津軽半島に向かって「まさかり」 を振り下ろしているような下北半島、そのまさかりの先端、大間や仏ヶ浦での観光を終えて、むつ市に向けてどんどん南下してきました。途中大湊で一休み。この町でも8月にはねぶた祭。展示されていた今年の作品には市議会議長賞と日本原子力開発機構センター長賞と書かれていました。むむ、大間の原発は確か原子力開発機構じゃなかったっけ。
大間に向かった国道と同じ279号線「はまなすライン」を、右に陸奥湾を眺めながら青森に向けて走りました。
青森港に到着。ここにも「石川さゆり」ここの歌碑からは ♪ 津軽海峡冬景色 ♪ の歌が頭から流れてきました「上野発の夜行列車 降りた時から 青森駅は雪の中 北へ帰る人の群れは みんな無口で 海鳴りだけを聞いている 私もひとり連絡船に乗り・・・」その連絡船「八甲田丸」がその歴史を展示していました。連絡船といえば、昭和34年上野から青森、その列車の機動源は何だったっけ。中央線は汽車でしたが、東北本線はディ-ゼルそれとも電車だったのだろうか。覚えていません。青森駅は雪の中ではありませんでしたが、ホームから船への取り付け橋を渡って、胸ワクで大っきな船に乗り込んだのが思い出されます。そして大部屋でごろごろ寝たことも。
真夏の青森が真っ赤に燃えるその時を知ろうと平成元年8月4日に訪ねた「ねぶた祭」の写真です。もう26年も前の冴えない写真かもしれませんが載っけてみました。上の写真は出番を待つ「ハネト」男性もこの姿が正装だといいます。並んだこの大きな太鼓の連打も壮観です。
写真に時間が入っていないので分かりませんが、左の2枚はスタート地点に向かう屋台だったと思います。指定された桟敷席での観覧です。漆黒の闇の中に浮き出る芸術。目の前を1000個とも言われる電球に輝く山車が何台通り過ぎたのか知りませんが、この大っきな「ねぶた」がぐるぐる回って、その全体像を見せてくれます。
大きな太鼓です。加えて鐘と笛のお囃子に併せて「ハネト」跳ねる人がラッセ・ラッセ・ラッセ-ラといって乱舞。ラッセーラとは「酒出せ!酒出せ!」の意だとか。いいですねえ~お祭りにお酒。富山の小さな町の小路で静かに踊る「おわら風の盆」を静とすれば、こちらの祭りはどう表現すればいいのでしょうか。その迫力に圧倒されるのでした。
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