かずこの想い

日本共産党区議会議員ぬかが和子の日々の出来事や想いを綴るページ

家に帰ると「ウォー」とうめき声がー父の介護のこと

2011年01月13日 | 高齢者
数日前のこと。
仕事を終えて疲れて夜に家に帰ると「ウォー」「ウォー」と叫ぶようなうめき声が。難病で重度の介護度の父のベッドから聞こえてきました。
「お父さんどうしたの?」とベッドに駆け寄ると、ベッドの下がビショビショで水が溜まっています。それは

オムツからもれたおしっこでした。気がつかずに踏んでしまって、スーツを着たまま、父のおむつ交換と尿の処理を。

いつも父の介護をしてくれる母も80才。お正月の疲れが出たのか、足が全く動けなくなり、這うようにして移動していました。


父の病気はパーキンソン病。今の私の年齢の時にはもう発症していました。そこから保険適用外の頭蓋骨に穴を空ける手術を2回行い、本人も頑張って頑張って、病気の進行を遅らせてきました。発症して30年以上。いまだに生きていて、かろうじて介助されながらでも移動できることは、ある意味奇跡的だともいわれました。

今からちょうど10年前。私たち(私と夫と息子)は、私の両親と相談の上、同居しました。夫にも感謝です。当時小さかった息子にとっても「病人でも『ただいま』と帰宅して人がいる環境がいい」「多忙でも寄せ集まって協力し合えば介護の負担も軽減できる」とんな相談の上でした。

それでももう末期です。専門医の投薬管理で、在宅介護で生活していることで、命がつながっています。

毎朝血圧を測定しますが、低すぎて「測定不能」になることも何回もありました。そういう時は、身体が活動していなくて、脳細胞がどんどん死んでいっているそうです。ですから、認知症ではないけれども認知症と同じような症状もいろいろと出てきています。

「便が出なくなれば命に係わる」そうです。だから、便を軟らかく出やすくする薬もいろいろと服用しています。
そうすると、何日かに1回、壮絶な「おもらし」もします。「恥ずかしい。何とかしなければ」という意識があるので、じっとしていないで、便をさわり、そこら中に便をつけてしまいます。便との格闘も日常茶飯事です。
でも家族には「今日も便が出た。また命がつながった」と大変だけどうれしいことなのです。

パーキンソンの末期の特徴として、幻覚もでてきました。本当にみていてもつらいです。夜中に突然「ウォー(あそこに何かいる!)」と壁を指さし、まるでムンクの「叫び」の様な顔つきでおびえ、助けに行った私たちを杖で殴り、噛みつかれたこともありました。本人が一番辛いんですよね。

「どうして大変なのに、在宅で?」「最後まで在宅で看るんですか?」と良く聞かれます。だって専門医から「施設や入院したら命が縮まる」と言われたら、施設に入所や入院させられないのです。少しでも長生きしてほしいから。もちろんショートスティなどは利用していますが、自宅で過ごしているから、パーキンソンに打ち勝ち、平均寿命を超す位まで生きることができたのですから。

私は、議員になってから出産・子育てをし、現在は父の介護に携わりながら、議会では区議団幹事長として議会の中心的な部分で活動しています。人かみな通る道。今を生きるので無我夢中で、苦労と感じる余裕もありません。でも苦労すればするだけ、人の気持ちが、心がわかる人間に成長できる、そんな想いです。苦労は自分の身になると思っています。

もちろん私一人では介護はできません。朝早くから夜まで、「区民の負託に応える」活動でかけずり回っているから。やはり母がいるから在宅で過ごせるのです。それでも、母の体調を考えると、それもそろそろ限界ということで、初めて特養ホームの申込みをしました。ただ待機者がたくさんいますから、命と入所の競争です。

介護保険導入時「介護の社会化」のうたい文句でした。でも施設は足りず、保険料はどんどん上がっても負担は増えるばかり。痛ましいニュースもよく聞きます。もっともっと私たちが政治の場で頑張らないと。