世界の彼方此方へ行きたい

気ままな旅の様子を綴っていきます

聖ソフィア大聖堂(2017中国no3)

2017-02-25 | 中国

 

 バス中から撮影。聖ソフィア大聖堂は町のど真ん中。 

 「氷糖胡芦(タンフール)」というそうです。果物を砂糖水でコーティングして凍らせたものが串にさしてある。毎日冷凍庫の中にいる町だから、これが中国北部の冬の名物菓子らしい。果物はサンザシ、ぶどう、いちご、バナナなどなど。購入した方がいらして食べさせていただいた。「なるほど」が感想でした。

 これから訪ねる「聖ソフィヤ教堂」前にこんな売り子がいました。何かな。と近くで撮ったのが次の写真。栗とピーナッツでした。でも計量器がないんだけど。ポケットから袋を出して「これにいっぱい」と言って売るのかな。

 

 ほらここにもあった。飴が溶けない今が旬。でもね。裸で売ってる、ほこりとか排ガス大丈夫かなあ。 

 聖ソフィア大聖堂。日露戦争終戦(1905)2年後 に創建されたのが始まりという歴史もののネギ防主教会。現在は聖堂としては使用しておらず、ハルピン建築芸術館として開放されている。ハルピン隋一の観光名所となっているという。回りの建物の説明も受けた。満州国当時建設されたもの、いろいろ聞いたけれど忘れてしまった。けれど、ここにも日本の歴史があることだけは理解できた。

 建物の中に入ると展示物がいっぱい。いくつか拾いだして紹介してみましょう。 

 最初のところに「20年代ハルピン出現公共汽車」と書いてあります。以下むしゃむしゃ書いてあるのは理解不可。 

 「満鉄」あの満州国と深くかかわったという南満州鉄道株式会社。この会社が造ったという歴史ものの橋の写真が。 

 その橋がこれです。バスの中からですからきれいに写っていませんが、現役のバリバリ。 

 もちろん終戦前ですが、何年前の写真でしょうか。懐かしい名前の看板が目に触れました。 

   これには驚いた。ハルピン桃山小学校(現兆麟小学)1908年竣工と書いてある。明治41年のことだ。この大きな建物が日本人学校だったというのだ。この学校へは収容しきれず、まだ他に花園小学校というのがあった。とガイドさんの説明。このハルピンに何人の日本人が生活していたのだろうか。満鉄の起こりは1906年だというから、うっすらと当時の姿が想像できはするのですが。

  「氷糖胡芦」やはり歴史あるお菓子なんだ。日本でいえば明治時代、いやもっと昔からでしょうか。

 1925年 日本陸軍いや関東軍と言ったのかな。第4軍管区司令部 現ハルピン第三中学 中国古典建築風格 なんて字が見える。ガイドさんから日本陸軍の…という説明があってシャター切ったつもりだけど定かでありません。  

 日本が満州国として進出する前はロシアがこの地に大きな影響を与えていたらしい。 

 上の写真が「靴磨き」中が「代書屋さん」下が「銀行」との説明。この銀行どう説明すればいいんでしょうか、分かりません。

。 

 


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