かずこの想い

日本共産党区議会議員ぬかが和子の日々の出来事や想いを綴るページ

写真に記す息子の成長と議員活動

2013年01月16日 | ひとりごと
今日は、息子の成人にあたり
昨日予告した
「写真に記す息子の成長」をUPします。
息子の20年余の歴史は、私の議員活動の歴史でもあります。


生後3~4か月
初めて首が座ったころ。
生まれていきなり脂漏性湿疹がたくさんでてきたので
すぐに「アレルギー用ミルク」に切り替えて
湿疹もきれいになくなりました。

この数か月後から
2回ぜん息による入院。
ちょうど選挙などで忙しい時期に入院。
付添い用のベッドもなかったので
小さなベビーベッドに縮こまって付き添い寝し
朝にスーツに着替えてという毎日でした。


息子が生まれた当初住んでいた西新井1丁目の賃貸マンションの外で水浴び。
水が大好きな息子のために、活動や仕事の隙間を見つけては、水浴び、大きくなってからはぜん息予防も兼ねて竹の塚温水プールに連れて行ったものでした。


これはアルバムに整理してあるものを再撮影。
いまの「菜の花共同保育園(認証保育所)」の前身である「ひまわり共同保育所」に1年2か月お世話になり
丸々と太っていました。折れ線グラフは体重の変化。右の足形は本人のものです。


区立西新井保育園に入園した日。


東京ディズニーランドにも行きました

息子を出産して初めての選挙(通算では2期目を迎える選挙)。
後援会の行事で

私の看板を見つけて「ママ!ママ!」と。

地域の方が保育園のお迎えを自転車でして下さっていましたが、選挙前には私の演説会告知ポスターが街中に貼られていると、
見るたびに指差して「ママ」「ママ」といっていたそうです。


とにかく水が大好きでした。


これは赤旗まつりで。
故今井元区議、息子夫婦は共通の友人でもあり、その子どもといっしょにパチリ。右が息子です。


後援会のバス旅行は、息子にとってのお出かけの機会でもありました。
これは信州上田に行ったときです。
驚いたのは、走ることが大好きで
制止しなければ、それこそ1時間でも子犬のように走り回っていたことです。
心臓は強かったみたいで
だから14中の3学年共同(計24クラス)のマラソン大会でも
いつもトップでした。


こちらも後援会バス旅行。日光湯ノ湖にて。

朝早起きして2人で散歩。

この時は、2日目に議会の用事があったので、2人で電車で朝に東京に戻ってきました。


保育園で仲良しのお友達と。
アレルギーがあり、西新井保育園に通っている間は、いつも除去食・代替食を持参していました。
卵・鶏肉・鶏がらスープなど鳥系がダメでしたので、毎月すべての献立を先生がチェックして下さり
野菜スープをつくり、代替のパンも持参。主食副菜共に持参する日もありました。
その成果もあり、小学校にあがるころにはすっかり良くなり、
今では何でも普通に食べられるようになっています。
ただそれ故か、太れない、食は細く、ガリガリでした。


お墓参り(菩提寺は文京区の慈照院=徳川家康の生母お大の方の妹君慈照院殿が開基となって寛永8年(1631年)に創建された、曹洞宗のお寺)も毎回喜んで行っていました。


七五三(5才)

双方の祖父母などと地域のお店に頼んで
ささやかなお祝いもしました。


実はこの頃、チックなどの症状も出て、精神的に不安定だったんですね。
そこで、小児科の専門医と相談して、二週間に一度、半日かけて病院親子デートを行っていました。
車で千葉県にある病院まで行き、
ゆっくり過ごして
帰りに遊具のある店で食事もして遊んで帰るのが楽しみだったみたいです。
写真は、知り合いの店のワンちゃんと。
動物にも癒されていたようです。


大雪が降った日。当時住んでいた西新井栄町のUR住宅(アーバンライフ西新井)で大きな雪だるまをつくりました。


これは祖母の故郷鹿児島に法事で行った時のこと。
そうめん流しをしているところです。
流れるのではなく
グルグル回っているのを取って食べているところです

小学校では
サッカー少年でした。

栗原北小学校庭を使用する「リベロ」という少年サッカーチームに入ってやっていました。
やりたくてやりたくて…自分で入ることを決めてきました。
小学校低学年から合宿があり、鍛えられました。

信州に出かけても

茨城のおばあちゃんの家に行っても
どこに行くにもサッカーボールと一緒、
翼君ではないけど「ボールは友だち」という感じでした。


栗原北小学校の運動会。前が息子です。


正月は毎年元旦から休みなしなので
息子が小さい時には
毎年30日の夜に近場で一泊し、つかの間の骨休めをするのが恒例でした。
写真は31日に出来上がったホテルの松飾りの前で


大阪に連れて行った時もありました。


小学校の卒業。
写真は今の自宅前で。
当時難病の私の父の介護もあり、また息子にとっても大家族の中で過ごすことが大切…ということで、
小学校2年生から、親子3人で私の実家に移り住み、6人家族として生活。現在に至っています。


十四中に入学。
中一の夏休みに、重い胃潰瘍でひと夏入院。
誰よりも明るく元気な息子ですが、
「中学生になった」というプレッシャーが大きかったようです。
誰もが「額賀君が胃潰瘍なんて信じられない」という感じでした。
関原の森川医院に大変お世話になりました。

中学の3年間は本当に楽しかったようで
卒業式の日もクラスの中心となっていました。
先生から「ぬかが君は自分は勉強できるのに、勉強できないやんちゃな子も、勉強できることも誰にでも人気があって親しく付き合える珍しいくらいの生徒」と言われ、
親としても本当に嬉しかったです。

今大学生。相変わらず、飛び抜けて勉強ができるわけでも、問題意識が旺盛なわけでもない息子ですが
人から好かれ、友だちづきあいを大切にする
そして議員でもある母親の車の送り迎えなど、いろいろなことを手伝ってくれる
親馬鹿ではありますが
なかなか素直でいい子に育ってくれたと…

これから息子たちの世代は
超就職氷河期の中を
就職活動など人生の岐路が待ち受けています。
がんばれ。がんばれ。
母はいつでも君の味方だよ。
素直にまっとうに育ってくれて
本当にありがとう。

ここまでお付き合いくださったみなさま
本当にありがとうございました。

-息子の成人の記念に-







 

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