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石見銀山その2 (2023山陰道no20)

2024-01-21 | 南米

 ポツポツ雨が降ってきた。重要伝統的建造物群保存地区の大森の町並みを歩きます。もちろん世界遺産登録地域だ。

 ザブザブ降ってきた。大森の町並みは、武家と町家が混在している江戸時代の風情を残す姿だといいますが、スニーカーをびっしょにしての歩きは辛い。皆から離れたところから雨脚を写す私のカメラ。雨にも負けずに歩いているのは私たちだけだ。

 粗い画面になってしまいましたが、いただいた資料の中の小さな写真を写し取って拡大してみました。両側から山が迫っている。かっては20万人〘ほんとかなと疑ってしまうのですが〙が住んでいたとのことですが、現在は400人ほどだともお聞きしました。この小さな町並みに銀山の歴史が詰まっているのでした。

 世界遺産に登録され、国の伝統的建造物群保存地区に指定されていては、家屋に勝手に手をつけることは出来ないでしょう。このようなお家が軒を連ねるのです。

 代官所地役人 (銀山附役人) を代々勤めていたという「河島家住宅」を見学です。

 お庭拝見。雨は降り続いています。その雨粒も大きいようだ。

 配膳の図。左に床の間があって、それを背にしてご主人の席か。

 旧大森区裁判所あと、現在大森町並み交流センターになっているといいますが見学はしませんでした。

 理容館アラタ。全国理容連合会が理容遺産認定第1号とした建物。見学可とのことですが中には入りませんでした。

 

 次に訪ねたところは、鉱山業や酒造業を営み石見銀山御料内で最も有力な商家のひとつであったという「熊谷家住宅」屋敷の平面図を見ましたがなんともそのデカイこと。

 

 

 昼のお弁当前にもう一カ所「銀山資料館」によりました。銀産出量を示すこんなグラフがあった。1690年頃 (元禄3) が最大で1865年 (慶応元年)で棒グラフは終わっていた。

 何年頃どなた様が書いた日本地図でしょうか。もう見学にもくたびれてきて集中力を欠いていたのでしょう、ここで地図作者の説明は出来ません。

 バスでランチのレストランに向かいます。ひどい雨。

コメント
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