視覚は左右の目が見えている場合、左右の視点の交差する位置などにより距離感をつかむことができる。つまりは目で距離感を図る場合、ある程度独立して精度の高い距離感を持っている。
聴覚の場合は間接音の割合や残響時間など、響き方で距離感を把握している。そしてそれでは不十分であるので視覚でそれを補正していると言われている。
今のリスニングルームはホームシアター機能とは別に5.0chマルチチャネルオーディオ再生機能に対応しているのでセンタースピーカーを設置している。
当然ながらステレオ音源の再生ではセンタースピーカーから音が鳴ることはないが、ステレオフォニックにより中央に定位する音はセンタースピーカーが鳴っているような錯覚を受ける。
左右に寄った音はステレオスピーカーのスコーカーから鳴っているように感じる(実際にその通りでもある)。
中央寄りだが左右に若干寄って定位する音はセンタースピーカーとステレオスピーカーの間で鳴っているように感じる。
左右のスピーカーで定位する音がはっきり定位するのは当然だが(実際にスピーカーから音が出ているので)、中央で鳴っている音もセンタースピーカーのグリルを外してしっかりスコーカーを見せた方が中央に定位する感じはする。
そしてセンタースピーカーのステレオスピーカーの間で定位する音は、センタースピーカーあたりで定位する音と比較して不明瞭でもやっとする感じがする。上下の定位も合わせづらい気がする。
どちらもファントムの音像であるのにである。
これは音が鳴っていないダミーのスピーカーであっても定位を合わせる手助けとなる視覚情報であり、存在することによって音の印象が変わるということかもしれない。その証拠にセンターとステレオの間は定位を合わせる補助的な視覚情報がないためセンターと比較して定位が不明瞭になっている。
簡易な実験としてダーツの的をセンターとステレオの間に設置して中間の音を聞いてみる。
今回は左右に複数の音像が存在する音源としてウエストサイドストーリーのTonight(Quintet)を再生する。
これは左右に4人が並んでそれぞれが歌を歌う構図だが、中央付近だがやや左右に寄っている歌手の定位がどうなるかを確認できる。
予想通りダーツの的があるセンターと右スピーカーの間はダーツの的がない左側と比べて定位しやすく、壁に貼ってあるので比較的遠くで定位しているように感じる。
定位の明瞭化も良い事だが、一番良いと思ったのは視覚的には音像のある部分に音源が何もないという違和感が相応に改善したことである。今回は実験でしかないが、普段のリスニングでも付けておきたいと若干感じるほどだったので、音像のある位置に視覚的には音像に相当する音源がないというのは深層心理的にはそこそこストレスであったようである。
結論として考えるのは視覚情報として音像の定位の手助けとなるようなオブジェクトをインテリアとして設置することも有用かもしれない。そしてそのオブジェクトの大きさや距離は音像を作り出したい位置によって調節するといいのかもしれない。
視覚の錯覚を利用して音を改善するというのは邪道かもしれないが、そもそもステレオフォニックの音像自体が耳の錯覚である。そして人間は聴覚で距離感を認識する際には、視覚情報も参考にする性質の生き物なのであれば、音像の感覚を補強する目的で視覚の補助があることはそれなりの正当性があるように感じる。
スピーカーに関してもスピーカーの視覚的な存在感があること自体は定位の手助けになっているが、その存在感圧迫感が強すぎて右側や左側で生み出される音像が前方に引っ張られている気もする。
スピーカー自体は室内インテリアに埋もれるようにして正面壁の奥にガイドとなるオブジェクトを設置することで音に奥行き感を感じやすくなるのかも知れない。
聴覚の場合は間接音の割合や残響時間など、響き方で距離感を把握している。そしてそれでは不十分であるので視覚でそれを補正していると言われている。
今のリスニングルームはホームシアター機能とは別に5.0chマルチチャネルオーディオ再生機能に対応しているのでセンタースピーカーを設置している。
当然ながらステレオ音源の再生ではセンタースピーカーから音が鳴ることはないが、ステレオフォニックにより中央に定位する音はセンタースピーカーが鳴っているような錯覚を受ける。
左右に寄った音はステレオスピーカーのスコーカーから鳴っているように感じる(実際にその通りでもある)。
中央寄りだが左右に若干寄って定位する音はセンタースピーカーとステレオスピーカーの間で鳴っているように感じる。
左右のスピーカーで定位する音がはっきり定位するのは当然だが(実際にスピーカーから音が出ているので)、中央で鳴っている音もセンタースピーカーのグリルを外してしっかりスコーカーを見せた方が中央に定位する感じはする。
そしてセンタースピーカーのステレオスピーカーの間で定位する音は、センタースピーカーあたりで定位する音と比較して不明瞭でもやっとする感じがする。上下の定位も合わせづらい気がする。
どちらもファントムの音像であるのにである。
これは音が鳴っていないダミーのスピーカーであっても定位を合わせる手助けとなる視覚情報であり、存在することによって音の印象が変わるということかもしれない。その証拠にセンターとステレオの間は定位を合わせる補助的な視覚情報がないためセンターと比較して定位が不明瞭になっている。
簡易な実験としてダーツの的をセンターとステレオの間に設置して中間の音を聞いてみる。
今回は左右に複数の音像が存在する音源としてウエストサイドストーリーのTonight(Quintet)を再生する。
これは左右に4人が並んでそれぞれが歌を歌う構図だが、中央付近だがやや左右に寄っている歌手の定位がどうなるかを確認できる。
予想通りダーツの的があるセンターと右スピーカーの間はダーツの的がない左側と比べて定位しやすく、壁に貼ってあるので比較的遠くで定位しているように感じる。
定位の明瞭化も良い事だが、一番良いと思ったのは視覚的には音像のある部分に音源が何もないという違和感が相応に改善したことである。今回は実験でしかないが、普段のリスニングでも付けておきたいと若干感じるほどだったので、音像のある位置に視覚的には音像に相当する音源がないというのは深層心理的にはそこそこストレスであったようである。
結論として考えるのは視覚情報として音像の定位の手助けとなるようなオブジェクトをインテリアとして設置することも有用かもしれない。そしてそのオブジェクトの大きさや距離は音像を作り出したい位置によって調節するといいのかもしれない。
視覚の錯覚を利用して音を改善するというのは邪道かもしれないが、そもそもステレオフォニックの音像自体が耳の錯覚である。そして人間は聴覚で距離感を認識する際には、視覚情報も参考にする性質の生き物なのであれば、音像の感覚を補強する目的で視覚の補助があることはそれなりの正当性があるように感じる。
スピーカーに関してもスピーカーの視覚的な存在感があること自体は定位の手助けになっているが、その存在感圧迫感が強すぎて右側や左側で生み出される音像が前方に引っ張られている気もする。
スピーカー自体は室内インテリアに埋もれるようにして正面壁の奥にガイドとなるオブジェクトを設置することで音に奥行き感を感じやすくなるのかも知れない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます