世界の彼方此方へ行きたい

気ままな旅の様子を綴っていきます

バラコアの街で(2019キューバno5)

2019-05-01 | 中米

 バラコアの町は、1511年織田信長が生まれたようだといわれている年、この年にスペインの征服者によって築かれたというキューバ最古の町の観光が始まりです。コロンブスがこの地に上陸したとき「この世で一番美しい」と絶賛したキューバの桃源郷だと紹介されています。 

 

 バスの窓ガラス割れが幸いした。代替えのバスは5、6時間しなければやってこれないという。よって馬車に分乗しての観光といううれしい変更と相成った。 

 自動車はいません。馬車と人力三輪車。あと何年すればこの中に自動車が入ってくるのでしょうか。 

 キューバの人たちは朗らかで穏やかだ。親指を立てるのグットのサインだと思うんだけど、どこかの国では侮辱のサインだとか。地球は広いから困ります。 

 野菜売り場のそこにバナナがたわわに実っている。後ろに階段が見えている、その空間はちょっとした中庭なのか。 

 

 教会に向かって歩きます。黄色い自動車の後にすぐこの三輪車がやってきた。 

 小学校をのぞき見。すぐ左には先生がいます。でも、どうぞどうぞといった雰囲気。僕ちゃんにっこり、女の子は鉛筆をくわえてた。国立小学校でしょう。制服は国中これなのかもしれない。 

 こちらが小学校の入り口。訪問したかったよね。 

 先住民タノイ族の酋長「アトウェイ」スペインの征服者に対して、初めて反逆した人物であり、仲間の裏切りで火あぶりにされてしまったと聞いた。かっての英雄は、現代のビールの銘柄となって生き続けている。 

 キューバで最初の教会がここにあったという。ハリケーンや地震による崩壊を繰り返し、1905年(明治38)に現在の教会ができて、2012年に改修を終え装いを新たによみがえったといいます。 

 

 キリストさんやマリア様がいる祈りの教会は、どこでもほぼ同じ風景。 

 「コロンブスの十字架」1492年、日本では室町時代だそうだ。コロンブスが2回目の航海の時、この地にたどり着き2mぐらいの大きさの十字架を立てたそうですが、少しずつ削って持ち去られてしまってこの大きさになってしまい、もう誰も触れないようにこうして保存しているという。この十字架のあった場所にモニュメントがあるといい、後刻訪ねるのです。 

 ずた袋を肩にした不幸を呼ぶ乞食「エル・ペルー」の像。ペルーおじさんの呪いで村は滅びるといわれ、その呪いを解除してもらうために建てたとか何とか、定かなことはわかりません。 


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