「葦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かん波立つなゆめ」長田王
万葉集で詠まれている歌です。
葦北の海岸から船で水島へ向かう時の歌ですが、いまは江戸時代からの干拓事業などで水島のすぐ脇まで陸地になっています。
しかし、八代市の判断で水島だけは残そうと、陸地に併合せず残してあります。
お恥ずかしい話、今年になって初めて水島を訪れました。
なかなか機会がなくて(作らなくて)行きそびれていました。
行ってみて本当に良かったと思っております。
昔から葦北の海岸は風光明美な所で、歌を詠むには良い所だったらしく、女島神社も京にまで聞こえた歌会所だったそうです。
また風光明美だからこそ、来年の4月からはななつ星が葦北沿岸の肥薩おれんじ鉄道を走ることが決まっています。
そんな水島の画像です。
河口周辺は何人もの愛好家の方々が、夕景を撮りにいらしていました。
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