも聖霊?
-キリストは肉体を持ったまま昇天したから、「受肉の状態を離れて」というのはおかしいんじゃないか?だからそれは聖霊だろ。
-キリストは今この時にも、肉体(物質)をもったまま、天で神の右にいるということ?
-そうだから、キリストが初穂と呼ばれるんだろう。終わりの時には人も肉体を持って復活し、神の国に入ることになる。


今までの理解がかなりピンボケだったような気がする。
いろいろなことがパッと照らされて示されたような。


聖霊についての集中的な学びの中で、「もしかしたら聖霊のバプテスマを受けちゃうかも?でもって、異言で祈れるようになったりして?」という思いはあった。

結果として、そうはならなかった。けど、それでよかったのかもしれない。
気付かされたのは、私が聖霊を求めるとき、そこに「神がいるなら見せてみろ。そうしたら信じようじゃないか」という思いがあるのではないかということ。いわば「しるしを求める『悪い時代』の一人」だったということ。
主は聖霊を与える代わりに、そのことを気付かせたんじゃないだろうか。

徹底検証●昭和天皇「独白録」

2005-06-17 23:55:00 | 読書
藤原彰,粟屋憲太郎,吉田裕,山田朗
大月書店
ISBN4-272-52022-9
1991年3月20日第1刷発行


ある意味、すごい本だった。読破しようという気にならなかったほど。
書名のとおり、昭和天皇の独白録を徹底検証しようという本なのだが。

たとえば、終戦のいきさつについて。

 天皇が終戦の決意をするのはたいへん遅い時機です。軍事情勢に非常に通じていながら、なかなか戦争をやめるために積極的に行動しません。最終的には、連合軍の本土上陸がせまり、三種の神器の保持があぶなくなったというのが、天皇に終戦決意をさせたたいへん強い理由であるということが、この「独白録」からわかります。

としている。これに関連して脚注にこうある。

「独白録」では終戦の決心をした理由として、次の二つをあげている。

 当時私の決心は第一に、このまゝでは日本民族は亡びて終ふ、私は赤子を保護する事が出来ない。
 第二には国体護持の事で木戸も同意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の圧政下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思つた。

つまり三種の神器の中の、伊勢神宮の八□鏡、熱田神宮の草薙剣を守る見込みが立たなくなったことが、終戦決意をした理由だとしている。


この論理の奇妙なこと。
独白禄の「第一に」を完全に無視し、「第二に」だけを取り上げて、鬼の首を取ったように「天皇は国民のことなど考えていなかった」という論理にしようとしているわけだ。
しかもここだけ読むと、この論者たちは「天皇はもっと早くリーダーシップをとって戦争を終らせるべきだった」と主張しているかのようだが、むしろそうではない。この本全体の論調(といってもなんとか読むことができた何割かの部分だけだが)としては、「明治憲法下では政治に直接介入するべき立場になかったずの天皇が、ここでも直接介入した、あのときも直接介入した」と攻撃しているのだ。

皇室が政治の圏外に超越しているという外見をつくることが、皇室の安泰、国体護持のためには非常にかなめになってくる、そういうことを本人がわかっているふしがあって、そうならないように、なまなましい政治への直接的介入はある程度避けようという政治的配慮がはたらいているのは事実だと思います。



上海事変の際、ソ連を牽制するための抑止力として「兵力の増加を督促」する一方で、「私は威嚇すると同時に平和論を出せと云ふ事を、常に云つてゐたが」との一文を引用しておいて、

ここでは天皇がはっきりと兵力増強をうながして、一撃をあたえるべきだと言っています。拡大派・主戦派の一撃論にかなり近い立場にあったということがわかります。

と、引用したなかの「兵力の増加を督促」の部分だけを、また鬼の首をとったつもりであげつらい、「平和論を出せ」のあたりは無視というか黙殺している。

自分の論に都合のいい部分だけを取り出すのは、左右を問わず政治評論家の、いや、政治だけに限らず「評論家」という生き物の常套手段ではあるが、左翼は特にこの傾向が強いらしいとは以前から思っていた。
論者たち自身「まだ叩けば叩ける」と吐き捨てているし。
むかむかしてきて、とてもこれ以上は読む気になれなかった。

大学野球

2005-06-09 21:18:25 | ニュース
わが東北福祉大学の準々決勝の相手は近畿大学(関西学生野球連盟、2年ぶり24回目出場)。結果は、、、完封サヨナラ負け。

福祉 000 000 000
近畿 000 000 001x

準々決勝は10日の予定だったのが雨が予想されたため9日に、それも経験のない東京ドームでの試合となったというのは、相手も同じ条件。
近畿の先発は、2回戦で札幌を19奪三振完封した大隣。予想通りの投手戦になったわけだけど、福祉大は地元(仙台六大学)ではいつも圧勝してしまうのでこういう展開の経験が少ないというのが敗因なのかなぁ。

大学野球

2005-06-08 22:00:00 | ニュース
大学野球選手権大会の2日目に登場した東北福祉は、白鴎を10-4で破りベストエイト進出。
白鴎が1回戦に続き先制したものの、東北福祉は3回に同点とすると6回以降は毎回得点で圧勝した。
しかし白鴎も8回9回に得点し粘りを見せた。飯原誉士の2本塁打など、初出場ながら臆すことなく敢闘した。

東北福祉の3回戦の相手は、2回戦で札幌を破った近畿(大隣投手は大会新の19奪三振で完封)。投手戦になるか?

