モッチリ遅いコメの距離感

オーディオルーム、シアター、注文住宅などに関してのblog。

趣味に関する雑感

2021-05-09 20:32:09 | オーディオ
独身の若いときはお金はなかったが時間があり、特に趣味に対する制約も少なかったが、
子供と同居するようになると大きく制約がかかるようになる。
今子供が小さくて目を離せないので趣味に興じる時間自体が取りづらい。
またゲームなどをまた始めてみるという訳にもいかない。あまりゲームに興じている親の姿を見せたくないとも思ってしまう。

そもそも年齢が進むとなかなか新しいものに興味が沸きづらくなっていくのをヒシヒシと感じる。
年齢進めても新しいことにトライしている中高年の方はそういった壁を必死に乗り越えているのだと思う。
なかなか若い頃では気づかなかったことである。
これからその傾向が強くなっていくことを心してかからなければならない。

幸いオーディオは子供が寝静まったあとで興じればいいので子供が小さくてもできるのがありがたい趣味である。
防音室がなければこうもいかなかったことを考えると建物内の防音性の大事さを感じる。
他の趣味もやってみたいとは思っているが上記の通りタイミングが良くなさそうだ
何か興味が沸けばトライしてみたい。
車やカメラなどもハマるかもと趣味としての興味を持とうとしてみたが、自分にとっては道具でとして役に立ってくれればそれでいいようだ。
オーディオシアター再生とは逆の、録音と録画を行う動画配信環境の構築にそれなりに興味を持っているが、配信するようなネタがないという理由で趣味でyoutuberを始めるということにも至っていない。

オーディオは先に書いたように突き詰める方向性に悩んでおり、
思考実験や考察が主体になっている。お金がかからなくていい趣味かもしれない(笑)
客観性があるに超したことはないが、基本的に趣味は自己満足なので客観性があっても仕方ないとも考えることができる。
ただ自己の満足がどのような類いの音でなされるか、それが一定ではないことに留意する必要があると思う。
ある程度の正しさ、客観指標でも良い音を追い込んで、それを聴いて良いと思えればそれでいいし、そこから自分の満足する方向を分析して元に戻れる程度に若干の化粧をさせていくのがいいと思う。

客観的指標も大事にはしたいと思うが、他人に提供するために行っているのではない。あくまで趣味は自己満足で行っているということは肝に銘じておかなければならない。
趣味のもので承認欲求を剥き出しにして他者から評価を得ようとしても、趣味における他者の評価というものはその他者が個人的に満足するかだけの話でしかなく、他者から評価を得ようと努力を試みるとおかしな方向にいってしまいかねない。
そして他者から独特の感性で厳しい評価を受けたとしてもそれはやむを得ないことである。
趣味で楽しむ場合、標準的な理論から外して楽しむことも趣味である。いろんな趣向の人がそれぞれ違った考えで自己完結していることは肯定すべきである。
だが趣味で他者からの賞賛を得ようとすると様々な趣向の人からの評価を受けなければならない。当然自分の立場では受け入れられない他者からの否定的意見出るのは当然である。だが考えの違う相手を説き伏せていくものかというと、趣味とはそういう領分のものとは明らかに異なる。基本は自己で完結しているものだからだ。

客観的評価と自己満足そのあたりのせめぎ合いは趣味においては奥深いものであり、そこについて深く考察することがまず必要なのではないかと思い始めているというのが今回の記事を書いた一番の動機である。
他者が使うモノを仕事で作るという時であれば客観的評価を利用して他者からより多い賞賛を得れば良いという意味ではゴールがはっきりしているだけに、そことは違うからこそ難しい。
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