次の寄港地 奄美大島への夜が明けた。右側にその島影が見えている。
下を見ると張られた天幕に「うがみしょーら」こんにちはと歓迎された。でも、ミス奄美のお嬢さんがいなかったのはちょっと残念。
船を降りてきた。バスが5台に増えていた。今日は観光に出かけるお客さんが多いようだ。すべて午前出発の4コース。ちょっと紹介してみましょう。「世界遺産亜熱帯の原生林・金作原ウォーキング」「マングローブの豊かな森をカヌー体験」この二つは午前の部コース「絶景のあやまる岬と奄美の文化にふれる旅」「大島海峡を望む油井岳とマングローブカヌー体験」の4本。
バスに乗るとこのマップが配られた。それを開いた初めのページに 「鹿児島本土と沖縄本島のほぼ中間の洋上に位置する、亜熱帯気候の島。(中略) 琉球、薩摩、アメリカと支配者が変わる歴史の波に翻弄されながら育んできたのは、なによりも人と人とのつながりを大切にする心、どこか懐かしいあたたかさを感じさせるこの島で、あなたは何を感じるでしょうか」と書いています。いやー知らなかった。沖縄と一緒にアメリカの占領統治時代下にあったとは。1953年12月 (昭和28) 日本復帰を果たすまではアメリカ軍政下での苦難な生活があったといいます。愚か者の私は、1972年 (昭和47年) に佐藤首相のもとで本土復帰を果たした沖縄のことしか知らなかった。奄美大島がなぜ沖縄より19年も早く本土復帰を果たしたのか、その訳は知らない。どこにその理由があったのか、島民の復帰への熱意がより強かったのか、これは調べてみたいものだ。
私の選択したコースは、身体にあまり負担がかかりそうにおもえない「絶景のあやまる岬と奄美の文化にふれる旅」でした。この島もサトウキビ畑だ。春植えと夏植えがあるといい、収穫は1~3月頃だという。この畑は夏植えで1年半かけての収穫になるようだ。
一面に拡がっているサトウキビ畑。こちらは春植えらしい。苗用に残したサトウキビの茎を節が入るようにカットして植えるという。節の部分から芽が出るという新たに得た新知識だ。昭和44年(1969)から始まったコメの生産調整政策によって、この地でもサトウキビに転換された水田が多いらしい。
「あやまる岬」最初の目的地にやってきた。後ろの白いバスが乗ってきた車。バスは珍しくも全身真っ白け「何かプリントしたら」といってるんですが会社は聞いてくれないんですよ。とは、私の質問への運転手さんの答えでした。
「笠利地区」奄美大島の最北端に位置する地域だ。
そして「あやまるみさき観光公園」黒丸が現在地。
ガイドさんがこれを見つけて教えてくれた。これでは何にも分からない。用意周到のガイドさん、次の写真で了解。きれいな花です「月桃」
波打ち際のところまでサンゴ礁が続いているのです。きれいな海。
黄色の矢印で示しているところに波頭、なみがしらが続いている。ガイドさんが教えてくれた。「あそこが東シナ海と太平洋の分かれ目ですよ」と、ほんとかいなと思っちゃうんですが、ということらしい。