この町でいただいた日本語の観光案内パンフ「ようこそ文化の都市へ」には、序文として「その歴史は、8世紀前半にさかのぼります。また、12世紀から15世紀まで全ネパールの首都でした。海抜1401mに位置し、約10万人が住み、その大部分は農業に従事しています」とし、さらに「ネワール文化の活気ある深淵さを示す ”生きた遺産” であり”生きた博物館”です」抜粋して記せば、てなことが書いてあります。
このヤギ、雌雄の別は分かりませんが、ここがおやすみ処か。所有者ありか、エサはどうしているのか。手前の杖を持ったおじさんは物乞いおじさんでした。
タチュパル広場の一角、屋根には瓦が散乱しているらしいこの建物の2階「ピーコック」という粋な名前のレストランで中華料理のランチタイムになるのでした。
レストランからタチュパル広場を眺めています。インドと違ってこちらはヤギ天国なのか。
写真を写している私に気づいて、女の子がピースしてくれました。
ここでも、あの物乞いおじさんが座っていました。生活費は得られたのでしょうか。
ダッタトラヤ寺院。その前を歩く女性、みな大声をあげて泣きながら歩いているのです。何だろうと質問したら、お葬式の一環なのだと教えてくれました。ほとんどの人が裸足、男たちはどこで悲しんでいるのでしょう、この悲しみの列には加わらないらしい。
たぶん姉妹。かわいいね。こんな姿を見ると、すぐシャッターを切りたくなる悪い癖があるのです。