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鹿児島市内めぐり(2021ぐるり九州no7)

2021-11-16 | 九州

 鹿児島中央駅、左に昨夜宿した「JR九州ホテル鹿児島」ホテルの良し悪しはともかくとして、駅から這ってでもたどり着ける近さはうれしかった。タクシーに分乗して市内の観光名所を訪ねます。

 城山公園のふもと、現在地 (丸印) にやってきた。桜島はすぐそこ、島だとばかり思ってたのに違ってた。垂水市と地続きだというのになぜ鹿児島市なんだろう。何かいわれがありそうだ。調べてみようかな。

 城山公園展望台にやってきた。市街地が一望だ。桜島の影は薄い。その写真を見せながらガイド氏が案内している。

 そうはいってもきれいな姿を見たい。鹿児島県観光サイトからいただきました。

 「西郷隆盛洞窟」ここに西南戦争最後の司令部があったといいます。そこの説明書きには・・1877年 (明治10) 9月24日政府軍の総攻撃が始まりました。城山に立てこもる薩郡兵士は。わずか300人余、政府軍4万。死を決した西郷は5日間過ごした洞窟を出ました・・と書かれていて49歳の生涯を閉じたと結んでいました。この広場で前夜盛大に酒宴が開かれたとはガイドさんの弁でした。その焼酎はことのほか苦かっただろうか。

 

 西郷が設立した私学校跡地の石垣に残る西南戦争の銃弾跡。近くに事細かに解説している案内版には「西南戦争は、私学校生徒の暴走で始まった」とその部分だけ太字書きされていた。

 江戸時代初期に築かれたという鹿児島城。鶴丸城と呼ぶのが一般的のようだ。なぜ鶴丸というのかも書いてあったけど、長くなってしまうから止めときます。

 明治6年焼失して以降147年ぶりに復元されたという御楼門は2020年 (令和3) 3月に完成したという。高さ・幅ともに約20mもある日本最大の城門だといいます。

 城門を入ったそこにはこれが。くぼみを観察すると銃弾や砲弾の食い込んでいるものもあります。と書かれている。どこにでもあったこうした説明書きは親切で長文だ。

 

 さらに奥に進むと天璋院 (篤姫) 像の前でガイドさんのご案内。島津家から徳川への輿入れ、幕末から明治にかけては相対する両家の間に挟まれ数奇な運命をたどった様子が碑文には刻まれていた。この像は平成20年 (2008) のNHK大河ドラマ「篤姫」放送に合わせて設置した「篤姫館」の収益を基に建立したそうです。

 

 おなじみの像を最後に市内観光は終わりました。それにしてもでっかかったこの像。さすが西郷さん。

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