昨日の朝、家の傍の道に1枚の柿の葉が落ちていた。
あまりに美しいので拾って持ち帰った。
それを写真に撮ったりしながら眺めていたら、写真友達から
電話がかかって来た。
テンション高く電話に出たら「明るい声なので言いにくいけど…」
と前置きして「Iさんが亡くなったのよ」と言った。
突然の事で驚くと共に、命の儚さを感じた。
Iさんは私とほぼ同時期に写真同好会に入った人で私より年下の男性。
写真同好会の日は、大抵、一番後ろの席で私と隣り合わせになる事が
多かった。
穏やかで控えめで実直な感じのする方だった。
体調が良くないことは知っていたが、まさか、こんなに早く亡くなるとは
夢にも思わなかった。
夜、通夜に行った。
Iさんが撮った写真と愛用したカメラがお棺の傍に置かれていた。
ああ、もうこのカメラで一緒に写真を撮るようなこともないのだと
命の儚さをしみじみ感じた。
享年65歳とのこと。
8月10日に息苦しさを訴え入院し、わずか10日で亡くなったと
息子さんが悲しみに言葉を詰まらせながら挨拶して下さった。
通夜の最中、遺影がずっと私を見ているような気がして
「どうしてだろう」と思ったりした。
そして「遺影は家族に語り掛けたりするような感じのものを
選んでいるのだから誰とでも目が合うようにできているのは当たり前」
と思いかえした。
「でも今まで葬儀に出て、こういうことを思ったことは無かったのに…。」
など思ったりした。
通夜が終わってロビーで、写真同好会の先生に会った。
先生が「あの遺影は〇〇さん(私)が撮ったものや」と言った。
驚いた。背景などが消されていたので全く気が付かなかった。
数年前、写真展に展示された自分の写真の前に立ち
「撮ってくれんな」と、普段、控えめなIさんが珍しくそう言った。
あの時、Iさんの前にいたのは私。
なので、遺影が私を見ているような気がしたのか?
今夜、月に一度の写真同好会。
もうこの会にIさんが顔を出すことはないのだ。
寂しくなるな。
Iさんの、ご冥福を心からお祈りいたします。