布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

富士山はイイ!

2008-01-08 22:05:47 | 日本
正月早々、富士山ていいなぁと思うことが二度あった。

一度目は二日に京葉線の車窓から見た、朝の富士山。
千葉方面から見た雄姿は、晴れ渡った冬の青空を背景に正面から朝の陽を浴びて白く光り輝き、まるで絵葉書のようだった。悠然と構えていて、それでいて精悍でもある。円熟の役者が見栄を切ったかのようなポーズだ。
たとえ近付けばゴミだらけだとしても、この遠景だけで世界遺産ものなんじゃないだろうか。

二度目は六日に木更津の露天風呂から見た、日没間際の富士山。
上空はすでに宵闇で山際だけが夕焼けのオレンジ色という二層の空をバックに、特徴的な三角形の薄紫のシルエットが浮かぶ。ふもとはすでに暗闇の中で、街の灯がきらめく。そこから眼下までは、黒の一歩手前くらいに濃い紺色の海が波打っている。
村下孝造の「この国に生まれてよかった」の世界だ(あの歌には富士山も海もでてこないけど、日本の心象風景を花鳥風月に託した詞が通じるところがあると思う。)
上に書いた朝の富士山の時は「写真の腕があれば」という感じだったけど、この夕暮れの富士山は「絵心があればなぁぁぁ…」と強く思った。自分に絵心がないことがこんなに悔しいのは、人生でたった2回目だってくらい本気で悔しい。

それにしても。クリスチャンにあるまじき表現になるけど、富士山には本当に神々しさを感じる。これはもう否定できない。霊峰とまで呼ばれ、信仰の対象にまでなるのも(さすがに同意はしないけど)気持ちは理解できる。まして全国に、いや海外でも日系人が多いとこだと「なんとか富士」ができるのはよくわかる。
ずいぶん前だけど、新共同訳の翻訳関係者を囲む席で聞いた話。シナイ山だかピスガ山だかを「富士山」と訳す案が検討されたそうだ。いくら私でもそれはやりすぎと思うが、しかしそういうことだろう。富士山を雲の中へと登っていくモーセ。ふもとでは民が雷鳴に恐れおののく。

そう、ここにも「日本人にわかる伝え方」がある。
富士山のすばらしさを見よ。それは創造者のすばらしさなんだ。富士山の神々しさを感じよ。それは造った方の性質なんだ。被造物に現れた神にこそ目を!ハレルヤ!!

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