第54回全日本学生野球選手権

2005-06-07 23:55:00 | ニュース
今日、開会式が行われ、1回戦が始まった。

東北福祉大学は1回戦をシードされている。2回戦の相手は白鴎大学vs佛教大学の勝者だが、白鴎大学が4-3で勝利。先制し、逆転されたあと再逆転しての、初出場初勝利だった。

浄土宗の佛教大学が勝っていれば、曹洞宗の東北福祉大学と『仏教系大学対決』が2回戦で実現するところだったけど、残念。

サウジアラビアでキリスト教弾圧

2005-06-07 06:25:09 | 教会
世界キリスト教情報のメルマガが、米人権擁護期間「国債キリスト者コンサーン(ICC)の発表として、サウジアラビアで大規模なキリスト教弾圧があったと伝えた。警察と宗教警察との協力により、46人が逮捕されたとの発表(逮捕者100人との報告もあるそうだ)。
グアンタナモ米海軍基地でコーランが冒涜されたという問題への報復ではないかとICCは推測しているという。

このニュースで興味深かったのが、サウジアラビアではイスラム教徒が総人口の97.3%で、キリスト教徒は3.7%でほとんどが外国人とのこと。(人口というのは国籍をもっている人だけでなく、国内にいる人をカウントする)
これだけキリスト教に厳しい国で、キリスト教徒が3.7%もいる!
ちなみに日本では、キリスト教徒は人口の1%に満たないといわれている。イスラム教で「一神教慣れ」しているとはいえ、聖書や十字架を所持しているだけで逮捕され、しかも逮捕されたら拷問も覚悟しなきゃならないサウジアラビアのほうが、日本よりキリスト教が盛んなわけだ。
盛んといっても、教会の数も、印刷される聖書の数も、日本のほうが段違いに多いだろう。がしかし、だ。

日本のキリスト教伝道にはよほどまずいところがある、と考えざるをえないんじゃないだろうか。

ロッテにマジック点灯

2005-06-06 12:47:52 | 聖書
なんとロッテが、昨日でプレイオフへのマジックを点灯させてしまった。
しかもセリーグで首位争いをしている阪神との三連戦で、だ。

しかしいい加減、交流戦が長すぎる。そろそろパリーグ同士の直接対決が見たいし、ソフトバンクのファンだってロッテとの直接対決を見たいんじゃないか?
NFLを見慣れた者には、なんで交流戦を一時期に集中させるのか疑問。

それ以前に「交流戦の順位」というのが謎。
優勝とは直接の関係はないのに。

祈らねば!

2005-06-05 18:50:32 | 日記
今日の日曜日は、重要な祈祷課題が山ほど与えられた。
祈り心の弱い布忠だが、さすがに祈らねば。
ほかにも、仕事もプロジェクトが山場のひとつに差し掛かりつつあるし(しかも布忠が足を引っ張っている部分が小さくない)、知己(クリスチャンでない)で祈りが必要な状況にある人もあるし。
祈らねば!

歌うことの強制

2005-06-04 09:54:43 | 日本
布忠が卒業した大学は仏教系だった。
一年生は座禅の単位が必須だった。確か年に5回の座禅の日のうち、3回以上参禅しないと、単位が取得できなかったと思う。
やってみると座禅というのは案外おもしろかったので、私にとってはこの緩やかな「座禅の強制」はよいものだったけれど。

世には「ミッション系」とよばれる学校がある。聞くところによると、生徒は礼拝に出席しなければならないのだそうだ。神を信じていなくても礼拝をささげさせられるのだろうか。
まだ信じていない者が強制されて賛美を歌う姿を、神は喜ぶだろうか。クリスチャン教員たちはうれしいのだろうか。

賛美は強制ではないというかもしれない。だったら「歌いたくない者は歌わなくていい」とアナウンスしているのだろうか。

君が代を強制されたと訴えるクリスチャンがいる一方で、神をたたえる気持ちがなくても賛美歌を歌うことを強制するクリスチャンがいる。
日の丸に頭をさげることを強制されたというクリスチャンがいる一方で、祈りに対して「アーメン」と肯定することを強制するクリスチャンがいる。

もしミッション系の生徒が「内心の自由のため、賛美歌を拒否する」と言い出したら、クリスチャンたちはどうするのだろう。
国旗国歌は「制度」とはいえるかもしれないが、現代日本において「宗教」ではない(宗教にならないよう監視する必要はある)。客観的に見るなら、明らかに宗教である賛美歌やアーメンを強制するほうが、内心の自由とかいうものにとって悪質なんじゃないだろうか。

私は心から神をたたえる思いで神に向かって賛美の声をあげたい。だからか、神を賛美するということを知らない人が賛美歌を歌っているのを見ると、違和感を感じる。たとえばTMRが聖夜を歌ったり、スターダスト・レビューがアメージング・グレースを歌うのをTVで見たとき。あるいはファッションのようにゴスペルを歌う人たちを見たとき。カラオケで「もろびとこぞりて」を歌う人を見たとき。

そこから信仰につながることもありえるから文句はいわないが、神を賛美する心のある人にだけ、賛美歌を歌ってほしい。同じように、国を愛する心のある人にだけ、国歌を歌ってほしい。
どんなかたちでもどんな歌でも、強制があってはならないと思う。まして「強制するな」といいながら自分たちは強制する、などということは理解に苦しむ。

大学野球

2005-06-03 12:33:00 | ニュース
第54回全日本大学野球選手権大会が、6月7日に開幕する。
わが東北福祉大学はいつもどおり仙台六大学を制し、23年連続23回目の神宮出場。昨年(13年ぶり2度目の優勝)に続く連覇を目指す。

登場は大会二日目となる8日の予定で、相手は白鴎大と佛教大の勝者。曹洞宗(東北福祉)vs浄土宗(佛教大)になったらおもしろいかも。
ちなみに佛教大は京滋大学野球連盟から4年連続14回目、白鴎は関甲新学生野球連盟から初出場。

個人的に宿敵と思っている亜細亜や、少し気になる国際武道大や立命館大は、今年は出てきていない。